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ダイタクヘリオス

だいたくへりおす

日本の競走馬・種牡馬(1987~2008)。主な勝鞍は1991・92年のマイルチャンピオンシップ連覇。
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曖昧さ回避

※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはダイタクヘリオス(ウマ娘)参照。

概要

ダイタクヘリオスは1987年生まれの日本の競走馬。積極的なハイペースでレースを引っ張る逃げ・先行の戦法でマイル戦線を中心に活躍し、マイルチャンピオンシップ連覇をはじめ重賞7勝を挙げた。獲得賞金の面でも、シンボリルドルフオグリキャップメジロマックイーンに続く史上4頭目の賞金6億円超えを果たしている。

一方、レースでは頻繁に掛かって口を割って走るため「笑いながら走る馬」、1番人気の時は敗北し人気が落ちると勝利するジンクスから「オッズを読む馬」「競馬新聞の読める馬」などの異名を取り、後述するダイイチルビーとのライバル関係やメジロパーマーとのコンビ関係など、個性的なレース模様やエピソードの数々でも知られる。

プロフィール

生年月日1987年4月10日
死没2008年12月12日
英字表記Daitaku Helios
性別
毛色黒鹿毛
ビゼンニシキ
ネヴァーイチバン
母の父ネヴァービート
生産清水牧場(北海道平取町)
調教師梅田康雄(栗東)
主戦騎手岸滋彦
競走成績35戦10勝
獲得賞金6億8995万2400円
主要勝鞍GⅠマイルCS('91・'92)、GⅡ読売マイラーズC('91・'92)・高松宮杯('91)・毎日王冠('92)、GⅢクリスタルC('90)


父・ビゼンニシキ1981年生まれ。「皇帝」「七冠馬」シンボリルドルフと同期で、初期のライバルと呼ばれた存在である。
デビュー以来岡部幸雄を鞍上に4戦4勝で共同通信杯を制覇。しかし5戦目の弥生賞にて、岡部は初対決となったシンボリルドルフへの騎乗を選択し、レースも1.3/4馬身差でルドルフの2着に敗れる。(なお、この弥生賞はビゼンニシキ1番人気、シンボリルドルフ2番人気。ルドルフを馬券人気で上回った馬は、日本馬ではビゼンニシキと1984年ジャパンカップでのミスターシービーの2頭・2回のみである。)
リベンジを期した皐月賞では、最終直線でルドルフと共に抜け出したが、馬場の外に持ち出そうとしたルドルフと接触し、1.1/4馬身差の2着に終わる。日本ダービーでは14着と大敗し、ルドルフにリベンジを果たすことは叶わないまま同年10月のスワンステークスにて故障を発し、現役生活を終えた。こうしたルドルフとの関係は、互いの子の世代で再びライバル関係を生むことになる(後述)。
ビゼンニシキは引退後種牡馬となり、ダイタクヘリオスが文句なしの代表産駒であるが、他にも障害競走で活躍したリターンエース、重賞3勝のハシノケンシロウなど、内国産種牡馬としてコンスタントな成績を残した。

母・ネヴァーイチバンは未出走で繁殖入り。ヘリオスの半妹スプリングネヴァー(父サクラユタカオー)の産駒には重賞4勝のダイタクリーヴァ阪神大賞典勝ち馬ダイタクバートラムがいる。また、祖母ミスナンバイチバンの牝系からは「狂気の逃げ馬」カブラヤオーと、エリザベス女王杯ミスカブラヤが出ている(ネヴァーイチバンの半姉・カブラヤの仔)。

冠名「ダイタク」はオーナーの経営していた企業・大拓(株)に由来し、これにギリシャ神話の太陽神ヘリオスを組み合わせた馬名である。

※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。

戦歴

1989年(旧3歳)

10月7日、現役を通じて主戦を務める岸滋彦を鞍上に京都競馬場の3歳新馬戦でデビュー。10月29日、3戦目の新馬戦で勝ち上がりを決める。当時は同じ開催期間中であれば複数回新馬戦に出走できたとはいえ、デビュー1ヶ月で3戦といきなりのヘビーローテであった。12月9日、400万下さざんか賞を田島良保の騎乗で2勝目。

