生涯
姓は張、名は良で、字(あざな)は子房(しぼう)。諡(おくりな)は文成。
韓の宰相の家柄に生まれる。祖国・韓を滅ぼした秦への復讐のため、始皇帝暗殺を謀るが失敗に終わり、逃亡生活を余儀なくされる。
そして陳勝・呉広の乱が起こると、一軍を率いて参加し、この際に自らの主君となる劉邦と出会った。
この出会いは両者にとって運命的な物であり、張良は今まで多くの人物に逢い、自らの兵法を説いては、実戦で使用するように希望していたが、特別に耳を傾ける人物はいなかった。
しかし、劉邦はそれまでの人物たちとは違い、自分の兵法を聞いては上策として使用した。
劉邦自身も張良の策を使用することで、次々と戦に勝利していった。
それから反秦軍のもう一つの雄である項羽と劉邦が会談を行う運びとなった。
後にいう鴻門の会である。
この会談にて何度も劉邦は命を狙われるが、その度に張良などの策によって難を逃れた。
結局項羽は劉邦を仕留めることができず、このことが結果として項羽の首を絞めることとなり、秦滅亡後、躍進する劉邦に追い詰められて命を落とすこととなった。こうして張良などの活躍により劉邦は天下統一とすることができた。
その後も劉邦を支えて没したとされる。
容姿については史記に記述が有り、著者の司馬遷が張良の肖像画を見る機会を得た時に「きっと厳つい大男なんだろうな、と思って見に行ったら女性(それもすごい美人)みたいに描かれていてびっくりした」(超意訳)と残しており、かなりの美形だった(あるいは美形と伝えられていた)らしい。
関連タグ
太公望(太公望が書いたとされる兵法書「六韜」を手に入れて勉強したとされる)
荀彧(荀彧を迎えた曹操は「我が子房が来た」と大いに喜んを評した)