概要
旧八大競走に数えられる。
「天皇杯」は他の様々な競技で行われるが、「天皇賞」は競馬だけで同界隈で「盾」といえば一般的に天皇賞を指す。
春開催の天皇賞(春)は京都競馬場芝3,200mコース(2021年・2022年は京都競馬場の改修工事の為阪神競馬場で代替開催)、秋開催の天皇賞(秋)は東京競馬場芝2,000mコースで行われる。
1937年(昭和12年)秋の「帝室御賞典競走」を第1回天皇賞としている。
優秀な内国産繁殖馬の選定を目的に、外国産馬やセン馬の出走を認めてこなかったが、
2000年に外国産馬、2008年にセン馬の出走が認められた。
1981年に廃止されるまで勝ち抜き制が採用されていたため、一度勝利すると出走資格を失い、その後の目標となる大レースが有馬記念しか存在しなかったが、同年創設されたジャパンカップを含める形で古馬の競走体系が整備される。
1984年にグレード制の導入とスピード競馬への移行に伴い、秋の天皇賞が2000mに短縮。コース形態を巡る諸問題(後述)を抱えながらも、同年G1競走に位置付けられた宝塚記念を加え、現在に至る古馬の中長距離路線が確立される。
天皇楯
天皇賞の優勝賞品として知られるのが天皇楯である。
天皇賞の前身である帝室御賞典より皇室から賞品を下賜されるのが慣例であった。とりわけ御賞典創設当時は明治天皇が下賜されており、その賞品は主だって銀杯が多かった。現在競馬博物館にその賞品である銀杯が展示されている。御賞典は拝領する側にも相応のマナーが必要とされ、馬主や関係者は拝領式の際、正装で臨むこととされていた。
そんな銀杯も第二次大戦直前の1937年に、御賞典は年2回までとする通達を行うほか、いよいよ太平洋戦争直前になると連合国からの経済封鎖のあおりを受けて物資不足・金属統制により賜品に出せる余裕もなくなってしまったため、1941年よりこれまでの銀杯から木製の優勝楯に賜品が改められた。現在競馬業界で天皇賞を「盾」もしくは「楯」と呼ばれるのはこのためである。
その楯には「競馬恩賞」が記されており、この楯を戴くのはかつての銀杯と同じく大きな名誉とされている。現在も表彰式で優勝馬主がこの楯を拝領する際、前述の正装からの慣例で白手袋を着用することとなっている。
1944年春から1947年春までは戦争の激化と終戦直後の混乱により天皇賞が中止されたこともあって下賜も中止されていたが、1947年秋の競走の前日に皇室から天皇楯の下賜が決まり、天皇楯はこれ以降持ち回り制となり、その後各馬主にレプリカ楯が贈られることとなる。
1983年までの歴代優勝馬一覧
春秋いずれもグレード制導入前の1983年まで記す。馬の太字は最優秀古馬牡馬・牝馬受賞馬。騎手の太字は騎手・調教師顕彰者。
※競走名は第14回まで「帝室御賞典」、第15回は「平和賞」、第17回以降は「天皇賞」。
回 | 年 | 馬名 | 騎手 | 備考 |
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昭和 | 創設。鳴尾・東京芝3200mで施行 | |||
第1回 | 1937秋 | ハツピーマイト | 田中朋次郎 | 秋の初代天皇賞勝ち馬。 |
第2回 | 1938年春 | ハセパーク | 金者斤奉 | 春の初代天皇賞勝ち馬。鞍上の金者は騎手兼調教師で勝利。 |
第3回 | 1938年秋 | ヒサトモ | 中島時一 | 牝馬初の天皇賞制覇。前年ダービー馬。鞍上の中島は騎手兼調教師で勝利。 |
第4回 | 1939年春 | スゲヌマ | 伊藤正四郎 | |
第5回 | 1939年秋 | テツモン | 保田隆芳 | 保田隆芳初勝利。 |
第6回 | 1940年春 | トキノチカラ | 岩下密政 | 菊池寛所有馬。 |
第7回 | 1940年秋 | ロツキーモアー | 小西喜蔵 | クモハタ2着。 |
第8回 | 1941年春 | マルタケ | 清水茂次 | シンザン母父。鞍上の清水は騎手兼調教師で勝利。 |
第9回 | 1941年秋 | エステイツ | 田中康三 | |
第10回 | 1942年春 | ミナミモア | 佐藤邦雄 | |
第11回 | 1942年秋 | ニパトア | 新屋幸吉 | 牝馬。 |
第12回 | 1943年春 | グランドライト | 阿部正太郎 | 鳴尾競馬場最後の天皇賞馬。 |
第13回 | 1943年秋 | クリヒカリ | 小西喜蔵 | セントライト半弟。前年皐月賞馬。 |
春の競走を京都競馬場に変更 | ||||
