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オルフェーヴル

おるふぇーゔる

日本の元競走馬・種牡馬。主な勝ち鞍は2011年のクラシック三冠(皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞)・有馬記念、2012年の宝塚記念、2013年の有馬記念。また、凱旋門賞前哨戦であるフォア賞を2連覇し、凱旋門賞では2年連続2着となった。日本競馬史上7頭目となるクラシック三冠馬であり、その気性の激しさから「金色の暴君」などの愛称で知られる。
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ヒーロー列伝No.72

『黄金色の芸術』

目を見張る強さでライバルたちを圧倒しながら、

史上7頭目の快挙となる三冠達成。

抜群の瞬発力と持久力を兼ね備えた栗毛の雄姿は、

まさに芸術。緑のターフを金色に染める。


名馬の肖像2017年宝塚記念

【激情の覇王】

荒ぶる魂は

己を引き裂いてしまうのか

あるいは敵を蹴散らすのか。

危うさの中にこそ

強さは潜むとするならば

それがまさしく彼の姿。


人々を魅了し続ける

表裏一体の王者よ

その激情とともに

世界へと続く覇道を往け。


ウマ娘についてはオルフェーヴル(ウマ娘)


プロフィール

生年月日2008年5月14日
英字表記Orfevre
性別
毛色栗毛
ステイゴールド
オリエンタルアート
母の父メジロマックイーン
5代内のインブリードノーザンテースト4×3
競走成績21戦12勝
管理調教師池江泰寿
生産社台コーポレーション白老ファーム
馬主(有)サンデーレーシング

誕生~デビュー

2008年5月、北海道の白老ファームにて誕生(11世代)。

ステイゴールド、母オリエンタルアート、母の父がメジロマックイーンという血統で、いわゆる「ステマ配合」の馬である(ステマ配合とは、父のステイゴールドと、母の父メジロックイーンの名前からついた通称)。

ちなみに、母のオリエンタルアートには当初ディープインパクトが付けられたが、3度種付けを行い3回とも不受胎だったため、急遽ステイゴールドが付けられたという経緯がある。

馬名はフランス語で「金細工師」を意味する言葉で、両親(ステイゴールドとオリエンタルアート)から連想して名付けられた。


上述の交配の遅れのために遅生まれに加え、生まれた時は比較的馬体が小さかった。ただし馬一倍元気だったとインタビューが残っている。

育成牧場に移った直後は同世代の仔馬たちに対して”いじめられっ子キャラ”だったが、わずか数か月で負けずに馴染んだ。

馬主は一口馬主クラブのサンデーレーシングであり、募集価格は総額6000万円に設定された。

募集時のカタログによれば、一日中遊び相手を探して放牧地を動き回っており、競走へのモチベーションは群を抜いていたという。また、トップアスリートへ育つ資質があるとも評されている。

その後、全兄のドリームジャーニーも所属していた栗東の池江泰寿厩舎に入厩。

担当するのは森澤調教助手。

森澤助手は「入厩当初こそおとなしかったですが、デビューに向けた追い切りを始めた頃から『俺はオルフェーヴルだ!』という感じに自分をしっかり持つ面を見せるようになりました」と苦笑する。強い自我を持つ故に他の馬を自分より先に馬房から出すと不機嫌になり、暴れるため、森澤助手は毎朝30分早く出勤し、甘いもので機嫌をとりながら馬房から1番に出すようにした。


2010年8月、新潟競馬場の新馬戦でデビュー。

サクッと勝利しデビュー勝ちをおさめたものの、関係者は揃って目を剥いた。

オルフェーヴルは、競馬場に付くと気性が豹変。装鞍所で騒ぎ、レース中も斜行し、あげく勝利後に鞍上の池添謙一騎手を振り落とした。結果勝利後の記念撮影が中止となるハプニングを引き起こすなど、ただでは済まない馬だった。

