ホクトボーイ
ほくとぼーい
1973年
4月22日、日進牧場で誕生。
1975年
森滋(金森森商事)が馬主となり、栗東の久保道雄厩舎に入厩。
10月5日、久保敏文騎手を鞍上に京都競馬場の3歳新馬戦(芝1200m)でデビュー。タカミオーラの3着に敗れる。
11月2日、京都競馬場の3歳未勝利戦(ダート1400m)に出走し、初勝利。
11月22日、白菊賞(1勝クラス)に出走し、ヤマニンイブヒロの13着に敗れる。
1976年
3月28日、阪神競馬場の条件戦(300万下)に出走し、ユウホープの2着に敗れる。
5月3日、アイリス賞(300万下)に出走し1着。
5月23日、白藤賞(600万下)に出走し1着。春のクラシック・レースへの出走は叶わなかった。
10月2日、ムーンライトハンデキャップ(900万下)に出走しレコード勝ち。オープン馬となる。
11月14日、菊花賞に出走し、グリーングラスの17着に敗れる。
12月5日、セントウルステークス(1300万下)に出走し1着。
12月26日、阪神大賞典に出走し1着。重賞初勝利。
1977年
1月23日、日本経済新春杯で始動。ホースメンホープの2着に敗れる。その後、勝てないレースが続く。
6月5日、宝塚記念に出走し、トウショウボーイの5着に敗れる。出走頭数は6頭だけだったが、勝ったトウショウボーイをはじめ、グリーングラス、アイフル、クライムカイザー、テンポイントと、ホクトボーイを除いて全て八大競走優勝馬であった。
9月25日、朝日チャレンジカップに出走し1着。重賞2勝目となった。
11月6日、京都記念(秋)に出走し1着。重賞3勝目となった。天皇賞出走のため初の関東遠征に出る。
11月27日、天皇賞(秋)(当時は芝3200m)に出走し1着。八大競走優勝馬となる。
1978年
2月19日、京都記念(春)で始動。エリモジョージの3着に敗れる。
3月26日、鳴尾記念に出走し、エリモジョージの2着に敗れる。
12月17日、有馬記念に出走し、カネミノブの14着に敗れる。この年はオープン戦で3勝を挙げたのみに終わった。翌年も現役続行となる。
1979年
1月21日、日経新春杯で始動。スズカシンプウの3着に敗れる。
5月6日、スワンステークスに出走し1着。久しぶりの重賞勝利となった。
6月3日、宝塚記念に出走し、サクラショウリの8着に敗れる。
12月16日、有馬記念に出走し、グリーングラスの5着に敗れる。このレースを最後に引退。
1980年
谷川牧場で種牡馬となる。血統の良さから人気を集めた。主な産駒にダイテンスパルタ、ワイドガールなど。
1987年
10月5日、病死。