曖昧さ回避
- 古代中国の人物。名を呂尚といい、「斉」の始祖となる伝説の人物(本記事で解説)。
- 中国の古典小説『封神演义』の主人公の通称。
- 1と2を由来とする釣り人の俗称。
- 2を原典とする安能務訳版の小説を元とした、日本の漫画家藤崎竜による少年漫画『封神演義』の主人公。→太公望(封神演義)
- 2を原典とする無双OROCHIシリーズの登場キャラクター。⇒太公望(無双)
- 『Fate/GrandOrder』に登場するサーヴァント。⇒太公望(Fate)
概要
「姜子牙」も参照。
周の軍師。諱は姜尚または呂尚とされる。生涯には伝説が多く、史実は不明な部分が多い。
周の軍師となった経緯が既に伝説である。殷の重臣であった姫昌(後に周王朝の始祖として文王と呼ばれる)はある時、猟に出る前の占いで「獲物ではなく人材を得る」というお告げを受けた。渭水で釣りをしていた呂尚を見て「我が祖父(太公)の代から待ち望んでいた逸材だ」と喜び、軍師に招いた。それゆえ呂尚は人々から太公望と呼ばれるようになったという(『史記』)。この伝説から釣り人の別称を太公望と呼ぶ。
太公望は文王の子である武王(姫発)にも引き続き仕え、殷の紂王を牧野の戦いで討ち破った。この功績により、斉の地に封じられ、その子孫が春秋時代の覇者たる斉国とされる。
子孫たる斉によって神格化され、また『六韜』『三略』といった兵法書の著者とされた。唐王朝に至って前漢の張良と共に兵法の神様として太公廟に祭られている。
唐の第10代皇帝・粛宗は彼に「武成王」の号を贈り、宮廷内にあった太公廟を「武成王廟」に改称。孔子の称号と廟「文宣王」「文宣王廟」と対となるネーミングであり、文宣王廟に孔子の十人の弟子が祀られているのを模して武成王廟には唐代以前の十人の名将「武廟十哲」を合祀した。
第13段目・徳宗の時代に同じく唐代以前の軍事関係者から選出された「武廟六十四将」が祭神に追加された。
北宋時代に合祀メンバーの入れ替えがあったりしたが(この時に人数が74柱から72柱になった)、太公望はしばらくの間「文」の孔子と並ぶ「武」の人物神の頂点として歴代皇帝に祀られる事になる。
しかし明王朝の祖朱元璋が彼から「武成王」の称号を剥奪。武成王廟での祭祀も廃止し、太公望は「王」ではなく臣下たる従者として歴代皇帝を祀る「帝王廟」に祀り直された。
明朝の第12代皇帝・嘉靖帝は帝王廟を北京に移転後、武成王廟を建て直し、国家的祭祀も復興したが、清代になってこの祭祀は再度の廃止を受ける。
明代に書かれた神怪小説『封神演义』において「武成王」の称号は「鎮国武成王」として黄飛虎のものとなった。同じく明代の作品『三国志演義』と関聖帝君信仰を清朝が重んじた事で、「武の人物神」代表の座は、武成王廟においては従神であった関羽にとってかわられることになる。
太公望が活躍する『封神演义』が道教信仰そのものに大きな影響を与えていることもあり、彼が祀られる機会じたいは少なくない。
神像においては『封神演义』において使用した宝貝である打神鞭が代表的な持物となっている。このほか別の宝貝「中央杏黄戊己旗」や巻物(または木簡・竹簡)といったパターンがある。騎獣は『封神演义』で彼が乗った霊獣「四不象」。
六韜三略
太公望が記したとされている。孫子の兵法と並ぶ名著であり、北条早雲や上杉謙信などの戦国武将もこれを読んだ。
〇六韜
⋯孫子と並ぶ兵法書。武経七書❶孫子❷呉氏❸尉繚子(うつりょうし)❹六韜❺三略❻司馬法❼李衛公問対。太公望著、黄石公撰録。北宋・神宗が武科挙の問題に制定。
〇三略
⋯六韜とセット。上略、中略、下略の3つで構成され、此方も太公望著。戦車等が出てくるので後世で読まれたものは偽書とされる。
関連イラスト
関連項目
表記揺れ
封神演义⋯中国の表記