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概要

中国後漢の第12代皇帝。姓名は「劉宏」。

章帝の玄孫に当たる。河間王劉開の曾孫。解瀆亭侯劉淑の孫。解瀆亭侯劉萇の子。

正室に宋皇后何皇后

劉弁(後の少帝)、劉協(後の献帝)の父。

即位する前は意外にも地方に暮らす貧乏貴族であったが、族父にあたる先帝の桓帝が崩御の際、桓帝には男子がおらず、そこで同じ河間王家出身であったことから、168年に桓帝の皇后の竇妙、大将軍竇武、太尉(後に太傅)陳蕃らにより擁立された。ちなみに、この時はわずか12歳であった。

だが、朝廷では桓帝の時代から宦官が強い権力を持ち、宦官に反感を抱く竇武と陳蕃らは宦官達を排斥しようと計画するが、逆襲されて罷免されたり弾圧されたりしていた(党錮の禁)。

その間にも異民族の侵攻が活発となり、天候の不順が重なり地方での反乱もたびたび勃発した。朝廷の将軍達はそれらの鎮圧に奔走したが、そうした中でも霊帝本人は政治に関心を抱かず酒と女に溺れ、張譲ら宦官(十常侍)に専断されることとなった。

184年、大賢良師・張角を首領とする黄巾党が一斉蜂起(黄巾の乱)。大規模な反乱により後漢王朝は危機に見舞われたが、何皇后の異母兄の大将軍・何進皇甫嵩朱儁盧植董卓ら地方豪族の協力と、張角の急死により鎮圧に成功した。

しかし、黄巾の乱で朝廷の無力化が露呈し、地方豪族の台頭を許すこととなり各地で反乱を起きるようになる。

だが、これ以降も賄賂がまかり通る悪政が横行し、朝廷内も何進と宦官達の対立が深まるばかりだった。

そして、国内が乱れたまま189年に崩御。後継者を明確に定めていなかったため、崩御後に実子の劉弁と劉協との間で皇位継承争いが起こることとなった。

三国志演義』では、暗愚な皇帝として描かれており、十常侍達の甘言を鵜吞みにして酒や女に溺れた末に身体を壊して間もなく亡くなっている。

余談

pixiv内では、横山光輝が描いた三国志(通称「横山三国志」)で、身体を壊して寝込んでいた時に発したとてもつらいと言ったセリフの一コマのコラが投稿されている。

「霊帝」とは死後に贈られた諡(おくりな)だが、諡の字面には生前の功績に対する評価が含まれ、この場合の「霊」という字はその評価の低さを表している。

そのあたりの事情を知らないと神秘的で偉大な称号のように見えるので、『スーパーロボット大戦』シリーズでは「ゼ・バルマリィ帝国」の絶対君主として「霊帝」と名乗る人物が登場する(「半裸ショタ」と「真の霊帝」の二名)。

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  • 新説三国志演義第二巻 黄天の空(中)

