メイン画像は1996年の優勝馬フラワーパークと騎手田原成貴。
概要
略称は「宮杯」など。
元々は1967年に創設された重賞・『中京大賞典』が前身。1971年より高松宮宣仁親王(昭和天皇の実弟でもある。)より優勝杯が下賜されることを機に、『高松宮杯』と改称。同年を第1回とした。
その後も高松宮家より優勝杯の下賜が続けられたが、1987年に宣仁親王が薨去され、さらにその死後1997年に施行された皇室経済法等の規定によって、宮家より下賜の中止の申し出を受けたことから、翌1998年より『高松宮記念』に改称された。
距離
代替を除いて中京競馬場芝コースでの開催で、創設時から1995年までは芝2,000mの中距離レース、1996年のGⅠ昇格後はスプリンターズステークスと同じく1,200mの短距離レースとなっている。
時期としては2000m時代は6月下旬~7月中旬での施行で、当時は宝塚記念が6月初旬に行われていたため宝塚記念組がそのまま出走することもあり、実際勝ち馬のほとんどが中距離重賞勝ち馬が多い。GⅠ昇格後は5月中旬~下旬に施行時期が変更され、こちらは言うまでもなくスプリント重賞勝ち馬が多い。
1984年のグレード制導入時はGⅡで、その後1996年のGⅠ昇格まで、毎日王冠や中山記念などと並ぶ「スーパーGⅡ」としての側面があったと言われる。
その他詳細は高松宮記念を参照。
歴代優勝馬
回 | 年 | 馬名 | 騎手 | 備考 |
---|---|---|---|---|
昭和 | 中京芝2000mで施行 | |||
第1回 | 1971年 | シュンサクオー | 飯田明弘 | |
第2回 | 1972年 | ジョセツ | 岡部幸雄 | 初の牝馬勝利。 |
第3回 | 1973年 | タケデンバード | 蓑田早人 | このレースで宝塚記念馬ハマノパレードが予後不良となった。 |
第4回 | 1974年 | ハイセイコー | 増沢末夫 | 1973年皐月賞・1974年宝塚記念優勝。顕彰馬。 |
第5回 | 1975年 | イットー | 梁田善則 | 牝馬。「華麗なる一族」の一頭 |
第6回 | 1976年 | フジノパーシア | 大崎昭一 | 1975年天皇賞(秋)・1976年宝塚記念優勝。 |
第7回 | 1977年 | トウショウボーイ | 武邦彦 | 1976年皐月賞・有馬記念・1977年宝塚記念優勝。顕彰馬 |
第8回 | 1978年 | ヤマニンゴロー | 古川隆文 | |
第9回 | 1979年 | ネーハイジェット | 松本善登 | |
第10回 | 1980年 | リンドプルバン | 田原成貴 | |
第11回 | 1981年 | ハギノトップレディ | 伊藤清章 | 牝馬。イットーとの母娘制覇、1980年桜花賞・エリザベス女王杯優勝。 |
第12回 | 1982年 | カズシゲ | 田原成貴 | |
第13回 | 1983年 | ハギノカムイオー | 伊藤清章 | イットーとの母子制覇・ハギノトップレディとの姉弟制覇 |
グレード制導入(GⅡ) | ||||
第14回 | 1984年 | キョウエイレア | 田島信行 | |
第15回 | 1985年 | メジロモンスニー | 清水英次 | |
第16回 | 1986年 | ラグビーボール | 河内洋 | |
第17回 | 1987年 | ランドヒリュウ | 村本善之 | |
第18回 | 1988年 | オグリキャップ | 河内洋 | 4歳牡馬クラシック未登録のためこのレースに出走。1988年有馬記念・1989年マイルCS・1990年安田記念・有馬記念優勝。顕彰馬。 |
平成 | ||||
第19回 | 1989年 | メジロアルダン | 河内洋 | |
第20回 | 1990年 | バンブーメモリー | 武豊 | 1989年安田記念、1990年スプリンターズS優勝。 |
第21回 | 1991年 | ダイタクヘリオス | 加用正 | ダイイチルビーの母娘3代制覇を阻止、1991~1992年マイルCS優勝。 |
第22回 | 1992年 | ミスタースペイン | 石橋守 | |
第23回 | 1993年 | ロンシャンボーイ | 清山宏明 | |
第24回 | 1994年 | ナイスネイチャ | 松永昌博 | |
第25回 | 1995年 | マチカネタンホイザ | 柴田善臣 | 最後の勝利。 |
GⅠ昇格、芝1200mに距離変更 | ||||
第26回 | 1996年 | フラワーパーク | 田原成貴 | 牝馬。ナリタブライアンのラストランでもある。1996年スプリンターズS優勝。 |
第27回 | 1997年 | シンコウキング | 岡部幸雄 |
※1998年以降は高松宮記念を参照。