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曹昂

そうこう

曹昂は「三国志」の登場人物。字は子脩
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概要

曹操長男。異母弟は曹丕
母は劉夫人だが、彼女が早くに亡くなったために正室丁夫人に養育される。
20歳で孝廉に推挙されており、将来を期待されていた。
南陽張繍との戦いで父の曹操を救うため、自らの馬を差し出し典韋や従兄弟の曹安民と共に戦死する。

曹昂の死を知った丁夫人は「私の子を殺しておきながら、平気な顔をしている」と曹操を恨み、自ら離別して実家に戻った。曹操は丁夫人に対し深く謝罪したが、丁夫人は二度と曹操の下へ戻ろうとしなかった。
曹操は晩年死に臨んで「もし霊魂があって死んだ子脩の霊に『お父上、私の母はどこにいますか?』と問われたら、儂は何と答えたら良いのか」と嘆息したという。

弟の曹丕は即位後に「兄の子脩が生きていても限界があっただろうが、弟の倉舒(曹沖)が生きていたなら、私は主となって天下を治められなかっただろう」と語ったという。

なお、曹昂を死に追いやった張本人の張繍は曹丕の元へ、何度か頼み事に赴いた。しかし曹丕から「お前は私の兄を殺したのに、どうして平気な顔をして会えるのだ」と言われた為、これに不安を感じ自殺したと言われている。

魏王朝成立後、豊の悼公と諡され、後に豊の悼王、豊の愍王と諡を改められた。子がなかったので、甥がその後を継いだ。

考察

孝廉に推挙されていること、死に至るエピソードから、儒教的教養と道徳に優れた人物であったと推測される。曹操の嘆息、曹丕の張繍に対する発言、即位後の発言を加味して考察すると、曹丕から人物の好悪を取り除いたようなタイプで同タイプの復古的名君になった可能性が高いと思われる。限界、とはおそらく八方美人になって危険人物を断罪できない、といった欠点であろう。


関連タグ

曹真 曹植

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