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概要編集

英語で「暴君」を表す“tyrant(タイラント)”は、古代ギリシア語の“τύραννος(týrannos:テュランノス)”(「絶対君主」の意、古代ギリシア学上は「僭主」と訳す)に由来する。


暴君は「目的のためなら手段を選ばない」ことができる独裁者であり、専制君主が恐怖政治を敷けば暴君となる。

君主の独裁性が強かったローマ帝国、そしてロシア中国では、歴史的に数多の暴君を輩出している。


ただ暴君は下記のピョートル1世や始皇帝のように有能さも兼ね備えている者も多く、暗君・愚帝とは必ずしもイコールではない。

専制君主が強権をふるって大きな改革を行う場合、守旧派を押し切って強行することが必要になる場合が多く、部下たちの反感を買ったり後世に暴君と評価されやすくなる。

歴史上、君主自身に力がなければ、力のある臣下によって君主権力が乗っ取られるのもままあったことであり、乱世において力ある臣下に厳しく当たることは、君主としてはある程度避けて通れないのである。


基本的には前近代で読み書き出来る人間は少数のエリートであり、比較的識字率が高かった日本やローマ帝国でも上手い文章を書いて後世にまで残せる人間は多く無かった。

例えば、「庶民階級への負担を減らす為に、識字率の高い上流階級の特権を削減、若しくは増税」した君主は国や国民の為を思って有効な施策を実施したとしても暴君扱いされてしまう事もある。


逆に言えば、暗君や愚帝であっても君主自身が大した権力を持っていなければ暴君とはいえない。

この場合であっても、王妃や侍従などに虐待などの非道な行いを行っている君主はありえるが、そのような行為が露見すれば君主の権威は失われ、退位などを強いられることになるだろう。

君主といえども憲法には逆らえない立憲君主制は、理論的には暴君の生まれない制度である。


実在の暴君編集

20世紀以降の君主ではない人物に関してはなるべく独裁者の項にて。

太字は名君でもあるもの。

ヨーロッパ編集

古代ギリシア編集

  • ヒッピアス - アテナイの僭主。父から僭主の座を継いだが弟ヒッパルコスが男関係のもつれで、暗殺されて以降は苛烈な支配を行い追放された。テュランノス=暴君になった主原因の一人。
  • ディオニュシオス1世 - シチリア島シュラクサイの僭主。『走れメロス』で「かの邪智暴虐の王」と言われてるモデルの一人。

ローマ帝国編集

皇帝独裁が確立した帝政期には、暴君・暗君が続出した。

  • ティベリウス - 治世末期元老院と没交渉となり粛清も行った。
  • カリグラ - 病を得てから豹変し常軌を逸した治世を行った。
  • ネロ - おそらく世界で一番有名な暴君(キリスト教徒を厳しく弾圧したためだと思われる)。最近は有能な君主であったと再評価が進んでいる。
  • ドミティアヌス - 綱紀粛正をやりすぎる男として見られ、些細な違反も残虐に罰した。
  • コンモドゥス - 政治を投げ出し自ら剣闘士となった。元老院議員の粛清も行った
  • カラカラ - 共同皇帝の実弟を殺害、自国民を略奪等暴政を行った。
  • ヘリオガバルス - 性的放蕩で知られる皇帝。政治的には暗君。
  • マクシミヌス・トラクス - 元老院と対立、キリスト教の弾圧も行った。

ロシア帝国編集

ここで列挙するのは他の国では暴君扱いされる苛烈な独裁者ばかりだが、ロシア人は強権的な指導者を好む傾向がありロシア国内においては「ロシアを大国にした」として今なお高く評価される場合も多い。

  • イヴァン4世雷帝) - 雷の皇帝と称されるほどの暴君。風貌も悪魔そのもの、ロシアをローマ帝国と同等の国家にする為、全国民を拷問にかけたりした。一方、口論が原因で息子を銃殺してしまいロシア最古のリューリク朝を断絶させてしまったが、こればかりは流石の雷帝も堪えたのか晩年は抜け殻のようだったという。
  • ピョートル1世大帝) - 玉座の革命家といわれる。ヨーロッパ国家並みに見せるために、古きビザンツ的習慣に生きるロシア人をことごとく粛清。身長は2mに達し、歯科医として名医を自称し部下の歯の治療をやりまくっていたため恐れられたとも(ただし、腕は確かだったらしい)。

その他編集

  • フィリップ美男王(フランス王フィリップ4世) - イケメン暴君として有名、血も涙もない美男子
  • ヴラド・ツェペシュルーマニア) - 護国の英雄にして残虐なる暴君。串刺しした敵兵の死体を4km×1kmに渡って並べるなどと言った常軌を逸した行為により、自国民以外には悪魔の子「ドラクル」と恐れられ、ドラキュラの語源となった。ただし、串刺しなどの行動は統治するために必要だったとの擁護論もあり、単なる暴君として扱うのはあまりに不公平である。