その勢いでオープン特別の芙蓉ステークスへ出走したが、ホエールキャプチャにクビ差で敗れてしまう。

次走のGⅡ京王杯2歳ステークスでも、1番人気でありながら10着と大敗。2歳時代はほとんど良いところなく終わってしまった。

3歳時代

オルフェーヴルの年明け初戦は、GⅢシンザン記念。最後の直線で豪脚を見せるも2着。続くGⅢきさらぎ賞でも3着と、勝ちきれないレースが続いた。


その後、皐月賞への出走権をかけGⅡスプリングステークスへ出走。この時は東日本大震災によって、本来の開催地である中山競馬場が使用できなかった。

そのため、地元の阪神競馬場にて行われたこの競走で、オルフェーヴルは他馬をまとめて差し切りゴールイン。念願の重賞初制覇を飾ると同時に、皐月賞への優先出走権を手に入れた。

皐月賞

2011年4月24日、オルフェーヴルは、クラシック1冠目のGⅠ皐月賞へと出走。

東日本大震災により、本来とは違う東京競馬場で行われたこのレース。

前走で勝利したにもかかわらず、単勝オッズ10.8倍の4番人気と評価は芳しくなかった。

これは全兄のドリームジャーニーが明確に左回りを苦手としていた事、2歳時代に10着と大敗した京王杯2歳ステークスも東京競馬場のレースだった事から東京競馬場代わりが明確にマイナスと判断されていた事によるものだと思われる。

レース前の低評価や、外寄りの6枠12番と言う悪条件を乗り越え、自慢の末脚を見せつけて勝利。1番人気のサダムパテックに3馬身差をつけての完勝であった。

悲願のクラシック制覇を成し遂げたオルフェーヴルは、クラシック2冠目の日本ダービーへと向かった。

日本ダービー

5月29日に行われたGⅠ・日本ダービー

台風の影響により、不良馬場での開催となったこのレース、オルフェーヴルは堂々の1番人気。しかしながら単勝オッズは3.0倍と、圧倒的な人気を誇っていたわけではなかった。

色々と不確定要素が多い中、レースがスタート。

馬場のコンディションから、池添騎手と池江調教師は「外を回るべき」と判断していた。

しかし、第3コーナーで大外に持ち出せず、最後方で迎えた府中の直線。

が、オルフェーヴルはそんな事はお構いなしに爆走。2着のウィンバリアシオンの追撃を振り切り、1着でゴール板を駆け抜けた。

この時、3着のべルシャザールとは、約9馬身もの差をつけていた。


こうして、2冠を制したオルフェーヴルは一旦放牧へ出される。

クラシック3冠へ向け、ファンの期待も高まりつつあった。

菊花賞

秋初戦のGⅡ神戸新聞杯も勝利したオルフェーヴルは、いよいよ牡馬クラシックの最後の1冠、GⅠ・菊花賞へと出走した。

3冠馬誕生への期待か、単勝オッズは1.4倍の1番人気。

前走と比べても馬体が逞しくなっており、確かな「成長」を感じさせる雰囲気であった。

陣営やファンの期待を背に、レースがスタート。

好スタートを切ったオルフェーヴルは、そのまま内側へ向かった。

多少かかる気配を見せたものの、うまく折り合いをつけて好位追走。そして、第3コーナーから仕掛けはじめ、直線へ。

そして、2着のウインバリアシオンに2馬身半の差をつけ、1着でゴールイン。

遂に史上7頭目、ディープインパクト以来6年ぶりとなるクラシック三冠馬の栄光を手にした。ミスターシービー以来28年ぶり史上2頭目の父内国産三冠馬の誕生でもあった。


スタンドからの歓声に迎えられ、感動のウイニングラン。

池添騎手も感無量・・・かと思いきや、オルフェーヴルはまたも池添騎手を振り落した。実況者は「こんな三冠馬は初めてです」「ディープインパクト以来ですが、あの時とはまた違った衝撃がありましたね」などとコメントしている。

ラチに叩きつけられた池添騎手は、直後の勝利騎手インタビューこそ「僕とオルフェーヴルらしい」と苦笑しつつしっかりこなしたが、終わった直後に脇腹を抑えて「痛い...」と呟いている。

ちなみに池添騎手もオルフェーヴルの鞍上にいる間は決して油断できないとわかっており、ガッツポーズはダービーの一度きりである。


こうして、見事クラシック3冠を達成したオルフェーヴルは、グランプリレース有馬記念へ。

昨年のダービー馬エイシンフラッシュや、GⅠ6勝の女傑ブエナビスタ、日本競馬史上初のドバイワールドカップヴィクトワールピサなど、GI馬9頭の豪華メンバーの中で並み居る強豪を抑えての1番人気。