そして12月17日、当時の3歳GⅠのひとつ阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズの前身)に武豊の騎乗で出走。テン良く先頭に立ち逃げを打ったが、ゴール直前コガネタイフウにアタマ差差し切られ2着。

しかしGⅠ連対で収得賞金を積みオープン昇格、6戦2勝で3歳シーズンを終えた。なお、後年になると他馬との競り合いで掛かった結果の逃げが多かったヘリオスだが、3歳の頃は上記動画の通り自ら主張しての逃げが主戦法であった。

1990年(旧4歳)

シンザン記念から始動し2着。皐月賞を目指し、きさらぎ賞(阪神芝2000m)・スプリングステークス(中山芝1800m)と出走するが、6着・11着と敗退。距離がもたないと判断されてクラシック路線をあきらめ、短距離路線に舵を切る。

4月14日のクリスタルカップ1987年2005年に中山芝1200mで施行されていた3歳〔旧4歳〕GⅢ、勝ち馬からは他にサクラバクシンオーヒシアマゾンが出ている)では道中2番手から上がり最速で抜け出し2馬身半差の快勝。重賞初制覇を果たし、これはビゼンニシキ産駒初のJRA重賞でもあった。

さらに5月13日の葵ステークス(OP、現在はGⅢ)を連勝し、6月3日に当時の短距離路線馬・外国産馬にとって重要な春のレースであるニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)に臨む。(現在の4月上旬・中山芝1600m開催とは異なり、当時は日本ダービーの翌週に東京芝1600mで開催されていた。)ヘリオスは1番人気に推されたが、ミュージックタイムに1馬身半差の2着に終わった。

3歳10月のデビューからニュージーランドTまでに既に12戦を使ったこともあり、ここで夏・秋にかけ5ヶ月の休養を挟む。

復帰した11月に初の古馬重賞としてマイルチャンピオンシップにさざんか賞以来の田島良保騎乗で挑むが、珍しく控える競馬をとったことが災いしパッシングショットの17着と大敗。
スプリンターズステークス(当時は12月開催)もバンブーメモリーの5着と、ここは古馬の壁に跳ね返されて4歳を終えた。

1991年(旧5歳)

古馬となって2戦目、2月24日の読売マイラーズカップを武豊騎乗で5馬身差の圧勝、重賞2勝目。

続くダービー卿チャレンジトロフィーでは久々の1番人気に推されたが4着。4月の京王杯スプリングカップで6着、このレースの勝ち馬が後にライバルともパートナーとも評されるダイイチルビーであり、これがヘリオスとの初対戦であった。

5月12日、春のマイル王決定戦安田記念。一昨年の覇者にして前年のスプリンターズS馬バンブーメモリーが単勝1.8倍の圧倒的1番人気、近走の好調が評価された5歳牝馬のダイイチルビーがこれに次ぐ5.7倍の2番人気。一方ヘリオスは前2走の敗北もあり28.7倍の10番人気に甘んじていた。
1000m通過が57秒6の超ハイペースが祟り、直線で他の逃げ先行勢がバタバタと後退していく中、唯一残って先頭に立ったヘリオス。差しを狙う本命バンブーメモリーは内目で前に壁をもらい、捌くのに手間取っている。初GⅠはもらった……と思った瞬間、大外から末脚を飛ばして来たのがダイイチルビーである。差し切られて一気に1.1/4馬身をつけられ、2着に敗れた。

だが10番人気からのGⅠ2着と力をつけていることを印象づけ、続くCBC賞ではバンブーメモリーに次ぐ2番人気に評価が向上。……が、9着と盛大にやらかしてしまったメモリー共々、馬券外の5着に終わった。
この頃はまだそこまで注目されていなかったが、古馬になって以降「ヘリオスの出走レースで1番人気馬は勝てない」という実績が着実に積み上がりつつあった。これは単なるオカルトではなく、必ずと言っていいほど前方で掛かるヘリオスがいるせいでペースに緩みがなくなり、また他の馬が釣られて煽られることで消耗し、レースが静かな本命決着に落ち着かないというのがその理由である。

