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韓遂

かんすい

韓遂は中国後漢末期の武将。
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概要

 西涼の豪族の一人であり元は韓約という名であったとされる。涼州で異民族等によるの反乱がおきた際、捕縛されるもその後将軍として擁立され、名前を改めた。
 董卓の死後、李傕に帰順し鎮西将軍に任命される。
 そののち馬騰が反乱を起こし、それをなだめようとするも失敗、結果馬騰と行動を共にすることとなり、義兄弟の契りを結び仲睦まじくしていたが。しかし、2人は度々不仲になることもあり、馬騰の妻や息子は韓遂に殺されている。
 曹操が漢中の張魯征討に乗り出すと、通り道に当たる自分が攻撃される可能性が存在したため挙兵する。この戦いにおいて善戦するも賈詡による離間策により足並みが乱れたすきを突かれ敗走する。
 馬騰の子である馬超が異民族とともに反乱を起こすと、制圧を任された夏侯淵はついでに涼州の抵抗勢力を一掃する事を企図し、敗北する。
 その後曹操は張魯を討つため親征を行ったが、その際彼のを差し出したものがあるという。
 この人物に関しては正史である三国志の記述時点で異説が多く、正しいところがわかりにくい点が存在する。

三国志演義

 小説である三国志演義ではかなり異なる役割を持たされている。
 まずかなり年齢が30歳ほど若く設定される。
 馬超の挙兵に賛同し、手下八部とともに二十万の大軍を集めて涼州より漢中へ攻め入った。しかし賈詡の離間の計にかかって馬超と対立、左腕を失うとされる。
 その後曹操に降伏し、夏侯淵とともに涼州にとどまった、とされている。

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三国志 三国志演義

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