概要
生没年不詳(没年は少なくとも221年より前)。字も不明(一説には「子威」)。
兄弟全体で言えば六男にあたるが、異腹の長兄と次兄が早世している上、母親の卞夫人が正室に昇格して以降は正嫡の四男として扱われる。ややこしい。
彼自身も早世したらしく事跡が非常に乏しい。死後の221年に蕭懐公、ついで229年に蕭懐王の諡を追贈された。234年に子の曹炳という人物が後を継いだが僅か5年後の239年に死去し、後継ぎがいなかったため国を除かれたと言う。
「三国志演義」では病弱とされ、曹操が亡くなった際も病気の為に葬儀に参列出来なかった。曹操の跡を継いだ兄の曹丕から葬儀に参列しなかった事を詰問する使者が送られ、罪を恐れて自殺すると言う事になっている。