アジア編集

中国編集

中国は早くから皇帝に権力が集中したため暴君が多い。

  • 桀王()- 後に夏桀殷紂と併称され、韓非子には「こういう連中は権力者でさえ無けりゃ速攻で打ち首だ」と書かれた。
  • 紂王)- 「酒池肉林」は「史記」上の創作説もある。なお、こちらは孟子に「仁を欠いた者を賊と呼び、義を欠いた者を残と呼ぶ。残賊の者は王者ではなく単なる1人の男に過ぎない。私は、武王が、身分の無いただの人に過ぎない紂を殺したとは聞いた事が有るが、自分の主君だった者を殺したなど聞いた事も無い」と言われている。
  • 始皇帝)- 中国史上最初の皇帝。中国の統一や万里の長城建設、度量衡の統一など多数の改革を実施した実行力をもつが、それは暴君としての性質とも同義であり、儒者などに対して過酷な弾圧を実施したとも語られている。
  • 王莽)- 前漢から皇位を簒奪したばかりか、現実を無視した時代を理想とした儒教至上主義を強行したせいで、内外の混乱を引き起こした。しかしその後、数年も機能し続ける禅譲システムを作った。
  • 董卓後漢) - 皇帝ではないが、三国志においての暴君の代名詞ともいえる群雄。朝廷の混乱に乗じて軍事力で皇帝の後ろ盾となり、権力を掌握した挙句、自らの派閥の一存のみで現・皇帝(少帝)を廃位して献帝を擁立し、都で悪逆非道な振る舞いを公然と行っていた。
  • 袁術(後漢) - 戦乱に乗じて勝手に「仲」王朝を建てて自らを皇帝と自称し、領内の民に重税を強いて贅沢の限りを尽くすが、当然逆賊扱いされて衰退し滅亡する。
  • 孫皓)- 皇族や家臣の粛清のし過ぎで有力な家臣が逃亡する事態を多発させ、国を滅ぼした。暴政の理由は不明であるが、二宮の変による呉の臣下への不信や、中央集権化を目指したという説、果ては自暴自棄だったという説まで語られている。
  • 石虎後趙)- 武芸や軍功は優れていたが、子供のころから部下や下僕を痛めつけては楽しむほど残忍であった。皇帝の座も石弘から無理やり簒奪したものであった。皇帝になってからも周囲との戦争に明け暮れるたり自身の贅沢のために民衆を奴隷のようにこき使ったりするのは序の口で、人間の壁を作ったうえで猛獣を放って部下に狩猟を命じたり、息子を残虐な方法で殺したりもした。ろくな死に方をしそうにもない生き様だったが、死因自体は病死であった。しかし彼の死後2年で国力は疲弊し、皇族同士のすさまじい内ゲバで後趙は滅亡してしまう。
  • 煬帝) - 煬帝という表記自体が「暴君」の代名詞となったほど(ただし、煬帝という諡号が付けられたのは次の王朝である代になってからで「前の王朝を実質的に滅ぼした駄目な君主」として「天に逆らい民をしいたげる」という意味の「煬」という漢字が使われる羽目になった)。運河開削などの功績もあるが、高句麗遠征を繰り返して国家を疲弊させた(ただし開削した運河自体は以降の中国経済の主要動脈となっておりその意義は非常に大きい)。因みに、「煬帝」と言う名前は彼が親王時代に総大将として滅ぼした陳の皇帝に与えた名前である(なお、こちらの煬帝は殺されることなく天寿を全うしている)。
  • 武則天、周(武周)に改号) - 則天武后とも。中国史上唯一の女帝中国三大悪女のひとりとされる。皇位簒奪や一部の政敵へ残虐行為はあったものの、暴君・悪女とするのは独特な統治方法と、そして何より女性で皇帝に就いたことへの反発による不当評価。統治もむしろ概ね善政だった。
  • 海陵王()- 皇族や家臣、ひいては北宋の皇帝の末裔を粛清した挙句、残った女性を後宮に集めては乱交近親相姦もたびたびやっていた。あまりの酷さに部下に殺された後は、皇帝はおろか王族の資格すらないとして、庶人にまで落とされた。代に作られた歴史書「金史」(中国では新しい王朝の義務の1つとして「前の王朝の歴史書を作る」が有る)では「廃帝海陵庶人」(帝位を廃された皇族大夫の資格さえない、ただの庶民、通称は海陵)という名前で記載されている。
  • 洪武帝/朱元璋) - 1380~1398年まで「文字の獄」や「胡藍の獄」で地主や功臣、知識人階級を大虐殺(ウィキペディア「胡藍の獄」参照)。一方で貧農から皇帝にまで成り上がったためか、下層民の辛さをよく知っており、農民などの庶民階級には優しい政治を敷いていた。
  • 崇禎帝()-臣下を全く信用しない悪癖があり、宰相を次々挿げ替えたり敵の流言を信じて功臣の処刑を連発。明は元々傾いており本人は立て直しに尽力したが、最後は臣下の多数から見限られ、明最後の皇帝となった。