第14回 | 1944年春 | ヒロサクラ | 渋川久作 | 能力検定競走として施行。クリフジは熱発で回避。この年をもって太平洋戦争激化・終戦後の混乱もあり3年間中止となる。鞍上の渋川は騎手兼調教師で勝利。 |
第15回 | 1947年春 | オーライト | 元石正雄 | セントライト産駒。 |
第16回 | 1947年秋 | トヨウメ | 石毛善衛 | |
『天皇賞』と改称。 | ||||
第17回 | 1948年春 | シーマー | 長浜彦三郎 | |
第18回 | 1948年秋 | カツフジ | 近藤武夫 | |
第19回 | 1949年春 | ミハルオー | 土門健司 | |
第20回 | 1949年秋 | ニユーフオード | 保田隆芳 | |
第21回 | 1950年春 | オーエンス | 土門健司 | 鞍上の土門は初の春天連覇。 |
第22回 | 1950年秋 | ヤシマドオター | 保田隆芳 | 鞍上の保田は初の秋天騎手連覇。 |
第23回 | 1951年春 | タカクラヤマ | 橋田俊三 | |
第24回 | 1951年秋 | ハタカゼ | 保田隆芳 | 鞍上の保田は史上唯一の秋天騎手3連覇。 |
第25回 | 1952年春 | ミツハタ | 渡辺正人 | |
第26回 | 1952年秋 | トラツクオー | 小林稔 | |
第27回 | 1953年春 | レダ | 佐藤勇 | 牝馬。牝馬初かつ史上唯一の春の天皇賞制覇。 |
第28回 | 1953年秋 | クインナルビー | 境勝太郎 | 牝馬。オグリキャップの5代母。 |
最優秀古馬牡馬・牝馬設置 | ||||
第29回 | 1954年春 | ハクリヨウ | 安田隆芳 | |
第30回 | 1954年秋 | オパールオーキツト | 中村広 | 牝馬、天皇賞として初の外国産馬かつ地方競馬出身馬の勝利。 |
第31回 | 1955年春 | タカオー | 古山良司 | |
第32回 | 1955年秋 | ダイナナホウシユウ | 上田三千夫 | 前年二冠馬。 |
第33回 | 1956年春 | メイヂヒカリ | 蛯名武五郎 | 前年菊花賞馬、同年初代有馬記念優勝、顕彰馬 |
第34回 | 1956年秋 | ミツドフアーム | 保田隆芳 | 2頭目の外国産馬勝利。 |
第35回 | 1957年春 | キタノオー | 勝尾竹男 | 前年菊花賞馬。 |
第36回 | 1957年秋 | ハクチカラ | 保田隆芳 | 前年ダービー馬。同年有馬記念優勝、顕彰馬 |
第37回 | 1958年春 | オンワードゼア | 野平好男 | |
第38回 | 1958年秋 | セルローズ | 石毛善衛 | 牝馬。 |
第39回 | 1959年春 | トサオー | 野平祐二 | |
第40回 | 1959年秋 | ガーネツト | 伊藤竹男 | 牝馬。 |
第41回 | 1960年春 | クリペロ | 保田隆芳 | |
第42回 | 1960年秋 | オーテモン | 野平好男 | |
第43回 | 1961年春 | ヤマニンモアー | 浅見国一 | |
第44回 | 1961年秋 | タカマガハラ | 加賀武見 | 地方出身馬。 |
第45回 | 1962年春 | オンスロート | 山岡忞 | |
第46回 | 1962年秋 | クリヒデ | 森安弘明 | |
第47回 | 1963年春 | コレヒサ | 森安重勝 | |
第48回 | 1963年秋 | リユウフオーレル | 宮本悳 | |
第49回 | 1964年春 | ヒカルポーラ | 高橋成忠 | |
第50回 | 1964年秋 | ヤマトキヨウダイ | 梶与志松 | |
第51回 | 1965年春 | アサホコ | 加賀武見 | |
第52回 | 1965年秋 | シンザン | 栗田勝 | 前年三冠馬初制覇。顕彰馬。 |
第53回 | 1966年春 | ハクズイコウ | 保田隆芳 | |
第54回 | 1966年秋 | コレヒデ | 保田隆芳 | 鞍上の保田は史上初の天皇賞騎手春秋制覇。 |
第55回 | 1967年春 | スピードシンボリ | 野平祐二 | その後1969年有馬記念・1970年宝塚記念・有馬記念優勝。顕彰馬。 |
第56回 | 1967年秋 | カブトシロー | 久保田秀次郎 | |
第57回 | 1968年春 | ヒカルタカイ | 野平祐二 | 天皇賞史上唯一の大差勝ち。鞍上の野平は史上2人目の春天騎手連覇。 |
第58回 | 1968年秋 | ニットエイト | 森安弘明 | |
