概要
曹操は、若くして機知・権謀に富んだが、放蕩を好み素行を治めなかったため世評は芳しくなかった。
ただ太尉の橋玄は「天下は乱れようとしており、当代一の才の持主でなければ救う事はできない。天下をよく安んずるのは君である」などと曹操を高く評価した。
また、橋玄が紹介した月旦評で有名な後漢の人物鑑定家の許子将(許劭)は、「子治世之能臣亂世之奸雄(貴方は治まった世では有能な役人だが、乱世となれば狡いことをして利益を得る奸雄(姦雄)だ)」、または「君清平之奸賊亂世之英雄(君は平和な世の中では大泥棒だが、乱世となれば英雄だ)」と評した。曹操はこの話を聞いた後に、大笑いした(大喜びではないことに注意)。
ぶっちゃけこの評価自体に大して意味はなく、当時人物評で有名であった「許劭に評された」ということが大事なのである。当時の人事採用の郷挙里選ではその地方の輿論にて名を馳せているかどうかが重要なのであった。
ただこの「治世の能臣、乱世の奸雄」は後の世で曹操の代名詞として通用しており、後世の創作物に大きな影響を与えることになった。
曹操は後に橋玄を祀り、かつての恩義に報いた。