    三幕 ⑤小黄門

    Q.虜植に届いた手紙はどんな手紙? A.こんな手紙。 手紙 『先生、お久しぶりです。劉備です。今は玄徳という字を名乗っています。なんか今日は郵便の日と塾の日だってことで、先生に手紙でも書こうかなーと思い筆をとりました。そういえば、最近伯珪が属国の長吏になったそうですよ。聞いてますか? 凄いですよね!? 最近国内が騒がしいですが洛陽ではどうですか? 今オレは黄巾討伐の義勇軍を組織しています。当面は幽州の治安維持に専念するつもりです。また、うまくいきましたら報告しますね!』 盧植 「阿備。貴方は手紙の作法も知らないのですか、まったく」 手紙 『拝啓。ご無沙汰しておりました。公孫伯珪です。つい先日まで玄徳と行動を共にしておりました。奴にもたまには先生に手紙でも送るように、と言っておいたので、もしかしたらそろそろつくかもしれません。奴は今、幽州に蔓延る賊、九鬼をすべて併合して義勇軍とするという離れ業をやってのけようとしています。あいつは全く呆れた奴です。久しぶりに会いましたが、破天荒なところは相変わらずでした。黄巾の余波がそろそろ洛陽に届くかと思いますが、先生の方はぜひお身体をご自愛くださいますよう。それではまた、お手紙を送らせていただきます。草々』 盧植 「阿讃。貴方はいつも阿備のことばかりですね、まったく」 劉宏:霊帝。史実。    盧植に派遣する小黄門を呼んできてほしいと袁紹に頼んだのはいいものの、まさか残っているのが左豊だけだったとまでは思っていなかった。 袁紹:ボケ担当、のはず。史実。    ぶっ飛んだ生体を目撃し、さすがに動揺してツッコミに回ってしまっている。    ボケ要員としての立場の危機。    存外常識派。 左豊:モンスター爆誕。史実。    『マジカルさほりん』を言わせたかったがために大変なキャラになってしまった。    ちょうどこの時やってたプリンセスコネクトRe:Diveに登場してくるマホってキャラの必殺技を聞きまくっていたせいで生み出されてしまったパワーワードなんです………。『マジカルマホりんくるりんぱ~』 っていう口上なんです。そこからマジカルさほりんが生まれてしまい、後の展開も修正を入れなくてはならなくなり………。左豊のおバカ! こんな濃いキャラにするつもり、なかったのに!!
  • 創作三国志

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    創作三国志のオマケ的ななにか(スピンオフな扱いの短編小説の前編)。 後漢末の宦官・蹇碩にフォーカスした後宮話。今回も三国志していませんがご容赦ください。 メインで書いている創作三国志小説にて、蹇碩の顛末はさっくりと描いているのですが、そこから逸脱した出来事は起こりません。
    10,037文字pixiv小説作品
  • 新説三国志演義一巻 黄天の空(上)

    三幕② 蜂起

    何進 「黄巾側は歴代の将軍について位調べたうえで戦略を立てるだろう。だから、思い切って若手も起用する」 袁術 「それで皇甫殿と朱殿か。………ホントに大丈夫?」 何進 「平気さ。皇甫も朱も才は豊かだ」 袁術 「………でも、皇甫殿が招聘に応じるかな?」 何進 「それなんだよなぁ。あいつ、今の政権のこと、めちゃくちゃ嫌ってるからなぁ」 袁術 「あ、そうだ。こういうのはどう?」 こうして、帝、宦官、外戚の三連署名が立案された………。 黄巾の乱:西暦一八四年、二月五日。この日に張角は語感に大々的な宣戦布告を行った。本来は三月五日に決起を行う予定だったが、宦官たちに内応の約束を取り付けていた馬元義が捕縛されたことによって、計画を修正し、決起を早めた。      とはいえ、情報を握りつぶしていた十常侍の行動もあるので、即座の対応はできなかったであろうということを踏まえ、後漢の側は迎撃の準備が整っていないだろう、という想定のもとこの話を作っている。 劉宏:霊帝。今まで張譲が必死に隠しているようだったから、あえて触れなかった天下の騒乱に着手することに。 何進:内々には打診があった大将軍への道が半ば公認になった。 張譲:どうせ衆愚の反乱で、すぐに鎮圧されるだろうとタカをくくっていたら、大変なことになった。
  • 宝冠の簾

    宝冠の簾 創作三国志 3月分

    文章修業。 「即興二次小説」http://sokkyo-niji.com/ 他 で励んでます。 「三国志」で連想された人たちをまとめました。 章タイトル横の人物表記をごらんくださいませ。 ◆リクエスト『郭嘉・程昱・荀彧 「積る雪」』ありがとうございました。書かせていただきました。楽しかったです、魏軍師部屋^^ ◆表紙はこちらからお借りしました。http://www.pixiv.net/member_illust.php?
  • 新説三国志演義0.5巻 SS's

