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霍去病

かくきょへい

中国、前漢の武将。将軍。叔父に同じく勇将で知られた衛青、異母弟に名宰相と言われた霍光がいる。
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生涯

前漢の武将・衛青の姉の子供として生まれる。「病が去るように」つまり健康に育つようにと願いを込められ「去病」と名付けられたと言う。伯母・衛子夫が皇后に立てられたため、親族である霍去病も武帝の目に止まり、次第に武帝の寵愛を受けることとなった。


18歳から衛青に従って匈奴征伐に赴き、衛青共々討伐において活躍していき、とうとう匈奴の本拠地を撃破するほどの功績を挙げたのであった。それら目覚ましい功績から紀元前121年に驃騎将軍に、紀元前119年には大司馬になるなど、凄まじい速さで出世していった。ただ、本人の実力もさることながらそれ以上に武帝の寵愛の影響も強く、懐疑的な意見もある。


その将来を有望されていた霍去病だったが、わずか24歳で病により死去した。


人物評

武に長けており、特に騎射に優れた人物であった。積極的で勇猛な性格であったが、苦労人であった衛青とは違い生まれながらにして一族が外戚で武帝の寵愛を受けるなどの環境から傲慢な性格だったとも伝わっている。その一端を表すエピソードとして自軍の兵士達が飢えている中、豪華な幕舎で宴会を開いたり、「飛将軍」李広が自殺に追い込まれた件で衛青が李広の子・李当戸に殴られた際に報復として狩りの場で李当戸を射殺している。


しかし、その傲慢さからくる派手な言動が好意的かつ頼もしく映ったようで、むしろ謙虚で、腰が低すぎると言われた衛青よりも宮廷や兵士たちからの人気は高かった。

霍去病死後の霍一族

霍去病の死後に生まれた異母弟・霍光は亡き異母兄の縁から武帝に取り立てられ才幹を発揮し、大司馬大将軍として昭帝・宣帝を補佐し、関白の別名「博睦」の由来になるほど権勢を奮った。

霍光の死後、長男の霍禹は母・霍顕と謀り許皇后を暗殺し末妹の霍成君を押し付けるなどの驕った振舞いから宣帝に疎まれ実権を縮小された。これに反発した霍禹は一族と謀り帝位簒奪を狙ったが、かつての呂産(呂太后の甥)同様失敗に終わり霍成君とその姪の上官太上太后を除いて母や兄弟姉妹共々一族皆殺しになった。また霍去病の孫・霍雲たちも霍禹に加担したために自殺に追い込まれ、霍成君も12年後に自害へ追い込まれている。


ちなみに霍兄弟出世のきっかけを作った衛姉弟もまた非運の晩年を迎え、衛青は侠客の郭解を弁護したため武帝から疎まれ、衛子夫に至っては呪詛疑獄に巻き込まれ息子夫婦や孫夫婦を武帝に処刑され自身も自害させられているが、唯一助命された曾孫・劉病己は成人後、霍光に見いだされ宣帝となった。



関連タグ

武将 衛青

中国史 前漢

曹彰曹操の四男。自らも武勇に優れ霍去病を目標とした。

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