早くもCBC賞から中1週で7月7日の高松宮杯(現在の高松宮記念、当時は芝2000mのGⅡ)。ダイイチルビーとの再戦となったが、ヘリオスは前走のやらかしに加え実績のない2000mということで8頭立ての5番人気に甘んじる。一方のルビーは祖母イットー、母ハギノトップレディとの母仔孫3代での高松宮杯制覇という記録が懸かっており、単勝1.4倍の圧倒的1番人気であった。
テン乗りの加用正が駆るヘリオスは、ハナを切って逃げるトーワルビー(普段のヘリオスの主戦・岸滋彦はこちらに乗っていた)の背後2番手で進行。そして1000m58秒3のペースの中、距離の不安も構わず早くも4角でトーワルビーをかわし先頭に立つ。直線でダイイチルビーに猛追されマッチレースとなったが、ハナ差ヘリオスが押し切り重賞3勝目。3代同一重賞制覇を阻んだ。

秋は鞍上が岸に戻り、10月の毎日王冠2着(5番人気)、中2週でスワンステークス9着(4番人気)。どちらも出走馬中で実績上位の存在にも関わらず、購入者の「いまいち信用しきれん」感が人気に表れている。

そして秋の大一番、11月17日のマイルチャンピオンシップ。春秋マイルGⅠを狙うダイイチルビー(1.8倍)、直前のスワンSをレコード勝ちしたケイエスミラクル(4.3倍)、前年覇者バンブーメモリー(10.6倍)に続く4番人気(11.8倍)と、ここは割とわかりやすい人気に落ち着いた。
前半を先行集団につけたヘリオスは、早め4角で先頭に立つ。後方集団の混戦をしり目に直線で4~5馬身と大きくリードし、最後はやや疲れたがもはやセーフティーリード。2着ダイイチルビーに2馬身半差をつけGⅠ初制覇を挙げた。

これは12月のスプリンターズステークスでも有力馬の一角は間違いない……と思われていたのだが、秋に2000mの高松宮杯をこなしたことからの挑戦か、なんとヘリオス陣営は有馬記念登録を表明した。
この年の有馬にはもう一頭注目の逃げ馬、一世代下ツインターボがいた。大方の予想通り、スタートから一か八かの大逃げに出るターボ。当然のようにヘリオスは首を上げ口を割ってこれを追いかけようとした。しかし自身もまた2500mという未知の距離に挑んでいるのである。さすがに岸は抑えにかかり、結局ターボが大きく遠ざかるにつれ3番手で折り合いをつけた。そして、3角で早くもターボが垂れ始めるとバトンタッチをするかのように前に出て、この年の天皇賞(秋)を制したプレクラスニーと先頭争いを展開する。残り1ハロンまで2番手に粘ったが、やはり2500は少々長かった。大本命メジロマックイーンが外からヘリオスとプレクラスニーをまとめて差していく。
……だが勝ったのは、マックよりも一手早く内からヘリオスとプレクラスニーの間を割って抜け出したもう一頭の差し馬であった。14番人気の大穴、ダイユウサクである。勝ち時計2分30秒6は当時の有馬記念レコードという、文句なしの大金星だった。
ヘリオスは5着に粘り掲示板を確保。それまで2000mまでしか走歴のないマイル主戦場の馬としては大健闘である。

そして、前半はターボが引っ張り、終盤は代わってプレクラスニーとヘリオスが引っ張ったハイペースの展開によって、名優メジロマックイーンをもってしても「ヘリオスがいると1番人気は全敗」の法則は破れなかったのである。

1992年(旧6歳)

3月1日の読売マイラーズカップから始動。60kgのトップハンデを背負いながら5馬身差で連覇し、重賞5勝目。と思えば、これも2年連続出走の京王杯SCは4着。

そして5月17日の安田記念。秋春マイル王者のかかるヘリオスは1番人気に推される。そして、初対戦以来1年強で実に8回目の対戦となるダイイチルビーを馬券人気で上回ったのはこれが初めてだった。……が、「ヘリオスがいると1番人気は勝てない」この法則は自分自身も例外ではなかった。道中5~6番手から4角で外に出し、直線で抜け出そうというオーソドックスな先行型の競馬をしようとしたが、直線で伸びず、ヤマニンゼファーの6着に終わった。
ライバルのダイイチルビーは15着に敗れ、この安田記念を最後に現役引退、繁殖に入った。

