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曹彰

そうしょう

三国時代の魏の皇族。曹操の四男(生母の卞夫人が正室に昇格すると正嫡の次男となる)。黄鬚児と呼ばれた。

概要

生没年:?~223年

曹操の四男にして側室第一位の卞夫人の次男。字は子文。武勇優れ「黄鬚(虎鬚を生やした勇者の意)」「黄鬚児」というあだ名を曹操に付けられた。
同母兄に皇帝となった曹丕、同母弟に曹植曹熊らがいる。
生年は不明だが兄の曹丕が187年生まれ、弟の曹植が192年生まれなので190年前後の生まれと考えられる。

人物

弓術や馬術に優れ、戦車の操縦も巧みで猛獣と格闘出来る程の人並み外れた腕力を誇り、激しい気性の持ち主だった。学問は不得手であり、曹操からは度々勉強を課せられるも自らを前漢の将軍・霍去病のように戦場を駆け回ることを望み武を鍛えた。望み通り戦場を駆け烏桓討伐や反乱鎮圧に功を立てたが、兄・曹丕にその武力を恐れられたのと弟・曹植を支持していたために冷遇される事になった。兄が即位すると任城王に封じられたが223年に急死した。享年は30代前半とされる。

「横山三国志」では漢中の戦いで曹操の危機に駆けつけ劉封を退け呉蘭を討ち取るなど武勇を示す。しかし曹操の死後、弔問のため10万の将兵を率いて都・長安に現れたため謀反を疑われる(台詞から判断するに実力で後継者の地位を奪う意図があった模様)。やってきた勅使の賈逵(賈充の父))に魏王の印綬の在処を尋ねて逆に諭された挙句、軍を朝廷に返還するといういささか短慮な人物として描かれている。

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