日本編集

日本は歴史的に、君主1人に権力が集中した事例は少なく、独裁を敷いた君主は例外に属する。

中世以降では、鎌倉幕府の執権北条時宗、建武政権で親政を敷いた後醍醐天皇、室町幕府の将軍足利義教、織豊期の豊臣秀吉くらいしかいない。

江戸幕府の将軍では独裁的な権力をふるった人物は皆無であるし、近代の歴代天皇もしかりである。


  • 雄略天皇 - 人を処刑することを好み、『日本書紀』では女を責め殺すなどの行為に快感を感じる変質的君主として描かれている。
  • 武烈天皇 - 『日本書紀』には雄略天皇と同じく暴君として描かれている。『古事記』にはそのような記述はないので、『日本書紀』編者が武烈天皇を貶めるために雄略天皇のエピソードを流用したのだと考える向きもある(次代の継体天皇がかなり遠縁のため、継体天皇を擁立した豪族らによる内部反乱が行なわれ、それを正当化するために武烈天皇を貶める記述が行なわれた可能性が指摘されている)。
  • 足利義教 - 室町幕府の権威回復のため日本史上稀なる恐怖政治を敷いた将軍。事実上の後見人であった畠山満隆と僧侶の満済が死去した後は独裁者と化し、些細なことで過酷な処断を行うようになり「悪御所」として悪名高い。また、皇族から一般市民まで身分問わずで被害を受けた事から「万人恐怖」とも呼ばれる。恐怖政治が過ぎて守護大名赤松氏による宴席での騙し討ちを受けて殺害される(嘉吉の乱)。義教の死後、室町幕府は大きく権威を落とし、中央政府としての統制を喪失する。
  • 加藤明成- 陸奥国会津藩の第2代藩主。年貢にも利息をつけたほか商人職人からも課税するなどの悪政を敷いた。幕府へ報告されるのを恐れて家臣を徹底粛清した結果、お家騒動(会津騒動)に発展し、あえなく改易に。
  • 松倉重政・松倉勝家 - 父の重政は4万3千石の禄高の割に合わない島原城の建設、それに伴う過大な課税、キリスト教徒への過酷な弾圧を行った。息子の勝家も人頭税や住宅税などでさらに重税を課したばかりに島原の乱を引き起こし、最終的には武士の名誉は保たれる切腹すら許されずに斬首に処されてしまった。

朝鮮半島編集

  • 光宗(高麗) - 兄弟、従兄弟、古くからの家臣を皆殺しにした。即位後は、有能な統治を行ったが、罪の無い人々を殺害したことから統治後期は、全国で反乱が頻発した。
  • 燕山君(朝鮮王朝) - 最初は普通の君主だったが、即位4年目に実母処刑を知って暴君に変貌。官僚や王族を片っ端から殺しまくり、自らは遊興にふけり国を傾けた。
  • 光海君(朝鮮王朝) - 朝鮮で暴君と言えば燕山君か彼かと言われた程で、暴君として甥の綾陽君と綾陽君を担ぎ上げた義理の母親に内部紛争を起こされ追放された。しかし、暴君とされた事柄については、本当に彼自身の判断で行われたのかという疑念が残る。少なくとも、歴代の朝鮮国王としては現実的な人物で、「自国は軍事力・経済力双方で無茶苦茶に弱いから、強国である日本や後金を極力敵に回さず、低姿勢外交も止む無し」、「豊臣秀吉の侵攻でボロボロになった現況では減税と民政重視の政策を進めざるを得ず、特権階級の贅沢は後回し」と朝鮮の人間にとって、耳に痛い現実をズバズバと直言して、それに沿った政策を強行したので、特権階級視点では暴君ではある。
    • ちなみに平成期になると既に韓国本国でも暴君のイメージは後退しており、韓国ドラマでも「どのような経緯で暴君のレッテルを貼られるようになったか」というテーマで描かれることが主流となった。
  • 英祖(朝鮮王朝)- 一概には暗君・暴君とは言えない面や情状酌量の余地も色々とあるが、世子(王太子/第一王位継承者)を米櫃に閉じ込めて野外に放置して飢え死にさせるという独創的な方法で殺してしまった為に歴史に名を残した人物。なお、この事件は、韓国が誇る名優ソン・ガンホ主演で映画化された。
    • 人物像は「博愛主義者」「他者に対する温かみを滅多に見せない」と真っ二つに評価が分かれる。