ファンの期待と(馬券的な意味での)人気に応え、ここでも見事な勝利を飾り、ナリタブライアンから実に17年ぶりに3歳にして4冠を制覇。

さらに、兄弟そろっての有馬記念制覇という快挙も成し遂げた。


こうして、オルフェーヴルは2011年の最優秀3歳牡馬並びに年度代表馬に選出された。

4歳時代

阪神大賞典

ネット上では阪神大笑点とあだ名される迷レースである。

古馬となったオルフェーヴルの初戦は、天皇賞(春)のステップレースであるGⅡ阪神大賞典に決定。

単勝オッズは1.1倍という、驚異的な人気であった。

しかし、ここでオルフェーヴルはまたも事件を起こす。

この時には秋のフランス遠征を見据え、調教師から鞍上に対して先行策の指示が出た。

そのため普段後方で壁を作って我慢するレースをするオルフェーヴルは珍しく序盤から2番手につけたが、直線に入ったところで我慢しきれず先頭に立った。

オルフェーヴルはかかりっぱなしで、必死に手綱を引いてペースを抑える騎手の池添の指示を終始無視。結果、向こう正面の直線でオルフェーヴルは逸走してしまった。

故障したかのようにズルズル後退していくその姿に、スタンドからは悲鳴が上がった。しかし他のジョッキーたちはこれを見て色めき立った。

そうして馬群の最後尾まで下がったオルフェーヴルだが、再度馬群を目にすると猛然とそれを追いはじめた。上がり3ハロン36.7秒と言う超ハイペースで追走した

このレースの映像を見てもらえばわかるが、騎手達は皆盛り返したオルフェーヴルを見てあからさまに驚いている。乗っている池添すら「追いかけんのかい!」とツッコみ安藤勝己は思わず「戻ってきた!!」と驚きの声をあげた。

(安藤がレース中に声を上げるのは珍しいため、そのことに驚いた騎手もいた)

そのまま1着かと思われたが、結果はギュスターヴクライに半馬身差2着に終わる。レース後、ギュスターヴクライの鞍上福永祐一は、2着馬がオルフェーヴルであったことに二度見して驚いている。その場面もばっちり残っている。

それはそれとして、あんなアクシデントにもかかわらず2着である。池添騎手が「バケモノです」と語ったのも頷ける。

しかしながら、このレース中の逸走によって、オルフェーヴルには平地調教再審査の制裁が与えられてしまう(これも三冠馬初である)。

天皇賞への出走も、再審査の結果次第という事になった。

天皇賞(春)

その後の再審査では、無事に合格。天皇賞(春)への出走も可能となった。


そして本番の天皇賞(春)では、単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。

が、上がり3ハロン34.0秒とレース中3位タイのペースで追走したものの、全く見せ場なく11着と大敗してしまった。

敗因は未だにはっきりとしないが、再審査等のストレスからくる体調不良(下痢をしていた)、メンコ、硬すぎた馬場で走る気をなくしたという説がある。

(実際にこの時の硬すぎる高速馬場の影響で脚元を故障した馬、春を休養した馬も多く出た)

いずれにせよ三冠馬とは思えないレースであった事だけは確かで、鞍上池添も「負けてはいけない馬を負けさせた」と生涯初めて「騎手を辞めたい」と嘆き、しばらくは悪夢にうなされるほどだった。


そして、オルフェーヴルが次に出走したのは、グランプリレース宝塚記念であった。

宝塚記念

天皇賞(春)からおよそ2か月後、オルフェーヴルはGⅠ宝塚記念に出走した。

ファン投票1位での出場だったが、前走での大敗からか単勝オッズは3.2倍。

そして始まったレース。折り合いがついたままレースを運ぶオルフェーヴル。

最後の直線で一気に差し切り、ルーラーシップなど強敵の追撃もものともせず2馬身差の快勝。史上2頭目の中央4場GI制覇も達成。

オルフェーヴルが抜け出した際、実況者は「三冠馬が復活する! 三冠馬が復活する!」と叫んだ。

長い間スランプが続いたわけではなく、故障で休養していたわけでもなく、たった2回負けただけで復活扱いされてしまうほど、その2回の敗北(特に天皇賞)が衝撃的だったのだ。

