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グリーングラス
3

グリーングラス

3

ぐりーんぐらす

1973年生まれの競走馬。同世代のトウショウボーイ・テンポイントと共に「TTG」と呼ばれる三強を築いた名馬で「緑の刺客」と呼ばれた。(1973~2000)

第三の男


一流の脚本家は

"赤""白"かという

単純な二項対立を好まず

第三の要素である"緑"を

彩りとして用意する


優れた語り部は

終止符が打たれたあと

その"緑"を主役に据えた

続編を紡ぎ出して

伝説に厚みをもたらす


≪「名馬の肖像」2021年有馬記念≫


※馬齢は2000年以前の旧表記で記載する。


生涯

1973年4月5日生まれ。

父インターメゾ、母父ニンバスという血統である。

父のインターメゾは母父としてもサクラスターオースーパークリークを輩出しており、グリーングラスを含めて3頭共菊花賞を勝利している。


当初は3歳にデビューする予定だったが、肺炎になってしまったことで3歳時は走れなかった。

馬主・半沢吉四郎氏の勝負服は『白・赤たすき・青袖』で、90年代後半に活躍したグラスワンダーは吉四郎氏の弟・信彌氏が所有したため、同じ勝負服である。


4歳(1976年)

1976年1月31日の新馬戦でデビューするも4着。このレースの1着は、「TTG」の一角となるライバルトウショウボーイで、5着には、トウショウボーイとの間に三冠馬ミスターシービーを産むシービークインがいたことから、「伝説の新馬戦」と呼ばれる。


しかしその後は2戦目も4着。3戦目の未勝利戦でようやく初勝利を挙げるも、4戦目はまたも4着。NHK杯(NHKマイルカップの前身競走。1984年にGⅡに格付け)に出走するが、12着に惨敗。この頃、デビュー戦で戦ったトウショウボーイは既に皐月賞を勝ち、日本ダービーでも2着に入るなどクラシック戦線の主役へと駆け上がっていたが、グリーングラスは大きく水をあけられていた。

デビュー以来の騎手だった郷原洋行に代わり、安田富男が騎乗したあじさい賞でようやく2勝目。

その後は岡部幸雄が騎乗したマーガレット賞は2着。再び安田に戻った中距離ハンデキャップも2着。鹿島灘特別を勝って3勝目を挙げた。


そして、クラシック最後の一冠・菊花賞へ。獲得賞金がギリギリだったため、文字通り滑り込みでの参戦だった。

新馬戦以来の対決となるトウショウボーイ、トウショウボーイを抑えてダービーを制したクライムカイザー、そしてクラシックこそ勝ててないが関西の期待馬で「TTG」の一角となるテンポイントが人気を集めていた中、グリーングラスは12番人気であった。


トウショウボーイを抜き去ったテンポイントを内から差し切り、2馬身差を付けて勝利。

2着にテンポイント、3着にトウショウボーイが入り、「TTG」時代の幕開けとなった。

また、鞍上の安田はこれが結果として八大競走唯一の勝利となった。


その後、有馬記念には登録せず、菊花賞が4歳最後のレースとなった。


5歳(1977年)

1977年は、アメリカジョッキークラブカップ(現【GⅡ】)から始動しレコード勝ち。菊花賞の勝利がまぐれでないことを証明した。

続く目黒記念(春)(現【GⅡ】。1983年までは年2回開催だった。)は2着だった。


春の目標だった天皇賞(春)に出走。しかし、テンポイントに雪辱されて4着に終わった。

宝塚記念は二度目となるTTG揃い踏みとなり、1着トウショウボーイ、2着テンポイント、3着グリーングラスだった。

鞍上が嶋田功に代わった日本経済賞(現「日経賞」【GⅡ】)はレコード勝ち。


秋の目標だった天皇賞(秋)(1983年までは春と同じく3200m)はトウショウボーイとの2強対決と騒がれたが両者共倒れとなりグリーングラスは5着に沈んだ。(勝ったのは宝塚記念で5着だったホクトボーイ。)


有馬記念はトウショウボーイの引退レースとなったため、これがTTG最後の揃い踏みとなった。

優勝はテンポイント、2着がトウショウボーイ、3着にグリーングラスが入り、最後の三強対決もTTGが上位を独占した。


6歳(1978年)

