歴史上の鍾会
生没:225年 - 264年
中国語での読み:チョン・ホェイ(Zhong Hui)
字:士季
「西楚の覇王」項羽に仕えた名将・鍾離昧の子孫とされる。項羽の死後、鍾離昧は劉邦の策略で自害したがその子孫の一流は姓を「鍾離」から「鍾」に改めていた。
魏の名臣・鍾繇の末子として魏の初代皇帝曹丕が逝去する前年の225年に生まれる。兄に鍾毓。
成人してからは司馬一族に仕え、諸葛誕の乱鎮圧などに功を上げ、順調に出世する。
263年、蜀漢征伐を遂行し滅亡させたものの、姜維と謀って謀反を起こそうとして、部下によって殺された。
享年39歳。
逸話
司馬昭からは張良に擬せられたほど非常に高い能力はあったが、人望が無い。底なしに無い。しかも性格が非常に悪い。とにかく人格難の逸話が多い。
辛憲英や王元姫に危険視されていたという話は、彼女たちの方の評価を上げている事で有名である。
マザコン。どれくらいかというと、母親の伝記を書いたぐらい(ただし、他の家族についての伝記も書かれていた可能性もないではない)。
しかしその伝記の内容自体は、その母親をダシに自分自身を褒めたたえているような色合いが強く、とても母を慕っていたようには読みがたい。
"鐘会"と表記されることも多いが正しくは鍾会”である。
ちなみに『無双OROCHI2』の壁紙では漢字を間違えられ「鐘会」となっていた。
ただ、簡体字においては鍾と鐘は同じ字扱いされてしまっているため、本国ではあながち間違いとも言えなくなってしまった。
真・三國無双の鍾会
鍾会(真・三國無双)を参照
関連タグ
三国志 魏
真・三國無双 無双 晋
三国志大戦
残念なイケメン
同姓の関連キャラクター
- 鐘嵐珠(スクフェスALL_STARS) - 本人には一定の能力があるのに、人望がないという共通点がある。母親(虹ヶ咲学園理事長)との無視しがたい関連性まで共通している。