第59回 | 1969年春 | タケシバオー | 古山良司 | 同年スプリンターズS優勝、顕彰馬 |
第60回 | 1969年秋 | メジロタイヨウ | 横山富雄 | |
第61回 | 1970年春 | リキエイカン | 高橋成忠 | |
第62回 | 1970年秋 | メジロアサマ | 池上昌弘 | |
第63回 | 1971年春 | メジロムサシ | 横山富雄 | |
第64回 | 1971年秋 | トウメイ | 清水英次 | 牝馬。同年有馬記念優勝。 |
第65回 | 1972年春 | ベルワイド | 加賀武見 | |
第66回 | 1972年秋 | ヤマニンウエーブ | 福永洋一 | |
第67回 | 1973年春 | タイテエム | 須貝彦三 | 「無冠の貴公子に春が訪れます」の実況で知られる。 |
第68回 | 1973年秋 | タニノチカラ | 田島日出雄 | タニノムーティエ半弟。 |
第69回 | 1974年春 | タケホープ | 嶋田功 | ハイセイコーは6着。 |
第70回 | 1974年秋 | カミノテシオ | 加賀武見 | |
第71回 | 1975年春 | イチフジイサミ | 郷原洋行 | 前年二冠馬キタノカチドキを破る。 |
第72回 | 1975年秋 | フジノパーシア | 大崎昭一 | |
第73回 | 1976年春 | エリモジョージ | 福永洋一 | |
第74回 | 1976年秋 | アイフル | 嶋田功 | |
第75回 | 1977年春 | テンポイント | 鹿戸明 | TTGの一角で、同年有馬記念優勝。顕彰馬 |
第76回 | 1977年秋 | ホクトボーイ | 久保敏文 | トウショウボーイ5着、グリーングラス7着。 |
第77回 | 1978年春 | グリーングラス | 岡部幸雄 | TTG一角。1976年菊花賞馬、1979年有馬記念優勝。 |
第78回 | 1978年秋 | テンメイ | 清水英次 | 第64回優勝トウメイ産駒。史上唯一の天皇賞母子制覇。 |
第79回 | 1979年春 | カシュウチカラ | 郷原洋行 | |
第80回 | 1979年秋 | スリージャイアンツ | 郷原洋行 | フジノパーシア半弟。ラストラン。鞍上の郷原は2人目の天皇賞春秋騎手制覇。 |
第81回 | 1980年春 | ニチドウタロー | 村本善之 | 現阪神競馬場で施行。 |
第82回 | 1980年秋 | プリテイキャスト | 柴田政人 | 牝馬。逃げ切り勝ちかつ牝馬で3200m天皇賞を制した最後の馬。 |
ジャパンカップ創設、秋の施行時期変更 | ||||
第83回 | 1981年春 | カツラノハイセイコ | 河内洋 | 1979年ダービー馬。 |
第84回 | 1981年秋 | ホウヨウボーイ | 加藤和宏 | |
第85回 | 1982年春 | モンテプリンス | 吉永正人 | |
第86回 | 1982年秋 | メジロティターン | 伊藤正徳 | 第62回優勝メジロアサマ産駒。 |
第87回 | 1983年春 | アンバーシャダイ | 加藤和宏 | |
第88回 | 1983年秋 | キョウエイプロミス | 柴田政人 | 最後の東京3200m天皇賞優勝。 |
主な記録
旧八大競走時代「盾男」と称されたのが保田隆芳である。保田は通算10勝(春3勝、秋7勝)と後年武豊が2008年に11勝目を挙げて抜かれるまで最多記録を保持していた。加えて保田は前身の帝室御賞典・秋を1勝しており、この帝室御賞典の1勝を加えれば秋8勝となる。なお武豊は2024年までに、春8勝、秋7勝の計15勝しており、特に春の8勝は現在同一G1レースにおける最多勝利記録である。そのため「平成の盾男」と呼ばれる。
関連タグ
春の古馬三冠レース(春古馬三冠)として、大阪杯がGⅠに昇格した2017年に確立された。
後述する秋古馬三冠と同じく3連勝すればボーナスとして内国産馬の場合はボーナス2億円、外国産馬の場合はボーナス1億円が贈られる。
現在これを達成した馬はいない。
秋の古馬三冠レース(秋古馬三冠)で、2000年からこれらを3連勝するとボーナスが贈られることになった。
現在達成すれば内国産馬の場合はボーナス2億円、外国産馬の場合はボーナス1億円が贈られる。
達成した馬はテイエムオペラオー(2000年)とゼンノロブロイ(2004年)の2頭のみ。
(皇室・王室関係)
1955年から1990年までの春の天皇賞は、昭和天皇の誕生日である同日に多く施行されていた。