「三冠馬、ここにあり」と観客に示したレースであった。

海外遠征

宝塚記念後の7月、オルフェーヴルの陣営はある発表をした。

それは、フランスにて行われる競馬界最高峰のレース凱旋門賞への挑戦。

同じステイゴールド産駒のナカヤマフェスタが凱旋門賞2着であった事からも、日本馬初の凱旋門賞制覇への期待は高まった。

しかし、ここで陣営は凱旋門賞でのオルフェーヴルの騎乗を、主戦騎手である池添謙一ではなく、外国人騎手のクリストフ・スミヨンに依頼。

池江調教師は「凱旋門賞を勝つための苦渋の選択だった」と話している。

ちなみに、池添騎手は凱旋門賞を相当楽しみにしていたらしく、安田美沙子、及び四位騎手との対談では


四位「その前に鞍上のオファーがあるかどうかだね」

池添「大丈夫だと思いますよ。まさか、外人ジョッキーとかは無いですよねぇ」

一同「それは無いですよ(笑)


という話をしていた。

また、池添騎手は過去の凱旋門賞及びフォワ賞のビデオを「穴が空くほど見ている」とも語っていた。( ;ω;)ウッ…


そんな悲喜こもごもの中、8月にオルフェーヴルは帯同馬アヴェンティーノと共にフランスへ飛んだ。

ステップレースのGⅡフォワ賞では、5頭立てという少数の中でキッチリ1着。

ますます凱旋門賞制覇への期待が高まっていた。

凱旋門賞

2012年10月7日、いよいよ第91回凱旋門賞の発走が迫っていた。

日本馬初の快挙に向け、国内の競馬ファンの期待も最高潮に達していた。

しかもこの凱旋門賞では、直前になって有力馬の回避が相次いだ。

日本で海外調教馬として初めてGⅠエリザべス女王杯を連覇し、アイルランドのGⅠアイリッシュチャンピオンステークスも優勝していたスノーフェアリー故障のためレースを回避。

前年度覇者にして、当年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの優勝馬デインドリームも、ドイツ国内で発生した馬伝染性貧血によって移動禁止措置が取られ、出走不可能に。

前年度のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝馬ナサニエルも、熱発により回避するなど、色んな意味でオルフェーヴルにはついている展開となった。

しかし、一般的に不利とされる大外枠からの出走など、不安要素が0とは言えない状態であった。


そして、凱旋門賞がついにスタート。

オルフェーヴルは後方でレースを進めていき、大外を回って直線へ向かう。

迎えた直線で、オルフェーヴルはついに先頭に立ち、後続を突き放した。

この時、誰もがオルフェーヴルの勝利を確信しただろう。



…しかし、ここで思わぬ伏兵がやってきた。

オリビエ・ペリエ騎乗の4歳牝馬ソレミアが、馬群を抜けだしオルフェーヴルに並んだのだ。

そして、残り50m付近でソレミアに差され、結果は2着。

日本馬による凱旋門賞制覇は、またしても成らなかった。

ペリエ騎手曰く「勝てる確信はなかったが、オルフェーヴルは先頭に出ると本気で走るのを止めていた」とのことで、ソラを使い、内にササるなど気性の悪さが出てしまったようだ。

そのため「オルフェーヴルの性格やクセをよく知っている池添が乗っていれば勝っていた」と主張するファンは未だに多い。

当日騎乗していたスミヨン騎手も前走からオルフェーヴルの強さに惚れ込んでおり、このときは相当悔しかった模様。

しかし、3着の馬とは大きな差がついていた。

オルフェーヴルは、本場の馬に遜色ない走りを見せたのである。

池江調教師はインタビューで、「日本の馬が世界トップレベルに居るのは事実だが、自分の技術が世界レベルになかった」と語り、「明日から出直して、何とかこのレースに勝つために戻ってきたい」と、再挑戦を匂わせるかのような話をした。


その後、帰国したオルフェーヴルはGIジャパンカップに出走。

ここでは再び相棒の池添謙一騎手に手綱が戻る。

ロンシャンで後塵を拝したソレミアとのリベンジに加え、牝馬3冠馬ジェンティルドンナとの牡牝3冠馬対決に注目が集まった。


しかし、海外遠征の疲れや乗り替わりの影響もあってか以前よりコントロールが効かず、最後の直線で内ラチに寄ってしまい、後方から道を確保したがったジェンティルドンナのタックルを複数回受けてバランスを崩してしまう(※)。

