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プレストウコウ

ぷれすとうこう

プレストウコウは、日本の競走馬。中央競馬で史上初めての芦毛馬によるクラシック制覇 (菊花賞)を成し遂げたが、同期に「スーパーカー」マルゼンスキーがいた事と関西のマスコミからヒール(悪役)扱いを受けた事から「悲運の名馬」として知られる。
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概要編集

プレストウコウは、日本の競走馬中央競馬で史上初めての芦毛馬によるクラシック制覇(菊花賞)を成し遂げたが、同期に「スーパーカー」マルゼンスキーがいた事と関西のマスコミからヒール(悪役)扱いを受けた事から「悲運の名馬」として知られる。

日本で種牡馬となったのち、大韓民国へ輸出された。


※馬齢は2000年までの旧表記(数え年)


生涯編集

誕生編集

1974年4月14日生まれ。

父はグスタフ。母はサンピユロー。母の父はシーフュリュー。

母のサンピユローはノボルトウコウなど3頭の優駿を送り出し名繁殖牝馬との評価を得ていたが、生理不順による不受胎が続き、環境を変えるために牧場を移った先で種付け料が安いため駄目で元元とあてがわれたのがグスタフである。

サンピユローはグスタフの子を一発で受胎し、プレストウコウは生を受けた。


デビュー〜4歳春編集

1976年9月に中山でデビュー。デビュー戦は6着だったが、3戦目となる10月の未勝利戦で初勝利をあげ、同年12月の楓賞(300万下)、ひいらぎ賞(600万下)と連勝した。


4歳になるとプレストウコウは京成杯、東京4歳ステークス、弥生賞を続けて3着した後、クラシック初戦の皐月賞ではハードバージの13着に敗れた。この頃、プレストウコウはコズミ(筋肉の硬化)に見舞われていた。

続くNHK杯を勝ち重賞初勝利を挙げたが、騎乗していた岡部幸雄はレース後、「まったく自信がなかった。コズミもひどかったし…」とコメントした。

日本ダービーではラッキールーラの7着、当時「残念ダービー」と言われていた日本短波賞ではマルゼンスキー7馬身差の2着に敗れた。


4歳秋・第38回菊花賞編集

秋に入ると京王杯オータムハンデキャップでカシュウチカラに次ぐ2着。セントライト記念京都新聞杯を連勝した。京都新聞杯(京都2000m、当時)はレコードタイム2:01.1を記録した。

成長しコズミの問題もなくなったプレストウコウは単枠指定を受け第38回菊花賞に出走する。

両親が短距離血統、レコード勝ちの反動、芦毛馬がクラシック未勝利といった要素からオッズは単勝3番人気だったが、最後の直線でテンメイを4分の3馬身差で抑え、前走に続きレコードタイムで優勝した。タイム3:07.6。

しかし、関西のアイドルホース、トウメイの息子であるテンメイを破ったことで関西のスポーツ新聞から、ヒールとして名を馳せたプロレスラーフレッド・ブラッシーのニックネームから取った「銀髪鬼」と紙面に書かれる事になった。


続く第22回有馬記念ではテンポイントトウショウボーイグリーングラスに次ぐ4着に敗れた。"世代王者"のマルゼンスキーは有馬記念を前に脚部不安で引退していた。


プレストウコウは菊花賞での勝利が評価され、優駿賞最優秀4歳牡馬に選出された。


5歳編集

5歳になったプレストウコウはアメリカジョッキークラブカップ4着(1着カシュウチカラ)、前哨戦のオープン戦1着(この時2着カシュウチカラ、3着グリーングラス)を経て天皇賞(春)に出走した。

しかしプレストウコウは2周目の向正面で鞍ズレが発生して競走中止となってしまう。優勝はグリーングラス。

秋は前哨戦の毎日王冠を勝利し、天皇賞(秋)に出走。パワーシンボリがゲートに噛み付いて同馬のゲートが開かず、カンパイ(スタートのやり直し)になるというアクシデントがあったが、テンメイと半馬身差の2着。続く第23回有馬記念は、1番人気となったがカネミノブの12着に敗れた。レース後、球節炎を発症し長期休養に入った。


6歳〜引退編集

有馬記念出走から9か月後の毎日王冠で4着になったのを最後に引退、種牡馬入りすることになった。8歳となった1981年1月、中山競馬場で引退式が行われた。


引退後編集

日本で種牡馬入り編集

種牡馬入りしたものの種付け頭数には恵まれなかった。

産駒に東京ダービー馬ウインドミルがいる。後にウインドミルは種牡馬となり、プレストウコウのサイアーラインを繋ぐことに成功した。

また、産駒にマーチトウショウがおり、オグリキャップの笠松競馬時代のライバルとして知られる。


韓国へ輸出編集

1990年12月、韓国へ輸出された。当地で22頭の産駒を送り出したのち、1994年12月30日に老齢と失明のため、安楽死処分がとられた。


そして21世紀に…編集

優勝劣敗が原則である競走馬の世界の中、共に競い合ったハードバージラッキールーラの血を持つ繁殖牝馬は歴史の片隅に消えた。プレストウコウの後継種牡馬のウインドミルも10年間の供用で勝ち馬総数は8頭に留まった。プレストウコウの血統もまた消えゆく運命かと思われた。


しかしここから奇跡が始まる。日本での種牡馬時代に遺された牝駒の一頭ヤマトビューティは後に繁殖に上がり、代を経て1頭の牝馬を世に送り出した。その馬の名はヤマトマリオン。ヤマトマリオンは2006年のフローラステークス(GⅡ)、2008年の東海ステークス(GⅡ)等を制し、ライバルの白毛馬ユキチャンらと戦った。現在は母・祖母同様繁殖に上がっている。長い長い年月を経てプレストウコウの遺した血は21世紀にようやく開花し、現在もプレストウコウの血は受け継がれている。


関連タグ編集

競走馬 77世代


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