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霊帝

れいてい

霊帝とは、後漢末期の皇帝(生没年156~189年、在位期間168~189年)。
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概要編集

中国後漢の第12代皇帝。姓名は「劉宏」。

章帝の玄孫に当たる。河間王劉開の曾孫。解瀆亭侯劉淑の孫。解瀆亭侯劉萇の子。

正室に宋皇后何皇后

劉弁(後の少帝)、劉協(後の献帝)の父。


即位する前は意外にも地方に暮らす貧乏貴族であったが、族父にあたる先帝の桓帝が崩御の際、桓帝には男子がおらず、そこで同じ河間王家出身であったことから、168年に桓帝の皇后の竇妙、大将軍竇武、太尉(後に太傅)陳蕃らにより擁立された。ちなみに、この時はわずか12歳であった。


だが、朝廷では桓帝の時代から宦官が強い権力を持ち、宦官に反感を抱く竇武と陳蕃らは宦官達を排斥しようと計画するが、逆襲されて罷免されたり弾圧されたりしていた(党錮の禁)。


その間にも異民族の侵攻が活発となり、天候の不順が重なり地方での反乱もたびたび勃発した。朝廷の将軍達はそれらの鎮圧に奔走したが、そうした中でも霊帝本人は政治に関心を抱かず酒と女に溺れ、張譲ら宦官(十常侍)に専断されることとなった。


184年、大賢良師・張角を首領とする黄巾党が一斉蜂起(黄巾の乱)。大規模な反乱により後漢王朝は危機に見舞われたが、何皇后の異母兄の大将軍・何進皇甫嵩朱儁盧植董卓ら地方豪族の協力と、張角の急死により鎮圧に成功した。

しかし、黄巾の乱で朝廷の無力化が露呈し、地方豪族の台頭を許すこととなり各地で反乱を起きるようになる。

だが、これ以降も賄賂がまかり通る悪政が横行し、朝廷内も何進と宦官達の対立が深まるばかりだった。


そして、国内が乱れたまま189年に崩御。後継者を明確に定めていなかったため、崩御後に実子の劉弁と劉協との間で皇位継承争いが起こることとなった。


三国志演義』では、暗愚な皇帝として描かれており、十常侍達の甘言を鵜吞みにして酒や女に溺れた末に身体を壊して間もなく亡くなっている。


余談編集

pixiv内では、横山光輝が描いた三国志(通称「横山三国志」)で、身体を壊して寝込んでいた時に発したとてもつらいと言ったセリフの一コマのコラが投稿されている。


れいていまことてもつらいさんなのだ


「霊帝」とは死後に贈られた諡(おくりな)だが、諡の字面には生前の功績に対する評価が含まれ、この場合の「霊」という字はその評価の低さを表している。

そのあたりの事情を知らないと神秘的で偉大な称号のように見えるので、『スーパーロボット大戦』シリーズでは「ゼ・バルマリィ帝国」の絶対君主として「霊帝」と名乗る人物が登場する(「半裸ショタ」と「真の霊帝」の二名)。


関連タグ編集

三国志 後漢 皇帝

少帝 献帝 何皇后

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