劉邦
りゅうほう
中国語ではリォウ・パン(Liu Bang)と呼ぶ。
史記には「姓劉氏,字季。父曰太公,母曰劉媼」と書かれている。これを日本語に訳すと「姓は劉、字は末っ子、父はおやっさんといい、母は劉ばぁさんという」と、どこぞの日本昔話のような身も蓋もないものになる。良くも悪くも劉邦は父祖の系譜をさほど重んじない、父母がたんなる愛称で通じるくらいの小さなコミュニティで育った庶民の出であったことがわかる。
古代中国の戦国時代末期、沛県郡豊県中陽里(現在の中華人民共和国江蘇省徐州市沛県)に劉を姓とする農家の三男坊として生まれたが家業には関心を示さず、気の合う仲間達と気ままに侠客暮らしを楽しんでいた。
あるとき、丘の上から始皇帝の行幸の様子を見て「皇帝に、俺はなる!」と強いあこがれを抱いたという逸話が残る。
後に当時の上司だった蕭何の口利きで、泗水というところの亭長(駐在所長的存在)となるが、仕事はさっぱりしていなかった様子。とはいえ何故か妙に人望だけはあったので、クビにされそうになると決まって周囲から庇われお咎め無しになるのであった。
秦末期の混乱の中で地元で挙兵。項梁や項羽らの楚軍に従い、秦の首都咸陽を攻略する。戦後、漢中に王として封ぜられる。
その後項羽と対立、楚漢戦争に突入。何度も大敗したがその度に踏みとどまり、紀元前202年、垓下の戦いで最終的に勝利し中原統一を達成。皇帝に即位し漢(前漢)を建国した。
同時代を席巻した英雄項羽のライバルだが、彼とは正反対と言って良い人物であった。
圧倒的な軍才とカリスマ、そして旧楚の貴族という由緒ある血統で周りを惹き付けた、弱冠20代の若き英雄・項羽と違い、劉邦は農家の冴えない血筋で兎角怠け者、女にもだらしない40過ぎの中年という、ダメ人間すれすれの男であった。
だが、劉邦には叩いても減らない人間的な魅力があった。粗野で下品ではあったが同時に素朴で素直な人間であり、人の助言をちゃんと聞ける器の持ち主であった。彼の元に優れた人材がひっきりなしに集まってきたのも「この人を助けたい」と思わせ、しかも自分の意見を聞き入れる能力があったからであろう。
また、優れた人材を適材適所に配置し遺憾なく使いこなせる人事のスペシャリストであった。個性の強い配下たちを思う存分活躍させることが出来たのも、劉邦の差配の成せる技であったといっていいだろう。信賞必罰を徹底し、気っぷ良く配下に恩賞を与えるところも好かれる要因であった。
漢楚合戦において項羽に何度も敗れた劉邦であったが、辛抱強く勢力を拡大し民衆の支持を集め、人材を幅広く収集し地力を高め続けた結果、最後の最後に項羽を打ち負かす事が出来た。
ちなみに彼は大変な漁色家であり、「英雄色を好む」ということわざの語源となった。
しかし、中華を統一し漢帝国を開いた後は庶民の出自という脆弱な権力基盤から次第に猜疑心の虜になってゆき、昨日の英雄は今日の暴君なまでにかつての功臣たちを次々と粛清してしまった。
それでも国が瓦解しなかったのは、蕭何たち群臣が既に凡庸な主君であっても政治が回るようにシステムを組んでいたからであり、劉邦の跡を継いだ息子の恵帝が諸事情から政務を放棄しても、民衆に影響が出ないくらいには万全の体制が整っていた。
劉邦も上記のように猜疑心の塊となっても人を見抜く眼力までは衰えておらず、功臣らの粛清もそれなりの理由と状況が固まってから行う周到な一面を示した。人材を活かすのが上手いことは、即ち人材を殺すのが上手いことと背中合わせなのである。
死の床に就いてからも、今後を憂えた皇后の呂雉にあれこれ質問された劉邦は、名を挙げた臣下それぞれに適した職と役目を提示。結果として彼らは後に権力を壟断した呂雉の外戚を打倒し、劉氏の治世を取り戻す呂氏の乱において、多大な活躍をすることになる。
戦争においては項羽に71回も敗北した逸話から戦術家としては無能という評価をされがちだが、実は対秦戦では連戦連勝であり、そこまで無能でもないと言う意見もある。韓信も有名な逸話で「陛下は10万の兵士の指揮ぐらいならいけますよ」と語っているが、本当に無能ならこの評価は過大である。韓信や項羽相手では不足があるが、一軍の将をやれるだけの力量はあるというべきだろう。韓信は劉邦を「将の将」と評しており、軍人とは質を異にする王の器であると称えている。
蕭何…漢の三傑筆頭。劉邦の本拠地をよく治め、前線への補給を支えた名宰相。元は沛の下級役人。
張良…漢の三傑。旧韓の宰相を父に持つ、常に劉邦の身辺にあって勝敗を決する献策を続けた名軍師。