南アジア、東南アジア、その他東アジア編集

  • ギャネンドラネパール) - 最後の国王。王宮内乱射事件で兄・ビレンドラ国王と王位継承上位の王族が全て死亡し新国王に就くが、真相はギャネンドラによる宮中クーデターではないかと当初から疑われていた。前国王が進めていた立憲君主制移行を反故にし、21世紀とは思えぬ時代錯誤な独裁的親政に走った。暴政への抵抗は民主派だけでなく、かねてから内戦を起こしていたマオイスト(毛沢東派)まで合流する始末で、共和制移行・王政廃止が決定しギャネンドラは退位に追い込まれた。他王朝では新王朝や新政権を正当化するため最後の君主が暴君・暗君だったと歴史改竄することがあるが、ネパールは国王が実際に暴君だったため王政廃止へ至ったケースといえる。

中東編集

  • ネブカドネザル2世 - バビロン捕囚を決行した王。南ユダの王・ゼデキヤを捕らえ、目の前で彼の子供を殺害させ、さらにゼデキヤの眼を潰して鎖につなぐという処罰を行う。自己崇拝を行わせたり、崇拝を拒んだダニエル達を火の中に投げ込んだりと、旧約聖書でも描写は暴君そのもの。
  • ヘロデ王(ユダヤ王国) - 王位の座を脅かしかねないイエス・キリストが誕生するという預言を聞いて、同世代の多くの嬰児を殺させた。ヘロデの子・ヘロデアンティパスやヘロデ1世も暴君だった。
  • アブー・アル・アッバース - ア・サッファーハ(血を注ぐ者)。アッバース朝創始者。アッバース革命を起こしウマイヤ朝を滅ぼす。革命に協力したシーア派を大量粛清。751タラス河畔で軍と戦い勝利する。

アフリカ編集

  • ンジンガ(アンゴラ) - 女王。国をまとめ葡勢力を駆逐。人肉好きで2日間130人もの子供を食べた事も。600人を粉挽きにしたという逸話もある。「アフリカンクイーンズ:ンジンガ」のタイトルでNetflixのドラマがある。
  • レオポルド2世(コンゴ) - ベルギー王として植民地獲得に熱意を注ぎ、コンゴを私領として手に入れる(ベルギー国家の植民地にならなかったのは議会が植民地獲得に無関心だったため)が、利潤を急に追求しようとしたばかりに労働者の手を切り落とすなどの残虐な統治をした。国内外で非難が高まったことからコンゴをベルギー政府に移譲することを余儀なくされた。
  • ボカサ1世(中央アフリカ) - ナポレオンに憧れて大統領からクーデターで皇帝に即位した。しかし、窮乏する国情に合わない豪華な即位式や、大統領時代からの粛正と放漫な国家運営で財政は破綻寸前となり、たった3年で帝政は終焉を迎えた。

神話・伝説・叙事詩(物語の中)の暴君編集

  • ザッハーク:『シャー・ナーメ
  • ブレス :『ケルト神話
  • ギルガメシュ:『ギルガメシュ叙事詩』…実在したとされる(説がある)王をモデルにした物語の主人公で暴君だった時期があったが、運命の人との出逢いにより改心して名君に成長する。
  • ラムセス2世:『モーセの十戒』…(※)を愛する愛妻家で有名な実在したファラオだが、モーセ出エジプトに語られるユダヤ人を差別して奴隷として扱っていた当時のファラオは、時期的にラムセス2世であるという説がある。しかし、ラムセス2世が暴君であると語られるのは、この『モーセの十戒』の伝説のみであり、ラムセス2世がそのファラオだったのかは定かではない。ただ人気が高い説である為、創作の中ではラムセス2世がその暴君ファラオであると描かれてる作品が多い。

アニメや漫画の中の暴君編集

※キャラクター名の五十音順(太字は実際に君主の座にいるもの)


自称や通称が「暴君」編集

実在の人物・馬編集

商品名編集


関連タグ編集

君主 名君 暗君

尊大


  • ティラノサウルス:和訳すると「暴君トカゲ」。ギリシャ語でティラノは暴君、サウルスはトカゲを意味する(どちらも砕けた表記)。また「暴君」は子供には難しいためか、子供向けの書籍などでは「暴れ者トカゲ」「暴れん坊トカゲ」といった表記が使われる事もある。

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