幸い双方ともケガをすることはなくそのまま競り合ったが、ジェンティルドンナとはハナ差の2着入線。

20分以上に及ぶ審議となったが、結局降着は無く2着で確定した。これは「被害馬の競走能力に重大な影響を与えた場合降着」という当時の規定(翌年1月より現行規定に変更)から、影響は重大とまで言えないと判断されたものと思われる。

しかしオルフェーヴルの手前が替わるほどの接触となったこと、これがなければハナ差が逆転していた可能性が高いこと、何よりジェンティルドンナ鞍上の岩田康誠騎手が危険騎乗として騎乗停止処分になったことから、競馬ファンや評論家などからの意見が紛糾。今もなお火種となっている。

ちなみに、ソレミアは見事に撃沈し13着だった。ロンシャンの重馬場と府中の良馬場では適性がまるで違いすぎたのだろう。


(※ジェンティルドンナの名誉のために記しておくと、本馬は攻撃的な気性難ではなくむしろ落ち着いた気性で非常に操縦性が高い馬であった。その証拠に他の騎手の騎乗時にはこうしたタックルを行ったことはなかった。)


オルフェーヴルはその後、年末の有馬記念を回避し休養。

年明け初戦のGⅡ産経大阪杯を勝利し、宝塚記念、そして再び凱旋門賞を目指し調整が続けられていた。

ところが、宝塚記念を10日後に控えた6月13日、調教中に運動誘発性肺出血(EIPH)を発症していた事が明らかとなった。(過去にはナリタタイシンが菊花賞目前に発症した事が有名で、なんとかぶっつけ本番で出走したところ惨敗してしまい、その後は長い療養へ入ることとなってしまった。)

このため、オルフェーヴルは急遽宝塚記念を回避し、放牧へ出された。

幸い程度は軽かったので遠征計画は予定通り実行されたが、再発の可能性という不安を抱えながらの2度目のフランス遠征となった。

余談だがこの時の遠征では帯同馬のブラーニーストーンに鼻を蹴られフォワ賞の追い切りを延期するアクシデントがあった。

スケジュール変更の影響でスミヨンが追い切りに騎乗できなくなり、フランスに滞在していた藤岡佑介騎手が急遽オルフェーヴルの追い切りに跨った。

日本の池添は「佑介にも乗ってほしくなかった」とは言ったものの、さぞ絶賛するだろうと期待して感想を求めると「いや…?」とあまりに曖昧な答えが返ってきて驚いたという。

オルフェーヴルは無事にフォワ賞を連覇し、凱旋門賞に向けてファンの期待はまたも最高潮に達していた。


ところが、本番の凱旋門賞。

オルフェーヴルは中団でレースを進めたものの、最後に抜け出したフランスオークス馬トレヴを捉える事が出来ず、昨年と同じ2着に敗れた。

そのトレヴの走りは、奇しくも昨年のオルフェーヴルに通ずる物であった。


そして有馬記念

オルフェーヴルは帰国後、ラストランである有馬記念へ向けて順調に調整が続けられた。

遠征の疲れはなく、デビュー以来国内では常に苦楽を共にしてきた池添謙一騎手に手綱が戻る。

そして2013年12月22日、三冠馬のラストランを見ようと中山競馬場には11万人以上の観客が詰めかけた。

1歳下の二冠馬ゴールドシップとはこれが最初で最後の対決となる。

そしてスタートした、第58回有馬記念。オルフェーヴルはいつも通りやや後方でレースを進め、4コーナーでは大外から勢いよく先頭に立った。

一完歩ごとに差は開き、後続を1馬身、2馬身と離していく。

そのまま誰に遮られることもなくゴールに飛び込んだ時には実に8馬身もの差がついていた。

波乱に満ちた三冠馬の競走馬生活は圧勝という有終の美で幕を閉じた。


ちなみに2着に入ったのは、これまでに三度オルフェーヴルの2着を経験してきた同世代ウインバリアシオンだった。


競走成績

2歳新馬 1着

芙蓉ステークス 2着

京王杯2歳ステークス(GⅡ) 10着

シンザン記念(GⅢ) 2着

きさらぎ賞(GⅢ) 3着

スプリングステークス(GⅡ) 1着(阪神開催)

