概要
曹操が旗上げした時から付き従った最古参の武将の1人で、多大な軍功を挙げたが、定軍山の戦いで戦死した。
生涯
曹操が県の長官に関する事件で罪を受けた時、その身代わりを引き受けた。その後、曹操に救出され、刑罰を免れることができた。
兗州と豫州が混乱すると、飢饉の中で夏侯淵は自分の幼い子を捨てて、死んだ弟の遺児である娘を養育したという。
曹操が兵を挙げると別部司馬・騎都尉として従い、やがて陳留や潁川の太守に任命された。
200年、袁紹との官渡の戦いの時は行督軍校尉となり、袁紹を破った後は兗州・豫州・徐州の兵糧を監督した。
211年、潼関の戦いで馬超の侵攻を防ぎ、以降も幾度も馬超・韓遂と戦い、ついに涼州を平定した。
関中の一大勢力であった宋建を斬り、河西の羌族を尽く降伏させた。
これらの功績が認められ、漢中の守備を任されて征西将軍となった。
当時の夏侯淵の武威は「虎の如く関右(潼関の西)を駆け、向かうところ敵無し」と言われるほとであった。
219年、漢中奪取を狙う劉備軍との戦いの中、定軍山にて黄忠と法正に敗北。五男で13歳だった夏侯栄と共に戦死した。
張飛の妻は夏侯氏の出だったため夏侯淵の戦死を知ると、張飛は願い出て彼を埋葬したという。
また優秀な息子たちが数多くいたことでも知られ、中でも
がよく知られ、特に蜀漢に仕えた夏侯覇が有名。また早世したこともあり知名度は劣るが三男・夏侯称と五男・夏侯栄もまた優秀だったと言われている。
人物
迅速な行軍を得意とし、『三日で五百里、六日で千里』と称えられたほどであった。
曹仁らと共に曹操軍の前衛として各地を転戦し、抜群の軍功を挙げた。氐族・羌族のような西方の異民族からも恐れられ、曹操は羌族と交渉するときはいつも夏侯淵の名を脅しに使った。
剛勇の持ち主であった夏侯淵だが、曹操によると計略は得意としていなかったという。
曹操から『指揮官には勇気ばかりでなく臆病さも必要。常に知略を用いて行動せよ』と日頃から戒められていたという。味方の将から「白地将軍」と陰口を叩かれていたとされる。
三国志演義における夏侯淵
夏侯惇の実の弟として登場し、弓術に長けた将として描かれている。
曹操の代わりに牢獄に入ると言った史実のエピソードの他、銅雀台落成の余興で的に当たった四本の矢の真ん中を射抜く神技を見せるエピソードもある。ちなみに三男の夏侯称も弓の達人としてエピソードを残している。ちなみにその夏侯称は18歳で病死している。
その他の作品における夏侯淵
真・三國無双シリーズ
夏侯淵(真・三國無双)を参照
SDガンダム三国伝
夏侯淵ダラスを参照
恋姫†無双シリーズ
秋蘭を参照
一騎当千
夏侯淵妙才を参照
十三支演義
声:浪川大輔
人形劇三国志
内容は蜀びいきで、演義とほぼ同じ扱いで、定軍山の戦いにて黄忠に敗れ死亡する。
何より特筆すべきなのはこの回のタイトルが「名将の死」であることで、これだけ見ると誰の死亡回か分からないが、話の内容からして夏侯淵を指してるのは間違いなく、蜀将以外で死がタイトルになったのは曹操(「曹操の死」)と呂布(「野望空し 猛将 呂布」)だけであり(周瑜や董卓ですらなっていない)、名前こそ出てないが破格の扱いと言っていいだろう。
また人形も紺色と黄色の華麗な甲冑をまとい、頭も美形に造型されている。
DRAGONSISTER
登場人物の殆どが「非凡な男として生まれるはずが、歪んだ呪いで超人的な女に生まれてしまった」人物という世界観で、曹操と夏侯惇の従妹である女武者として登場。
全6巻中第1~4巻までは活躍の機会に恵まれなかったが、第5巻からは弓隊を指揮して曹操の騎馬隊と連携したり、一度に矢を三本射て関羽を追い詰めたりと勇将ぶりを示していた。
一見すると単なるお調子者と受け取れる言行だが、自軍の新兵に手取り足取り弓の射方を教えたり、家臣をモノ同然に扱いだした曹操に苦言を呈するなど、人の上に立つ・下に付くものとしての責任感は持っている。
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