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ウマ娘プリティーダービー』のトーセンジョーダンをモチーフとするウマ娘については

→「トーセンジョーダン(ウマ娘)」の記事へ


概要

2006年生まれの競走馬。主な勝ち鞍は2011年の天皇賞(秋)。この時叩きだした「1分56秒1」は、2023年にイクイノックスが破るまで12年間JRA芝2000mのレコードタイムを保持した。

たびたび裂蹄に苦しめられたこともあり、GⅠ勝利はこれ1つに留まった。


冠名の「トーセン」は馬主の島川隆哉氏の名字音読みによる。

「ジョーダン」はカリフォルニアワインの銘柄と、プロバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンから。


半弟に2012年京都新聞杯GⅡ)勝ち馬トーセンホマレボシ(父:ディープインパクト)がいるほか、従兄に2009年天皇賞(秋)勝ち馬カンパニー(父父・母母・母父が同じため、75%同じ血統)がいる。


プロフィール

生年月日2006年2月4日
英字表記Tosen Jordan
性別
毛色鹿毛
ジャングルポケット
エヴリウィスパー
母父ノーザンテースト
主戦騎手不定(通算30戦で17名の騎手が乗った)
管理調教師池江泰寿(栗東)
馬主島川隆哉
生産ノーザンファーム
競走成績30戦9勝
獲得賞金7億506万円

名馬の肖像

そして極限へ

資質に満ちて

心身ともに絶好

さらに剛腕を迎え

かさねて気強いのは

滔々たる戦いの流れ


それらすべてが

最良のバランスで

絡み合ったとき

極限の爆発力は生まれ

雄叫びが響き渡る

経歴

デビュー~4歳春

2008年、栗東・池江泰寿厩舎からデビュー(2歳)。

新馬戦を落とすも、その後オープン競走のホープフルステークス(現在の2歳GⅠ・ホープフルステークスとは異なる)まで3連勝。


2009年(3歳)は始動戦の共同通信杯で2着惜敗したが、この年のクラシック戦線の有力馬と見られていた。しかし裂蹄によって長期休養を余儀なくされ、クラシック3戦を丸ごと棒に振ってしまった。


2010年(4歳)11月のアルゼンチン共和国杯(GⅡ)で重賞初制覇。2011年(5歳)もアメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)・札幌記念(GⅡ)と順調に重賞勝ちを増やした一方、GⅠへの挑戦では2010年有馬記念5着、2011年宝塚記念9着と結果が出なかった。


2011年天皇賞(秋)

2011年10月30日の東京競馬場、この年の天皇賞(秋)は、2連覇を狙うブエナビスタ、直前のGⅡ毎日王冠の勝馬ダークシャドウ、前年のダービーエイシンフラッシュらが上位人気に挙げられていた。


一方、トーセンジョーダンは7番人気。鞍上はニコラ・ピンナ騎手、この2011年に短期免許でイタリアからやって来た日本では実績のないジョッキーであり、ジョーダンとのコンビで挑んだ同年の宝塚記念は9着に敗れていた。しかも、この10月30日限りで短期免許が切れるという状況で、思い出騎乗に終わるだろうという予想も強かった。


レースはシルポート(2011・12マイラーズカップ二連覇)が逃げを打ち、前半1000mが56秒5という超ハイペースで進む。(参考までに、時代が違うとはいえ、有名な1998年天皇賞秋のサイレンススズカの1000m通過が57秒4である。)

中団に位置をとったトーセンジョーダンは、最終直線に入るや外に持ち出してスパートを開始。じりじりと脚を伸ばして先頭に立ち、ダークシャドウら後続馬の追撃を耐えきって初のGⅠ制覇を果たした。


そして、観衆や関係者が目を疑ったのがその「1分56秒1」という勝ちタイムである。

これは、2008年の同じ天皇賞(秋)でウオッカが記録した1分57秒2を1秒以上更新する、東京競馬場の芝2000mのコースレコードであり、さらにJRA歴代のレースを見渡しても、2001年7月に新潟競馬場で記録された1分56秒4を更新する最速記録であった。

このレコードは、2023年10月29日にイクイノックスが更新(1分55秒2)するまで12年間保持された。


その後~引退

次走となったジャパンカップは、ブエナビスタに雪辱を許すものの2着。年末の有馬記念は5着。


2012年(6歳)、秋春連覇がかかった天皇賞(春)は、ビートブラックに4馬身差をつけられ2着に終わった。その後、馬券に絡んだのは2013年(7歳)のジャパンカップ(3着)が最後で思うように結果を残せず、8歳まで現役を続けた2014年のジャパンカップを最後に引退した。


引退後は種牡馬となっていたが、2023年を持って引退。

現在5世代が走ってシルブロン(ダイヤモンドステークス3着)が唯一のオープン馬と目下のところ大苦戦中である。


特徴・気質

現役時代は非常にゴツゴツとした牡馬らしい体つきだった(引退後は肥えて丸くなってきた)。爆発的な瞬発力には欠けるが、じわじわと脚を使って粘り腰をみせる根性型の走りを得意とした。

故に、GⅠ級レースで駆け引きのできる馬ではないとも見られていた。しかし、JRAレコードを叩きだした天皇賞(秋)は、全体が超ハイペースで進み、その結果終盤に多くの馬の脚が鈍っていった展開がジョーダンに味方したとも分析されている。


蹄が脆く裂蹄に悩まされ、3歳時には世代有力馬と目されながらクラシック戦を棒に振り、2012年にも再発して連覇のかかった天皇賞(秋)がぶっつけ本番で敗北の憂き目を見た。


先輩のドリームジャーニーの引退後、池江泰寿厩舎のボスの座を継承し、さらには栗東トレーニングセンター全体に君臨。2009年頃から引退までの約5年間栗東の馬社会を支配した伝説のボス馬となった。(池江厩舎の後輩に「金色の暴君」オルフェーヴルがいたが、俺様気質ではあったもののボスとしては認められていなかった様子)

単にケンカっ早いだけでそんな地位が長期間保てるわけはなく、ジョーダンは周囲に睨みをきかせつつも自分からケンカはせず、人間の言うことはよく聞いて事を荒立てない、冷静で頭のよいボスだったという。池江調教師曰く「小学校の生徒会長」とのこと。


ゴールドシップとの関係

人気馬ゴールドシップの奇行の数々に関するテンプレで「トーセンジョーダンを見かけると必ず蹴りに行く」というのがある。


ゴルシはジョーダンより3歳も年下であるが、他の馬に対する好き嫌いが激しく、年齢差ごときで大人しくしているような性格の馬ではなかった

一説では、栗東のボスとして君臨していたジョーダンが、生意気な若造という感じで入ってきたゴルシを一喝して以来恨みを持たれていた。とも言われている。


ゴルシを管理した須貝尚介調教師は、「トーセンジョーダンとは坂路脇の運動場が一緒だったが、ジョーダンを見るとそれだけで暴れていた」と証言している。


また、トーセンジョーダンがジェンティルドンナの3着に入った2013年ジャパンカップにて、ゴールドシップは15着惨敗。クラシック戦線からコンビを組んでいた内田博幸の騎手交代を招いたが、次走の有馬記念で内田はトーセンジョーダンの鞍上を務めゴルシの前に現れたという因縁もある(結果はゴルシ3着、ジョーダン14着)。


関連項目

競馬 競走馬 天皇賞

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