皐月賞(GⅠ) 1着(東京開催)

東京優駿(GⅠ) 1着

神戸新聞杯(GⅡ) 1着

菊花賞(GⅠ) 1着

有馬記念(GⅠ) 1着

阪神大賞典(GⅡ) 2着

天皇賞(春)(GⅠ) 11着

宝塚記念(GⅠ) 1着

フォワ賞(GⅡ) 1着

凱旋門賞(GⅠ) 2着

ジャパンカップ(GⅠ) 2着

大阪杯(GⅡ) 1着

フォワ賞(GⅡ) 1着

凱旋門賞(GⅠ) 2着

有馬記念(GⅠ) 1着


金色の暴君

オルフェーヴルに付けられた愛称の一つ。「暴れん坊将軍」「激情の三冠馬」などとも呼ばれ親しまれてきたが、こちらのインパクトも凄まじい。

暴君というあだ名の理由のひとつは言うまでもなく、時に騎手の言うことを聞かなくなるまでカッとなる気性の荒さにある。

とにかく自分より前を走られるのを極度に嫌うという、ある意味非常に競馬向きの性格をしているのも特徴の一つ。

しかし暴君という異名とは縁遠いとすら思えるようなエピソードもある。

オルフェーヴルが有馬記念を制した時の、池添謙一をめぐる裏話


引退後の生活

引退後、同じステイゴールド産駒でも現役時代より大人しく穏やかになったゴールドシップナカヤマフェスタとは対照的に兄同様の野性的な面を濃く残している。社台SSスタッフでは

など変わらずヤンチャな話題も数多い。


社台SS入りした当初は全兄ドリームジャーニーと近い馬房に入るなどしたが、後には他の牡馬が見えないよう完全シャットアウト機能のある馬房で、その昔ノーザンテーストが使っていた放牧地を与えられている。

毎年夏には池添謙一騎手が会いに行き、軽く撫でる程度に戯れているが22、23年と続けて前脚で素早く蹴られている。

(ノーモーションで素早く飛んでくる蹴りは現役時代に担当だった森澤助手も何度も体験していると書籍のインタビューで答えている)

2年連続で蹴られる人なんている?と驚く池添騎手に対して社台SS側曰く「オルフェに触りに来る人は年間通して池添さんくらいしか来ないので他にはいない」とのこと。よかった。


種牡馬として

とにもかくにも多大な実績を積み、期待に包まれて種牡馬入りしたオルフェーヴル。

現状その種牡馬成績は「流石三冠馬だ」とも「本当に三冠馬か」ともいえる、なんとも彼らしいものになっている。

その状況を一言で「ガチャ種牡馬」と評することも多い。


2歳勝ち上がり率

まず第一はこれである。後述の通り初年度からラッキーライラック阪神ジュベナイルフィリーズを勝ちエポカドーロ皐月賞を親子制覇するなど大当たりを引けばさすがだなと思う所は見せたが、初年度産駒の2歳中の勝ち上がり数が84頭中たったの7頭。

同い年のロードカナロア86頭中30頭なのと比べるととんでもない差であり、三振かホームランかを地で行くような種牡馬成績である。

とはいえ3歳未勝利戦終了までは極端に悪いと言うほどではなかったり、地方からの出戻りが頻発したりする結果最終的な勝ち上がり率は普通の水準なため、最近では晩成と割り切って配合されている様子。


ちなみに全兄のドリームジャーニーは勝ち上がり率こそ優秀だったが、小柄すぎる体格が災いし種付けの成功率が低く、少ない産駒からヴェルトライゼンデやスルーセブンシーズといった活躍馬を出しているもののすでに種牡馬を引退して悠々自適の生活を送っている。

難儀な兄弟である。


これでもなんだかんだでラッキーライラックの阪神JF以降、7年連続で産駒がGI/JpnIを勝っている。「当たれば大きい」事は依然と変わりないようだ。


適性範囲の広さ、ダート馬の多さ

現役時の戦績と比べると距離・馬場ともに産駒の適性が非常に広いのも特徴。芝3600mステイヤーズステークスを勝つ馬もいればダート1200mカペラステークスを勝つ馬もいる。