年明け初戦は、前年に続いてアメリカジョッキークラブカップに出走したが2着。なお、同日(1月22日)に京都競馬場で行われた日経新春杯(現【GⅡ】)でテンポイントが骨折で競走中止となり、その後闘病の末死亡した。

TTの2頭がターフを去ったことでグリーングラスがいよいよ天下を取るかと思われたが、この頃からグリーングラスは脚部不安に悩まされることとなる。

次のオープン戦からはマーガレット賞以来となった岡部幸雄が主戦騎手となる。そのオープンは前年の菊花賞馬プレストウコウに敗れ3着。


三度目の挑戦となった天皇賞(春)は、最後の直線でに先頭に立つと、カシュウチカラとトウフクセダンの追撃を凌いで逃げ切り勝ちを収め、前年獲れなかった天皇賞を三度目の正直で手に入れた。なお、プレストウコウは2周目の向正面で鞍ズレが発生して競走中止になるという不運に見舞われている。


続いては宝塚記念に出走。

エリモジョージ・ホクトボーイも出走し、天皇賞馬3頭による三つ巴の争いとなった。

結果はエリモジョージが優勝。グリーングラスは2着で3着がホクトボーイと、天皇賞馬が上位を独占した。


秋は脚部不安により有馬記念のみの出走となった。

メジロイーグル(メジロパーマーの父)が逃げるがスローペースに翻弄され、カネミノブの6着に敗れ、NHK杯以来掲示板から漏れた。


7歳(1979年)

7歳になった1979年も現役を続行するが、ますます脚部不安に苦しめられた。

3年連続の出走となったアメリカジョッキークラブカップは2着。続く宝塚記念は3着。勝った馬はどちらも前年のダービー馬サクラショウリだった。

秋のオープン戦は2着となった。


そして、有馬記念を最後に今季限りでの引退を表明した。

岡部がハツシバオー(顕彰馬タケシバオーの産駒)に騎乗するため、大崎昭一が騎乗した。

メジロファントムの追撃を凌ぎ切り、ハナ差で優勝。トウショウボーイもテンポイントも叶わなかった有終の美を飾った。

奇しくもその走破タイムは、TTG最後の対決となった2年前の有馬記念の走破タイムを0.1秒上回る2:35:4だった。


そして、この有馬記念での勝利が評価され、年度代表馬に輝き、これにより、TTGは3頭揃って年度代表馬を受賞することとなった。(トウショウボーイは'76年、テンポイントは'77年。ちなみに'78年はカネミノブ。)

そして、稼いだ賞金も3億円を超え、結果的に3頭の中で最も多く賞金を稼いだ。


引退後

引退後は種牡馬入り。

三冠馬ミスターシービーを輩出するなど、種牡馬としても一流だったトウショウボーイに比べれば成績は劣るも、1985年エリザベス女王杯を優勝したリワードウィング、そして尾花栗毛のイケメンホーストウショウファルコ(冠名から分かる通りトウショウボーイと同じトウショウ牧場出身)、1993年のCBC賞などを制したトシグリーンを輩出するなど、それなりの成績を残した。


1996年に種牡馬を引退した後は一時期消息不明となっていたが、佐賀県の個人牧場で余生を送っていた。

しかし、2000年6月19日に刺されたことがきっかけで驚いた拍子に柵に激突したことがきっかけで骨折してしまい、治療の甲斐なく安楽死の処分が執られた。28歳(現27歳)だった。トウショウボーイは既に1992年に死亡していたため、TTGの中で最も長生きした。

同年に投票された、「20世紀の名馬100」では、第26位にランクインしている。


競走馬としての特徴*

2500m以上のレースで力を発揮する高速ステイヤーであると同時に、主戦騎手の岡部が「(レースで)使わないと走らない」と断言するように極端な叩き良化型の側面を持っていた。また、他の馬と競り合いをさせるとヨレやすく加速しきれない弱点を持っていたが、内ラチ沿いに走らせると安定した。第3コーナーでインを突いて先頭に立ち直線で一気に突き放すのが勝ちパターンで、菊花賞、天皇賞、有馬記念とすべてこの形で勝利している。