春の最終戦として6月14日の宝塚記念に出走。ヘリオスとしては不安のある距離だが、前年の有馬5着に加え相手関係もあってか、カミノクレッセに次ぐ2番人気と高評価だった。
が、この場にはダイイチルビーに代わる新たなライバル、メジロパーマーがいた。この馬はヘリオスと同世代ながら中長距離メインのためこれまで対戦歴がなく、また一時は障害競走に転向など苦労を経験し、6歳になって山田泰誠騎手とのコンビでスタミナにものを言わせた大逃げという戦法を確立、GⅢ新潟大賞典を勝ってGⅠ戦線に這い上がってきたところだった。
当然のように逃げるパーマー、そしてこれも当然のように口を割って2番手で追いかけるヘリオス。ところが、この2頭が前で緩みなく逃げ続けたことで最終直線で全頭バテバテという馬鹿展開が発生。9番人気から逃げ切ってしまったパーマーの上がり3ハロンは39秒8かかっている(これでも上がり2番手)。ヘリオスは距離のせいもあるだろうが最後は垂れ、5着と掲示板に残すのが精一杯だった。

秋初戦は10月11日の毎日王冠。メンバー中唯一GⅠを獲っている昨年の2着馬なのだが、それでも4番人気は「信用すると飛ぶ」と思われていたこの馬らしい。レース前に岸騎手を振り落とすなど暴れたが、レースはその入れ込んだ勢いのままに1枠1番から好スタート、一度も先頭を譲ることなくイクノディクタスナイスネイチャを封じて逃げ切り、重賞6勝目を挙げた。
勝ち時計1分45秒6は、当時の芝1800m日本レコードである。

続いて11月1日の天皇賞(秋)に参戦。メジロパーマーと2度目の対決となり、激しくハナを争ったが、その結果前半1000m57秒5では終いまでもつわけがなかった。直線で失速し8着。なお、3~4番手でこの超ハイペースに巻き込まれた1番人気のトウカイテイオーは7着に終わり、初めて掲示板を外した。

11月22日のマイルチャンピオンシップでは二連覇に臨む立場であったが、ヘリオスは大外8枠18番を引いた上に4連勝中と絶好調の4歳牝馬シンコウラブリイがいたことで2番人気、結果的に「1番人気は…」のフラグは回避した。レースでは大外スタートのためハナこそ奪えなかったものの、逃げを打ったイクノディクタスの背後につけると4角で楽な手応えで先頭に立ち、そのまま後続を突き放して押し切る強い内容。ニホンピロウイナーに続く史上2頭目の連覇を達成した。

12月20日、スプリンターズステークスでGⅠ3勝目を狙う。この日のヘリオスは安田記念馬ヤマニンゼファー2世代下の短距離新鋭サクラバクシンオーらを抑えて1番人気、マイルCSの勝ちっぷりでは順当といえる。しかし、馬群に囲まれた5~6番手集団となって前で引っ張る得意の展開にできず、不得手な末脚勝負に持ち込まれてしまう。それでも懸命に脚を伸ばそうとしたが、4着に終わったヘリオスを外からかわして先頭まで突き抜けていった小さな馬体があった。2番人気の4歳牝馬、ニシノフラワーであった。

スプリンターズS限りで引退する予定であったが、この時病床にあったオーナーの「ヘリオスの走る姿をもう一度見たい」という要望に応え、連闘で12月27日の有馬記念に出走。
そして三たびメジロパーマーと先頭争いを演じる。宝塚や秋天の経緯から無理に2頭を追う馬はなく道中では大差がつき、後方集団が仕掛け遅れたためにメジロパーマーはまんまと逃げ切り優勝。ヘリオスは疲れて大きく垂れ12着敗退に終わったが、最後まで掛かり上等の自分の走りを貫いた。
1993年1月、マイルCS連覇を達成した京都競馬場で引退式が行われ、ターフを去った。