…というか、初年度以降は明らかに産駒がダートに偏重し始めている。


実際に、芝よりもダートでの成績のほうが勝率・連対率・複勝率ともに上回っているデータがあり、ダート中心で行われる地方競馬でも、ダート戦では不利な牝馬でありながら混合Jpn1であるかしわ記念を制したショウナンナデシコや、東海三冠を達成した名古屋所属のタニノタビトなど、多くの産駒が実績を残している。

また、アメリカ式の赤土のダートにもめっぽう強く、長らく「ここを勝つのはまず無理だろう」と言われ続けていたアメリカのダートGIであるブリーダーズカップ・ディスタフを勝利し日本馬初の海外ダートG1制覇を成し遂げたマルシュロレーヌヴィクトワールピサが勝利したドバイワールドカップはオールウェザーという別の馬場)や、5歳でダートに転向し上がり最速をたたき出しながらG1/Jpn1の東京大賞典川崎記念を勝利し、果てには(ダート開催の)ドバイワールドカップを制覇しダートの頂点に立ったウシュバテソーロなどが代表に挙がるだろう。

近年はあまりにもダートでの戦績が目立ってきたため、オルフェーヴル自身も「実は本質的にはダート馬で、その能力の高さから芝でも圧倒出来てしまった究極のオールマイティーなのでは無いか…?」という声すら上がって来ている(ロンシャンの重馬場にも完全に適応できていたため)。

社台SS曰くオルフェーヴルは様々な地面の固さに合わせて走り方を変える才能を持っているという。


無論、芝の方が不振という訳でもなく、オーソリティシルヴァーソニックなど重賞を勝ちあがる馬を多数輩出し続けている。



気性面

オルフェーヴルを含めた一族の血から気性難のイメージが強くなるが、実態はというと……


  • ロックディスタウン
    • 札幌2歳S(GⅢ)を勝利し産駒初の重賞制覇を達成するが、その後は気性難故になかなか勝てず、2018年NHKマイルカップではパドックで突然立ち上がって背中側へ倒れるというアクシデントを起こす(幸い怪我は無し)。そのときの鞍上は父同様に池添騎手だったため、ネット上では「親父に代わって池添にサマーソルトキックをかまそうとした」などとネタにされるが、実際はオーロラビジョンに驚いただけと思われる。
  • マルシュロレーヌ
    • BCディスタフ勝利後、優勝レイをかけようとしたらサイドステップで逃げる。鞍上のマーフィー騎手が振り落とされそうになったが、なんとか安全に降りた。もっともBCの優勝レイは生花で装飾されたド派手なもので、馬が見慣れない物を警戒するのは自然なことである。
  • シルヴァーソニック
    • 2022年天皇賞(春)にてスタート直後につまづき、いきなり鞍上の川田将雅騎手が落馬。しかし逃げる菊花賞馬タイトルホルダーを、まるで熟練の騎手が乗っているかのような好位に陣取って猛然と追いかけ、カラ馬のまま2位入線(当然失格だが)した……かと思えばいきなりラチを飛び越えて倒れこんだ。あまりに突然の出来事に最悪の結末を考える人も多かったが、しばらくした後にすんなりと立ち上がった。どうやらびっくりして失神しただけだったらしい。翌年のサウジアラビアへ遠征では獣医相手に馬っ気を出して襲いかかろうとしたため、現地でクレイジーホース呼ばわりされた。そんな彼だが2022年のステイヤーズステークス(GⅡ)や2023年レッドシーターフ(GⅢ、サウジアラビア)を勝利して実績を重ねており、色々な意味でオルフェーヴル産駒期待の星となっている。
  • ギルデッドミラー
    • 2022年京王杯スプリングカップにて、スタート直前にゲート内で立ち上がって大出遅れし惨敗。同レースには猛烈に掛かりながらも圧勝メイケイエール直線で大ヨレリフレイムといった一筋縄ではいかない牝馬が揃っていたこともあり、京王杯スリリングカップと呼ばれる羽目に。なお、このレースをきっかけとして陣営は以降ダートへ路線変更することとなった……のだが、これがピタリとハマり、以後は骨折による引退まで全連対牝馬初の武蔵野ステークス制覇を成し遂げた。
  • ウシュバテソーロ
    • ダート転向後快進撃中で、本番では毎回上がり最速を叩き出している一方、レース本番以外では全くやる気を出さない。どのくらいかというと、東京大賞典前の追い切りで馬なりの未勝利馬に先着されるくらい。本番当日もパドックでは仮病でも使っているのかというレベルでダルそうに歩く。レース中も上がり最速で先頭に立つとソラを使った上にゴール板を過ぎたら誰よりも早く減速、さらにドバイワールドカップ勝利後は騎乗したままインタビューを受けていた鞍上の川田将雅を振り落とそうと暴れだし、生中継を行っていたグリーンチャンネルの解説者もこの光景を見て「オルフェーヴルだなぁ」と感嘆の声を漏らしている。