関連イラスト

オリジナルウマ娘


関連タグ

競馬 競走馬

TTG:トウショウボーイ/テンポイント


トウショウファルコ

第三の男


一流の脚本家は

"赤""白"かという

単純な二項対立を好まず

第三の要素である"緑"を

彩りとして用意する


優れた語り部は

終止符が打たれたあと

その"緑"を主役に据えた

続編を紡ぎ出して

伝説に厚みをもたらす


≪「名馬の肖像」2021年有馬記念≫


※馬齢は2000年以前の旧表記で記載する。


生涯

1973年4月5日生まれ。

父インターメゾ、母父ニンバスという血統である。

父のインターメゾは母父としてもサクラスターオースーパークリークを輩出しており、グリーングラスを含めて3頭共菊花賞を勝利している。


当初は3歳にデビューする予定だったが、肺炎になってしまったことで3歳時は走れなかった。

馬主・半沢吉四郎氏の勝負服は『白・赤たすき・青袖』で、90年代後半に活躍したグラスワンダーは吉四郎氏の弟・信彌氏が所有したため、同じ勝負服である。


4歳(1976年)

1976年1月31日の新馬戦でデビューするも4着。このレースの1着は、「TTG」の一角となるライバルトウショウボーイで、5着には、トウショウボーイとの間に三冠馬ミスターシービーを産むシービークインがいたことから、「伝説の新馬戦」と呼ばれる。


しかしその後は2戦目も4着。3戦目の未勝利戦でようやく初勝利を挙げるも、4戦目はまたも4着。NHK杯(NHKマイルカップの前身競走。1984年にGⅡに格付け)に出走するが、12着に惨敗。この頃、デビュー戦で戦ったトウショウボーイは既に皐月賞を勝ち、日本ダービーでも2着に入るなどクラシック戦線の主役へと駆け上がっていたが、グリーングラスは大きく水をあけられていた。

デビュー以来の騎手だった郷原洋行に代わり、安田富男が騎乗したあじさい賞でようやく2勝目。

その後は岡部幸雄が騎乗したマーガレット賞は2着。再び安田に戻った中距離ハンデキャップも2着。鹿島灘特別を勝って3勝目を挙げた。


そして、クラシック最後の一冠・菊花賞へ。獲得賞金がギリギリだったため、文字通り滑り込みでの参戦だった。

新馬戦以来の対決となるトウショウボーイ、トウショウボーイを抑えてダービーを制したクライムカイザー、そしてクラシックこそ勝ててないが関西の期待馬で「TTG」の一角となるテンポイントが人気を集めていた中、グリーングラスは12番人気であった。


トウショウボーイを抜き去ったテンポイントを内から差し切り、2馬身差を付けて勝利。

2着にテンポイント、3着にトウショウボーイが入り、「TTG」時代の幕開けとなった。

また、鞍上の安田はこれが結果として八大競走唯一の勝利となった。


その後、有馬記念には登録せず、菊花賞が4歳最後のレースとなった。


5歳(1977年)

1977年は、アメリカジョッキークラブカップ(現【GⅡ】)から始動しレコード勝ち。菊花賞の勝利がまぐれでないことを証明した。

続く目黒記念(春)(現【GⅡ】。1983年までは年2回開催だった。)は2着だった。


春の目標だった天皇賞(春)に出走。しかし、テンポイントに雪辱されて4着に終わった。

宝塚記念は二度目となるTTG揃い踏みとなり、1着トウショウボーイ、2着テンポイント、3着グリーングラスだった。

鞍上が嶋田功に代わった日本経済賞(現「日経賞」【GⅡ】)はレコード勝ち。


秋の目標だった天皇賞(秋)(1983年までは春と同じく3200m)はトウショウボーイとの2強対決と騒がれたが両者共倒れとなりグリーングラスは5着に沈んだ。(勝ったのは宝塚記念で5着だったホクトボーイ。)


有馬記念はトウショウボーイの引退レースとなったため、これがTTG最後の揃い踏みとなった。

優勝はテンポイント、2着がトウショウボーイ、3着にグリーングラスが入り、最後の三強対決もTTGが上位を独占した。


6歳(1978年)