通算戦績35戦10勝。デビューから3年3ヶ月、時にきついローテも含んだが目立った故障もなくコンスタントに走り続けた。GⅠ2勝を含む重賞7勝を挙げつつも最後までJRA賞には縁がなかったが、獲得賞金約6億9000万円はシンボリルドルフオグリキャップメジロマックイーンに続く史上4頭目の賞金6億円超えである。主戦の岸滋彦騎手にとっては、結果的に最後のGⅠ騎乗馬となった。

引退後

1993年より種牡馬となった。代表産駒のダイタクヤマト2000年スプリンターズステークスをシンガリ16番人気で制覇し、「ヘリオスは種牡馬になってすら波乱を呼ぶのか」と競馬ファンに語られた。
2008年9月に種牡馬を引退し、青森県の牧場で功労馬として余生を過ごしていたが、その直後の12月に21歳で死去した。早朝に放牧に出そうとしたところ、既に穏やかな顔で息を引き取っていたという。

余談

気質・脚質

  • パドックでイレ込んだり、レース中に掛かりまくってバタバタしている方が好走した。本馬場入場で騎手を振り落とした92年毎日王冠ではレコード勝ちを収めている。手綱を引いて抑えようとする騎手の指示を聞かず前へ前へと行こうとするため、首を上げ大きく口を割って(馬の口にくわえさせたハミが強く引っ張られ、口が開いてしまうこと。掛かっている兆候)走る姿が笑っているように見えることから「笑いながら走る馬」とも言われた。
  • 主戦を務めた岸滋彦騎手はヘリオスの気質に相当手こずらされた模様。4歳春の葵ステークスを勝った後は1年以上ヘリオスとのコンビで勝てず、しかもヘリオスの鞍上を別の騎手が務めた時に勝ってしまうため焦りもあったようだ(5歳春の読売マイラーズカップ武豊騎手、秋の高松宮杯は加用正騎手)。しかし、高松宮杯にて4角で早め先頭に立ち、追いすがるダイイチルビーをハナ差封じて押し切った加用騎手の騎乗にヒントを得て、「掛かるのを抑えるよりもハイペースを刻んで前へ前へとレースを引っ張り、バタバタになろうが押し切ってしまう方がよい」という戦法を確立。その結果、マイルチャンピオンシップ2連覇という大きな結果に繋がった。脚質的にもキレのある末脚があるタイプではなく、前でレースを引っ張り周囲の消耗を誘いつつ押し切るというスタイルは合っていたようだ。
  • 現役時代は気性難で厩務員を手こずらせたが、引退後は一転して非常に温厚になり関係者を驚かせた。現役中のひたすら掛かる気質は、「とにかく前に出なければ」という、ヘリオスの真面目すぎる性格によるもので、本来は真面目で穏和な馬であったとする分析もある。最期の時も穏やかに、まるで眠るように旅立っていたという。

オッズ関連のジンクス

  • 1番人気で惨敗、人気薄で1着というパターンを繰り返し「オッズを見る馬」「競馬新聞の読める馬」と呼ばれるなど、何かとネタにされる人気馬だった。馬券的にも人気薄になったら来るということで穴党には根強い人気があった。1番人気で勝ったのはまだ3歳だった1989年のさざんか賞のみ。
  • 一番人気を飛ばしてしまうのは自分が一番人気の時に限らない。古馬になって以後、ダイタクヘリオスが出走したレース20戦全てにおいて一番人気の馬は敗北している。(例:1991年安田記念バンブーメモリーは4着、同年高松宮杯のダイイチルビーは2着、1992年天皇賞(秋)有馬記念トウカイテイオーはそれぞれ7着と11着)勝手に潰れる玉砕型の逃げ馬ではないので放置するわけにはいかず、かと言って追えば消耗してしまい共倒れになってしまうというやっかいな馬だった。太陽神ヘリオスの名を馬名に受けていることから、太陽に近づきすぎれば何者も焼き尽くされると喩えられ、JRAの「名馬の肖像」では「至上の難敵」と題し、彼一頭だけ敵目線でのキャッチコピーが添えられている

   アイツには近づくな 真っ向から挑めば灼熱の炎に焼き尽くされるだろう
   かといって慎重に距離を置けば いつの間にかほら 手の届かないところへ
   これほどにやっかいな敵などそういない

