概要
魏の王族。字は倉舒。曹操の息子。兄弟順は下の方だが、幼いころから才気煥発でありまた愛情深かった。ために曹操に深く愛され、一時は曹丕を(ことによると曹植も)飛び越えて後継者にされようとした。しかし、その愛情深さゆえに父が華佗を投獄したことにショックを受け早世した。
その病臥、死は曹操を常になく取り乱させ、曹丕に向かって「倉舒の死はわしにとっては大きな悲しみだが、お前にとっては喜びだ。何しろ、これでお前がわしの後継者になれるのだからな」皮肉を言わせるほどだったという。
また曹丕も皇帝に即位してから「兄の子脩(曹昂)が生きていても限界があっただろうが、弟の倉舒が生きていたなら、わしは主となって天下を治められなかっただろう」と語っており、その才幹と愛情の深さが分かる。
解釈
この逸話から曹操は後継者として曹沖、曹丕、曹昂の順で考えていたことが推測される。