年明け初戦は、前年に続いてアメリカジョッキークラブカップに出走したが2着。なお、同日(1月22日)に京都競馬場で行われた日経新春杯(現【GⅡ】)でテンポイントが骨折で競走中止となり、その後闘病の末死亡した。

TTの2頭がターフを去ったことでグリーングラスがいよいよ天下を取るかと思われたが、この頃からグリーングラスは脚部不安に悩まされることとなる。

次のオープン戦からはマーガレット賞以来となった岡部幸雄が主戦騎手となる。そのオープンは前年の菊花賞馬プレストウコウに敗れ3着。


三度目の挑戦となった天皇賞(春)は、最後の直線でに先頭に立つと、カシュウチカラとトウフクセダンの追撃を凌いで逃げ切り勝ちを収め、前年獲れなかった天皇賞を三度目の正直で手に入れた。なお、プレストウコウは2周目の向正面で鞍ズレが発生して競走中止になるという不運に見舞われている。


続いては宝塚記念に出走。

エリモジョージ・ホクトボーイも出走し、天皇賞馬3頭による三つ巴の争いとなった。

結果はエリモジョージが優勝。グリーングラスは2着で3着がホクトボーイと、天皇賞馬が上位を独占した。


秋は脚部不安により有馬記念のみの出走となった。

メジロイーグル(メジロパーマーの父)が逃げるがスローペースに翻弄され、カネミノブの6着に敗れ、NHK杯以来掲示板から漏れた。


7歳(1979年)

7歳になった1979年も現役を続行するが、ますます脚部不安に苦しめられた。

3年連続の出走となったアメリカジョッキークラブカップは2着。続く宝塚記念は3着。勝った馬はどちらも前年のダービー馬サクラショウリだった。

秋のオープン戦は2着となった。


そして、有馬記念を最後に今季限りでの引退を表明した。

岡部がハツシバオー(顕彰馬タケシバオーの産駒)に騎乗するため、大崎昭一が騎乗した。

メジロファントムの追撃を凌ぎ切り、ハナ差で優勝。トウショウボーイもテンポイントも叶わなかった有終の美を飾った。

奇しくもその走破タイムは、TTG最後の対決となった2年前の有馬記念の走破タイムを0.1秒上回る2:35:4だった。


そして、この有馬記念での勝利が評価され、年度代表馬に輝き、これにより、TTGは3頭揃って年度代表馬を受賞することとなった。(トウショウボーイは'76年、テンポイントは'77年。ちなみに'78年はカネミノブ。)

そして、稼いだ賞金も3億円を超え、結果的に3頭の中で最も多く賞金を稼いだ。


引退後

引退後は種牡馬入り。

三冠馬ミスターシービーを輩出するなど、種牡馬としても一流だったトウショウボーイに比べれば成績は劣るも、1985年エリザベス女王杯を優勝したリワードウィング、そして尾花栗毛のイケメンホーストウショウファルコ(冠名から分かる通りトウショウボーイと同じトウショウ牧場出身)、1993年のCBC賞などを制したトシグリーンを輩出するなど、それなりの成績を残した。


1996年に種牡馬を引退した後は一時期消息不明となっていたが、佐賀県の個人牧場で余生を送っていた。

しかし、2000年6月19日に刺されたことがきっかけで驚いた拍子に柵に激突したことがきっかけで骨折してしまい、治療の甲斐なく安楽死の処分が執られた。28歳(現27歳)だった。トウショウボーイは既に1992年に死亡していたため、TTGの中で最も長生きした。

同年に投票された、「20世紀の名馬100」では、第26位にランクインしている。


競走馬としての特徴*

2500m以上のレースで力を発揮する高速ステイヤーであると同時に、主戦騎手の岡部が「(レースで)使わないと走らない」と断言するように極端な叩き良化型の側面を持っていた。また、他の馬と競り合いをさせるとヨレやすく加速しきれない弱点を持っていたが、内ラチ沿いに走らせると安定した。第3コーナーでインを突いて先頭に立ち直線で一気に突き放すのが勝ちパターンで、菊花賞、天皇賞、有馬記念とすべてこの形で勝利している。


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