……お察しの通り、父やその兄、そして祖父ステイゴールドのように人の思い通りにはいかないエピソードをいくつも生み出している。流石に気性難ばかりという訳ではなく、ラッキーライラックにも騎乗したスミヨン騎手は「切れ味は父親譲りだが性格は似ていない。オルフェーヴルは僕のように暴れん坊だが、ラッキーライラックは優しい性格だ。」とコメントしている。マルシュロレーヌはアメリカ遠征時に同厩のラヴズオンリーユーや現地のポニーと仲良く過ごしていた。記録レベルで軽い馬体重で有名なメロディーレーンも大人しい性格で知られ、その愛くるしい姿から写真集が出版された程である。


主な産駒

G1/Jpn1馬

ラッキーライラック('17阪神JF、'19/20エリザベス女王杯、'20大阪杯

エポカドーロ('18皐月賞)

マルシュロレーヌ('21BCディスタフ)

ショウナンナデシコ('22かしわ記念)

ウシュバテソーロ('22/23東京大賞典、'23川崎記念、'23ドバイワールドカップ)


その他有名な重賞馬など

シルヴァーソニック('22ステイヤーズステークス、'23レッドシーターフHC、2022年天皇賞(春)での落馬とその後の珍走で有名)

オーソリティ('20青葉賞、'20/'21アルゼンチン共和国杯、'22ネオムターフカップ)

メロディーレーン('21古都ステークス(3勝クラス)、'19菊花賞5着)現時点で重賞勝ちは無いが競走馬として活躍するには異常といえるほどの軽体重で知られ、JRA史上最少馬体重勝利記録を更新、牝馬として初のJRA芝3000m以上の平地重賞全てに出走を果たす等の(重賞獲得以外で)様々な記録を打ち立てている)


母父として

ドゥラエレーデ('22ホープフルステークス)



関連タグ

競馬 競走馬 11世代

ステゴ一族 ステマ配合

ドリームジャーニー:全兄。共に宝塚記念・有馬記念の春秋グランプリ制覇を果たしている。

アッシュゴールド:全弟。オルフェーヴルと瓜二つ。

池添謙一:主戦騎手(2012年・2013年の凱旋門賞を目指してのフランス遠征時の4戦以外で全て騎手を務めている)。代表騎乗馬としてオルフェーヴルと並び2009年に共に春秋グランプリ制覇を果たした全兄ドリームジャーニーも名高いが、2頭の母オリエンタルアートも全23戦中11戦で鞍上を務めており、全3勝は池添騎手によるものという縁もあったりする。



クラシック三冠馬

伝説の


皐月賞

ヴィクトワールピサ(第70回、2010年) → オルフェーヴル(第71回、2011年) → ゴールドシップ(第72回、2012年)


日本ダービー

エイシンフラッシュ(第77回、2010年) → オルフェーヴル(第78回、2011年) → ディープブリランテ(第79回、2012年)


菊花賞

ビッグウィーク(第71回、2010年) → オルフェーヴル(第72回、2011年) → ゴールドシップ(第73回、2012年)


宝塚記念

アーネストリー(第52回、2011年) → オルフェーヴル(第53回、2012年) → ゴールドシップ(第54回、2013年)


有馬記念

ヴィクトワールピサ(第55回、2010年) → オルフェーヴル(第56回、2011年) → ゴールドシップ(第57回、2012年)

ゴールドシップ(第57回、2012年) → オルフェーヴル(第58回、2013年) → ジェンティルドンナ(第59回、2014年)


外部リンク

非公式

netkeiba.com


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