    三幕⑧ 愚帝の嘆息

    劉弁 「で、父上。今日は結局何を売ってきたんですか?」 劉宏 「今日はー、肉まんを売ってきた。レイを呼んで。今日の商いで鍛えた腕を披露してやる」 何霊 「蒸すときに肉汁を無駄に下に垂らしすぎ! こんな無駄にしたらせっかくの肉の風味が全部死んじゃうわ!」 劉宏 「くそう。市場では絶賛されたのに」 何霊 「ふん。市も質が下がったもんね。私たちが現役でやってた頃に副業で作ってた肉料理、忘れたとは言わさないわよ?」 劉宏 「もちろん、思い出の味だからね。でもなかなかあの味に近づかない………」 何霊 「ふっふー。十年早いわねー」 劉弁 「………あの二人、傍から見ると、仲が冷え切ってるとは思えないほど仲良いんだけどなぁ」 霊帝・劉宏:さて、今回のお話は佐久彦が三国志を書き始めた理由ともいえる回でした。       ずばり、霊帝は本当に暗愚だったのか!?       まあ、これに関しては歴史家さんたちからの答えはすでに出ています。とはいえ、史実でも劉宏は政治感覚が鈍くないような描写もあるんですよねえ。西園八校尉なんかがその最たるものです。       というわけで、佐久彦劉宏は起こした行動をかなり好意的に見たものであり、こんな説って面白くない? というようなトンデモ説です。       この辺りが、タイトルに新説と銘打っている所以ですよ。 劉玄:廖化のことです。廖化は蜀の名将なのですが、その戦歴が異様なのです。    黄巾の乱の勃発時に黄巾党としてその名をあげ、二六四年の蜀滅亡まで前線で戦い続けた男です。    黄巾の乱が一八四年なのを考えると、ジャスト八十年を戦場で過ごしています。ここで注目なのが、生まれてから八十年ではなく、戦場で過ごしたのが八十年ということです。    佐久彦三国志はフィクションなので、十代前半の少年少女が戦場で立ち回っていますが、どんなに若くとも十六歳くらいはほしいところです。    そこで佐久彦が考えたのは、『襲名制度』ってやつです。    廖化は本名ではなく、称号のようなもので、劉玄から廖化を受け継いだものが、蜀の滅亡まで戦い抜いたのではないか、という新説です。    まあ、上と同じくトンデモ説なので、あまり深く考えなくてもいいかもしれません。
  • 創作三国志

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  • 新説三国志演義第二巻 黄天の空(中)

    二幕 ⑦軌を一に

    朝 韓金 「ちちうえー。朝だよ起きてー。ご飯できてるよー」 昼 韓金 「ちちうえ、はい、お弁当。一緒に食べよー」 夕 韓金 「ちちうえこれ持ってー。買い物してたら荷物こんなにだよー」 夜 韓金 「ちちうえ、夜ご飯だよー。お風呂も沸いてるよー。先入る?」 黄巾兵たち(………いい加減認めちゃえばいいのに) 今話:キングダムとかで首都に詰めてる重臣たちが戦況報告を受けて一喜一憂するのをやりたかった。 何進:問題児に頭を悩ませる大将軍。 盧植:教え子の意見に満足。 王允:不言実行の男。説明するのが面倒だと感じると黙りがち。 霊帝:若者に一瞬で疑いをもたれてしまうほどにラスボスに向いてない。まあ、帝補正があるからあまりばれないけど。帝を敬っていない人にはこの補正が効かない。袁紹はビビり過ぎたおかげで補正が一瞬無効化された。 袁紹:後に河北一帯を治めるようになる大勢力の党首も若ければ人の子なのです。 阿瓊:淳于瓊のこと。武に聡い。 阿璋:劉璋のこと。政治に聡い。
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