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ロイヤルスキー

ろいやるすきー

アメリカ生産・調教の競走馬・種牡馬。後に日本に輸入され、日本軽種馬協会所属の種牡馬となった。
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概要編集

アメリカ合衆国生産・調教の競走馬種牡馬

主な勝ち鞍はローレルフューチュリティ(1976年)、レムゼンステークス(1976年)、ヘリテージステークス(1976年)など。

1979年に日本に輸入され、日本軽種馬協会所属の種牡馬となった。


プロフィール編集


略歴編集

1974年

5月24日、ケンタッキー州のラニーミード牧場で誕生。

父・ラジャババは大種牡馬ボールドルーラーの仔で、1980年には北米リーディングサイアーとなった。

母・コズオーニジンスキーの馬名は「ニジンスキー従妹」の意で、文字通りニジンスキーの従妹であった(母・グリームがニジンスキーの母のフレーミングページと姉妹)。母父・インヴォルヴメントマンノウォー系で現役時代は22戦5勝であった。


1976年

ジョン・J・レンツィニ調教師の厩舎に預けられる。NHLの名キーパーだったジェリー・チーバーズが馬主となった。

6月22日、ピムリコ競馬場未勝利戦ダート5ハロン)でデビューし1着。

7月5日、サフォークダウンズ競馬場メイフラワーステークスに出走し1着。

8月14日、モンマスパーク競馬場サプリングステークスGⅠ)で重賞初挑戦。8着に敗れた。

9月6日、ティモニウム競馬場ティモニウムフューチュリティに出走し1着。

9月25日、アーリントンパーク競馬場アーリントンワシントンフューチュリティ(GⅠ)に出走し2着に敗れた。

10月30日、ローレル競馬場ローレルフューチュリティ(GⅠ)に出走し1着。重賞初勝利。

11月13日、キーストーン競馬場ヘリテージステークスGⅢ)に出走し1着。

11月27日、アケダクト競馬場レムゼンステークスGⅡ)に出走し1着。


1977年

4月16日、ピムリコ競馬場のハーシュジェイコブスステークスに出走し4着に敗れた。

5月21日、モンマスパーク競馬場のセレクトハンデキャップに出走し4着に敗れた。

9月4日、ロッキンガムパーク競馬場一般競走に出走し1着。

10月1日、ボウイー競馬場の一般競走に出走し2着。

11月3日、ローレル競馬場の一般競走に出走し1着。現役を引退。


1978年

種牡馬となる。


1979年

日本へ輸出され、日本軽種馬協会の種牡馬となる。アメリカでの産駒・スノープラウが誕生。


1980年

アメリカでの産駒・スキーゴーグルスキーパラダイススキーキャプテンの母)が誕生。


1981年

日本での産駒・ワカオライデンが誕生。以後、多くの活躍馬を世に送った。


2003年

種牡馬を引退。


2004年

4月30日、死去(30歳)。


主な産駒編集

スノープラウ スキーゴーグル ワカオライデン アサカサイレント ベルベットグローブ ロイヤルシルキー ダイナエイコーン プリンセススキー アグネスフローラ トウショウヒューイ カシワズプリンセス ニイタカローズ コマツノーザン


母父として編集

マイスタージンガー スキーパラダイス スキーキャプテン ユキノビジン マイネルブリッジ イイデライナー レインボークイーン エアジハード クリールサイクロン タイクラッシャー アグネスフライト ジョウテンブレーヴ アグネスタキオン イシノファミリー セラフィックロンプ ブルーホーク リュウノキングダム プリマビスティー


関連タグ編集

77世代 競走馬 種牡馬 日本軽種馬協会

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