ライバル・コンビ関係

ダイイチルビー

1991年安田記念高松宮杯マイルチャンピオンシップなどで対戦した同期の牝馬。通算対戦成績はヘリオスの5勝3敗。91年安田記念で追い込み一閃でヘリオスを2着に下した一方、高松宮杯ではヘリオスに「母・仔・孫三代制覇」の記録達成を阻まれるなど、マイル戦線を中心にライバル関係を築いた。
対戦したレースでしばしばヘリオスが好走することと、目立った血統とは言えない牡馬のヘリオスに対し、トウショウボーイハギノトップレディの間に生まれた筋金入りのお嬢様であるルビーという絵になる組み合わせということもあって、「2頭はライバルというより相思相愛なのではないか」という競馬ファンのネタが生まれた。漫画『馬なり1ハロン劇場』ではこれを題材に取り込み、2頭のストーリーが描かれた。
さらにゲーム『ウイニングポスト』では両者の架空の産駒であるファーストサフィーが登場したが、現実で夢の配合は実現しなかった。ただしゲームにあやかって名付けられたであろうファーストサフィーという競走馬は実在し、その父はヘリオスである。

トウカイテイオー

ヘリオスの1世代下における皐月賞日本ダービー二冠馬。しかしヘリオスとの関係においては「シンボリルドルフの代表産駒」という点が注目される。既述のとおり、シンボリルドルフはヘリオスの父ビゼンニシキがどうしても勝てなかった相手であり、岡部幸雄騎手の乗り替わりや皐月賞のレース模様の件などもあった。
その2頭の自慢の息子同士が時を経て対決する……この構図が注目されたのが1992年天皇賞(秋)であり、父2頭の名から「SB対決」とメディアに称された。
レースは前半1000m57秒5という超ハイペースの中、ヘリオスとテイオーはメジロパーマーを追い2・3番手で進行。4角でパーマーを脱落させ最終直線で先頭に立ったヘリオス、これを追うテイオー!SB対決の一騎打ちに東京競馬場は大盛り上がりとなった。……が、これは余りに前半を飛ばしすぎた。2頭仲良く脚が鈍って後続につかまり、テイオー7着・ヘリオス8着。揃って着外ではテイオーの勝ちとも胸を張って言えず、SB対決はうやむやに終わってしまった。(勝ったのはハイペースに乗らずに後方で息を潜め、直線で外から追い込んだ11番人気のレッツゴーターキン。)

メジロパーマー

スタミナにものを言わせた中長距離戦での大逃げを武器に、1992年の宝塚記念有馬記念春秋グランプリ制覇を達成したヘリオスの同期。
前述のダイイチルビーは、92年安田記念をもって現役引退。「ヘリオスはライバル(恋人?)を失ってしまったなあ」と競馬ファンが囁いていたところ、その直後の宝塚記念でヘリオスとパーマーは初対決し、新コンビ結成のはじまりとなる。
テンからガンガン逃げて行くのが持ち味のパーマー。ヘリオスの気質上、こういう相手に対して負けられるか!と掛かって追うのは当然であった。2頭揃っての逃げの結果もたらされたレース模様について、詳しくは爆逃げコンビの項目を参照。
たった半年・3回の対戦歴であるが、この2頭が揃ったレースは単勝9・11・15番人気が勝利し、秋天と有馬は馬連万馬券の払い戻しとなった。2頭の逃げがもたらした大荒れの結果に多数の馬券購入者は頭を抱えたわけだが、愚直に逃げて自分達の走りを貫いた2頭に一種の爽やかさを感じた人も多かったようで、パーマーとヘリオスは愛着のもとに「バカコンビ(1号2号)」、後年には「爆逃げコンビ」とも呼ばれるようになった。

関連項目

競馬 競走馬 90世代
メイケイエール:ヘリオスより30年以上後の21世代の牝馬。血統的にヘリオスと接点はないが、「普段は大人しく真面目なのにレースでは『名古屋走り』『獅子舞』と評される掛かり・暴走を起こす」という馬で、似た気性の先例としてヘリオスが引かれることがある。

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