韓信…漢の三傑。上将軍(全軍指揮官)。魏、趙等を滅ぼした名将。以前は項羽に仕えたが重用されなかったため劉邦の元に走った。国士無双と謳われた勇士で武芸にはからきしだった劉邦の“刃”として彼の覇業に貢献した。尚、項羽に仕えるまでは無職だった。
陳平…旧魏の出身で、張良と並ぶ軍師の才を有した。呂氏一族のクーデターを阻止した人物。兄嫁を寝取ったこともあるという色男。
曹参…魏の開祖・曹操の養家の先祖。元は蕭何の部下で刑吏。劉邦の戦いに伴い弓馬の才に目覚め、武将として活躍する。
夏侯嬰…元は蕭何の部下で御者。三国時代に魏を興した曹操の血統上の先祖にあたるとされる。また曹操に付いて戦った夏侯惇の祖先とも言われる。
英布(黥布)…元・項羽の部下。殺人の経歴がある罪人で顔に刑罰の入れ墨があったことから“黥”(=入れ墨の意)布と呼ばれるようになった。
紀信…滎陽の戦いで活躍した武将。劉邦の敗走を助けるため、彼の身代わりとなって処刑されたという忠烈の士。
盧綰…百姓時代からの劉邦の竹馬の友。同年同月同日に生まれた誼から長らく彼と行動を共にし、劉邦が皇帝となってからは、彼の寝所に自由に出入りすることを許された唯一の者となった。
樊噲…劉邦の幼馴染その2。沛で肉屋兼葬儀屋を営んでいた。劉邦の戦いに伴い彼も武勇に目覚め、韓信、曹参と共に劉邦の“刃”となって戦い抜いた。
劉邦は中年になっても家業を全く手伝わなかったため、家族に嫌われていたとされる。特に兄嫁には嫌われており、彼女から受けた仕打ちを根に持ち続けてその子に対しても「あの兄嫁のガキ共に爵位なぞやるか」と父の説得を受けるまで何ら世話をすることがなかった。しかも、ようやく爵位を与えても「羹頡侯」という、昔兄嫁がスープの入った窯の底をこれ聞こえよがしにガリガリ擦って劉邦と友人を追い出した仕打ちをあてこすったものだった。
一方で、父とはさほど仲は悪くなく、むしろ良い方であったようである。自分よりも評価していた兄の醜態をあてこすったりという話もあるが、長安に移り住んで以降趣味の闘鶏(鶏を戦わせて勝敗を競う、ギャンブル要素の強いゲーム)や蹴鞠を楽しめなくなったことを悲しんだ父のために長安に故郷そっくりの街を作らせ、しかも住民を移住させて父を喜ばせた。父の趣味からわかるように、賭博好き、遊び好きな性格は完全に息子に遺伝しているといってよい。
正室にはあの中国三大悪女の一人に数えられる呂雉を貰っているが、呂雉が悪女と言われるような行為をしたのは劉邦が死んでからである。劉邦が生きているときは良妻賢母であったと語られている。
- 鼻が高くて顔が長い「龍顔」と言う吉相だったと言う。太ももに72(1年を意味する360を五行説で割った数)のほくろがあり、それも縁起の良い数とされた。この龍顔という言葉は、そのまま皇帝や天皇の顔を指す言葉となった。
- 酒場で「つけにしてくれ」と言って無銭飲食をしょっちゅう行っていたが、仲間の多い彼が入り浸ると満員御礼になるので許されていた。伝説では彼の頭上に神聖な龍がいたとも言われる。
- 自身がアウトローであったことから大の儒者嫌いでも知られ、儒者の冠に小便をしたり、下女に足を洗わせバカにした態度で儒者と面会をしたという話が知られている。皇帝になって以降はゴロツキ出身で血の気の多い部下の無作法ぶりを危惧した儒者に諭され、簡素かつ荘厳な礼儀作法を取り入れた。この綱紀粛正が以降漢朝が儒教をスタンダードとするきっかけを作った。
- 亭長時代に夫役を命じられ、人夫を引き連れて咸陽へ向かったが秦の厳しい刑罰と労役を嫌って大半が逃げてしまった。ヤケになった劉邦は残りの人夫も解散させて山奥に籠もって山賊になった。しかし、彼を慕って各地から人が集まり、何時しか一角の勢力に成長してしまった。
- 皇帝時代、側室と情事をしているときに剛直な部下の周昌が報告に来た際に、戯れで周昌を押し倒して「どうだ?俺をどう思うね?」と聞いたとき「とんでもない暴君です!まるで殷の紂王(伝説的暴君)です!」と返されて「そこまで言うこと無いだろ!」と怒ったが、周昌の剛直と素直さを評価して重用した。その周昌は劉邦死後も漢に忠義を尽くしたが呂后の暴走を止められず最後は憂死している。
- 劉邦が床に臥せって寿命を全うしようとしてた際に呂雉が今後どうしたら良いかを聞いたのだが、こいつらに任せれば良いって言った人物全員が劉邦の死後に漢を支える中心人物となっている。最期まで人材のスペシャリストっぷりを発揮してくれている。
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コメント
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