西伯侯であり、後に文王と呼ばれる偉人。
26人の妻と100人の子(実子99人+雷震子)を持つ。
温厚な性格で、的確な判断力を持ち、民からの信頼も厚い。
妲己の策にはまり数年間幽閉され、挙句長男を殺される。その後太公望と出会い彼を西岐に迎える。
伯邑考の死に端を発する拒食症により衰弱、全てを太公望と次男に託し生涯に幕を下ろした。
アニメ版では末子(雷震子)とも再会、指導者としての有能な面も見せている。死因は「長年の幽閉生活で衰弱していた上に、遠征での過労」であり、最終回で亡くなった。
現実世界でも名君として名高く、日本でも「釣れますか などと文王 傍に寄り」などと川柳が読まれている。
史記では伯夷・叔斉という賢人の兄弟が、文王の評判を聞きつけて臣下にくだろうとしたことがあるとされている。しかし、駆け付けた時にはもう文王は崩御しており、太公望に唆されて復讐と改革に燃える武王が即位していた。いかな紂王が暴君だとはいえ、臣下である武王がクーデターを起こしてしまっては元も子もないと二人は進言するが聞き入れられず、最後は周の米を食らうことを良しとせず餓死した。その死を知った太公望は、彼らのことを「義人」と称したという。