アグネスフローラ
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あぐねすふろーら
日本で生産調教されていた元競走馬・元繁殖牝馬
競走馬時代
繁殖時代
番 | 年 | 馬名 | 性別 | 父 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993 | アグネスタカオー | 牡 | サンデーサイレンス |
2 | 1995 | アグネスセブンオー | 牡 | トニービン |
3 | 1996 | アグネスセレーネー | 牝 | トニービン |
4 | 1997 | アグネスフライト | 牡 | サンデーサイレンス |
5 | 1998 | アグネスタキオン | 牡 | サンデーサイレンス |
6 | 1999 | アグネスプロトン | 牡 | エリシオ |
7 | 2003 | アグネスサージャン | 牡 | サンデーサイレンス |
8 | 2005 | アグネスフリーダム | 牡 | ダンスインザダーク |
母アグネスレディーという良血で桜花賞馬となった本馬だが、彼女も繁殖で成功し4番仔アグネスフライトがダービー馬となり、5番仔アグネスタキオンも無敗の皐月賞馬となり種牡馬入り。今もアグネスタキオンを介して彼女の血は多くの馬に流れており、唯一の娘であるアグネスセレーネーも繁殖入りして子孫を残し牝系を繋いでいる。
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すべて見るだから私は、4戦で神話になることを決めた
アグネスタキオンが4戦で満足して去っていく話。 アグネスフライトが無限回出てきます。 祖父のモチーフは1976年から1989年までの河内洋騎手、父のモチーフは1990年から2003年の引退までの河内洋騎手です。 アグネスタキオンというウマ娘は、自身の故障を完全に予知しています。ならば、自分の脚を治すでもなく、マンハッタンカフェに頼るでもなく、ただ自分の脚を研究し続けて、4戦の神話を更に強烈なものにする、そんなアグネスタキオンもいていいと思うのです。 河内洋騎手は、アグネスレディーで初めて八大競走を勝利して、その娘であるアグネスフローラで桜花賞(メジロラモーヌの方が先ですが)を、その息子であるアグネスフライトとアグネスタキオンでダービーと皐月賞を勝利しています。つまり、このアグネス一族を語る上では欠かすことのできない人物となっています。 アグネスタキオンの行動の変化によって、史実と異なる戦績が生まれてしまっているので整理します。 アグネスフライト GI3勝 日本ダービー 宝塚記念 天皇賞・秋 エアシャカール GI3勝 皐月賞 菊花賞 天皇賞・秋 ダイワスカーレット GI7勝 桜花賞 オークス 秋華賞 エリザベス女王杯 有馬記念 フェブラリーS ドバイワールドカップ ウオッカ GI8勝 阪神JF 日本ダービー 安田記念 VM 安田記念 ジャパンカップ 安田記念 天皇賞・秋 レーヴディソール GI5勝 阪神JF エリザベス女王杯 VM エリザベス女王杯 VM となっております。 エアシャカールが直線抜け出した時、武豊騎手はセーフティリードだと思っていたそうです。それだけにアグネスフライトが来た時の衝撃は凄かったとか。 屡々弱いと言われる世代ですが、ダービーのアグネスフライトの末脚には、名手を驚かせるものがあったようです。よくアイネスフウジンやウイニングチケットとかも言われますが、競馬の神様とやらが頑張った騎手に与える恩恵のようなものなのでしょうか。 中々に興味深いものですね。 では、アグネスフライトの実装をねがって、キャプションとさせてもらいます。 またお会いしましょう。12,543文字pixiv小説作品