概要
前漢の武将。字は少卿。秦の始皇帝に仕えた李信の子孫とされる。
「飛将軍」李広の長男である李当戸の子。
父の李当戸は武帝の寵臣であった韓嫣を殴打した逸話を残す剛直の士として武帝からも評価されたが、李陵が生まれる数か月前に早世していた。
李陵には李椒・李敢という叔父がいたが前者も父と同じく早世、李敢は李広が自害した件で衛青を殴ったことを彼の甥の霍去病に恨まれのち射殺された。
武帝の時代の前99年、騎都尉に任ぜられ歩兵五千を率い李広利と共に匈奴征伐に赴き勇戦するも、囚われてしまう。
囚われた後は匈奴に厚遇され、一族を殺された絶望もあって従うようになり、右校王として20年ほど留まった。
しかし漢との戦いには加わらなかった。
後に同様に捕らわれていた蘇武と出会うが、帰還した蘇武とは異なり、辱めをいとんで戻らず、匈奴の地で亡くなった。
彼が囚われた際に友人の司馬遷が弁護したために、武帝の怒りに触れて死刑を命じられるも、史記を完成させるべく恥を忍んで宮刑を選んだのは有名な話である。
フィクションにおける李陵
日本では彼を主人公とした中島敦の小説『李陵』でも有名だったため、原泰久が『キングダム』を連載開始するまでは祖父の李広と共に先祖の李信より知名度は遥かに高かった。