経歴
厩舎開業以前
1969年1月13日、京都市で生まれ、ほどなく栗東トレーニングセンターが開設された滋賀県栗東町(現在の栗東市)に引っ越した。
父は騎手、のち調教師としてメジロマックイーン・ステイゴールド・ディープインパクトなどを管理調教した池江泰郎、叔父はオグリキャップの担当厩務員として知られる池江敏郎、いとこに泰郎厩舎所属の調教助手・池江敏行と、一族には競馬関係者が多い。
武豊とは金勝小学校で同級生であり、ともに騎手を目指す仲だったが、泰寿は栗東中学校在学時に大きく身長が伸びてしまい、騎手の夢を諦めざるを得なかった。
東山高等学校・同志社大学を卒業。
1993年、JRAの浅見国一厩舎(栗東)で調教厩務員を経て調教助手となる。
1994年、池江泰郎厩舎に移籍。ステイゴールドの調教助手などを担当した。
1995年、イギリスに渡りマイケル・スタウト厩舎(ニューマーケット競馬場)で調教助手を勤める。
1996年、アメリカに渡りニール・ドライスデール厩舎(カリフォルニア州)で調教助手を勤める。
2003年、調教師免許を取得。
調教師時代
2004年、調教師として栗東トレーニングセンターに厩舎を開業し独立。挨拶回りにいった白老ファームでドリームジャーニーを管理することとなった。父・泰郎がドリームジャーニーの父ステイゴールド、母父メジロマックイーンを管理しており、池江には縁の深い血統である。
2006年、ドリームジャーニーが朝日杯フューチュリティステークスを制し、厩舎初の重賞・GⅠ制覇。
2010年、ドリームジャーニーの全弟・オルフェーヴルの管理を任される。
2011年、父・泰郎が定年退職。トゥザグローリー・バーディバーディ・ダノンバラードなど、管理馬の一部を引き受けた。オルフェーブルがクラシック三冠を達成し、ディープインパクトを管理した父・泰郎とともに、史上初の親子で三冠馬を管理した調教師となった。
※有馬記念では、厩舎として最多の4勝を挙げている(2009年ドリームジャーニー、2011・13年オルフェーヴル、2016年サトノダイヤモンド)。
主な管理馬
※基本的にGⅠ・JpnⅠ競走勝ち馬のみ記載
ドリームジャーニー:2006~11(朝日杯フューチュリティステークス、宝塚記念、有馬記念)
オルフェーヴル:2010~13(皐月賞、東京優駿、菊花賞、宝塚記念、有馬記念2回)
ラブリーデイ:2012~16(宝塚記念、天皇賞秋)
サトノダイヤモンド:2015~18(菊花賞、有馬記念)
ペルシアンナイト:2016~21(マイルチャンピオンシップ)