ハイセイコー
はいせいこー
石油ショックの世相の中で、男たちはお前に傷む心をあずけていた。
かもめのジョナサンが飛び交う街中で、子供たちは女たちはお前に愛しき挨拶を贈っていた。
――強さだけがヒーローの条件ではない。
昭和48年、数百万人のアイドルとなった大いなる男、人呼んで「怪物クン」。
忘れはしない、あの雄大な馬体。忘れはしない、あの軽快なフットワーク。
あの時のお前の勇姿が、私達にはどれほど優しい存在に映ったことだろうか。
あれから8年。だがハイセイコー、お前は今も走り続ける。
わが胸の内を、そして明日という希望のために。
ハイセイコーは、1970年3月6日生まれの競走馬・種牡馬。父:チャイナロック、母:ハイユウ、母父:カリム。毛色は鹿毛。
1970年代に社会現象を起こす驚異的な人気を誇った。少年向け漫画雑誌の週刊少年サンデー・週刊少年マガジンの表紙を飾ったアイドルホースであり、第1次競馬ブームの立役者である。しかし、時代の違いなのかこれほどの人気馬なのに2019年2月25日までピクシブでは記事が無かった。
2歳時 デビュー~中央移籍
1972年7月、地方競馬の大井競馬場でデビュー。同年11月にかけて3歳重賞の青雲賞(後にハイセイコー記念に改称)優勝を含む6連勝を達成し、競馬界で話題となり、翌1973年1月に中央競馬へ移籍し、「地方競馬の怪物」として大きな話題を集めた。
3歳時 地方の怪物、中央に降り立つ
移籍後もさっそくその片鱗を見せ、移籍初戦の弥生賞、スプリングステークスと連勝を続け、4月にクラシック三冠第1戦の皐月賞を難なく制する。
その人気は競馬の枠を超え、競馬雑誌やスポーツ新聞以外のメディアでも盛んに取り扱われるようになり、競馬に興味のない人々にまで人気が浸透していった。
日本ダービー ライバル、タケホープ登場
迎えた5月27日の日本ダービー、単勝支持率66.6%圧倒的一番人気で挑むが、結果は後にライバルとして立ちはだかるタケホープの3着に敗れる。これで不敗神話は崩壊したが人気はむしろ高まり、第1次競馬ブームと呼ばれる競馬ブームの立役者となった。
秋は京都新聞杯から始動して3着、そしてクラシック最終戦・菊花賞でも一番人気で挑み、3コーナーから先頭集団に出て、直線で先頭に立ち逃げ粘るところで、外からダービーでハイセイコーを負かしたタケホープが急襲。長い写真判定の結果、タケホープに鼻差差し切られて2着だった。
年末の有馬記念にも出走、ここでは天皇賞馬ベルワイドやタニノチカラをマークしてしまったために、勝ったストロングエイトの逃げ切りを許して3着に敗れてしまう。
1973年の年度代表馬選考で、ハイセイコーを年度代表馬に、という声もあったが、そのハイセイコーをダービー・菊花賞で破ったタケホープが結局年度代表馬となるが、ハイセイコーにも何か賞をあげてほしいということから、大衆賞(現在のJRA賞特別賞)を贈られた。
4歳時 怪物復活
古馬になってからはアメリカジョッキークラブカップから始動して、ここではライバル・タケホープの9着と敗れる。が、その次の中山記念ではタケホープ含めて2着以下を大差で破り、ふたたび怪物復活、となった。
そして春の大一番での天皇賞(春)ではまたタケホープとの対決となるが、距離が長かったことは否めず、タケホープの6着と敗れてしまった。これでもう終わったのかと思われたのか、次走となる宝塚記念では初めて2番人気まで人気を落としたが、ここは適距離である2200mであり2着に5馬身つけて楽勝、しかも当時のレコードタイム2分12秒9での快勝だった。
その後状態がよかったため高松宮杯(当時は芝2000m)に出走して、これも勝つ。秋になって京都大賞典に出走し、2番人気に支持されたが、休養明けで体調が万全でなかったことや、62kgという負担重量が響く形で4着。
京都大賞典の後、天皇賞(秋)(当時は現在のジャパンカップの週に行われていた)へのステップレースとしてオープン戦を選び、このレースでハイセイコーは2着となったが、レース後に鼻出血が確認され、「競走中に外傷性のものではない鼻出血を起こした競走馬は、当該競走から起算して発症1回目は1ヵ月間競走に出走できない」というルールの適用を受けることとなり、天皇賞(秋)への出走は断念せざるを得なくなった。
結局、その次は引退レースとなる有馬記念に出走。このレースは天皇賞馬タニノチカラの独壇場的逃げ切りだったが、タケホープとの最後の1戦でもあり、ハイセイコーとタケホープは2着争いだったが、最後はタケホープを首差凌いで2着入線だった。
翌1975年1月に現役を引退、引退式は東京競馬場で行われ、主戦騎手を務めた増沢末夫が歌った楽曲「さらばハイセイコー」はこの前後にリリースされた。総評としてはハイセイコーの勝利は1600mから2200mで、2400m以上は勝ちがなかったことから、典型的中距離馬だったといえる。
このハイセイコーブームは、後年1990年前後に起こった武豊騎手とオグリキャップの活躍を中心にした第2次ブームと並んで、日本競馬史における2大競馬ブームのうちの一つとされており。ハイセイコーが巻き起こしたブームは日本の競馬がギャンブルからレジャーに転じ、健全な娯楽として認知されるきっかけのひとつになったと評価されている。
ちなみに増沢は1990年の天皇賞(秋)とジャパンカップでオグリキャップに騎乗している。
引退後
引退、後も人気は衰えず、ハイセイコーが種牡馬となり北海道新冠町の明和牧場で繋養されるようになると観光バスの行列ができるほど多くのファンが同牧場を訪れるようになり、それまで馬産地を訪れることが少なかった競馬ファンと馬産地を結び付けた。
種牡馬としては初年度産駒のカツラノハイセイコが1979年に日本ダービーを優勝し、自身が果たせなかったダービー優勝を成し遂げ、さらには1981年にこれまた自身が果たせなかった天皇賞(春)も優勝している。ちなみにダービーを勝てなかった馬が初年度産駒にダービー馬を輩出するという例は、2015年にダービーで3着だったサトノクラウン、その息子タスティエーラが2023年のダービー馬になったという組み合わせが出るまではこの親子のみだった。カツラノハイセイコの他には、1989年のエリザベス女王杯で最低20番人気ながら優勝したサンドピアリスや、翌1990年に自身と同じく皐月賞を優勝したハクタイセイがおり、19頭の重賞優勝馬を送り出した。
また、キングハイセイコーが東京ダービー(大井競馬場)を勝ち、日本ダービーと東京ダービーを両方勝った数少ない種牡馬でもあった。
1997年に種牡馬を引退した後は繋養先の北海道・明和牧場で余生を送り、2000年5月4日に心臓麻痺のため同牧場で永眠。30歳だった。死亡直後、かつての主戦騎手で調教師に転じていた増沢は急ぎ明和牧場に駆け付け、横たわっていたハイセイコーのそばで無言で佇んだという。墓は同牧場に建てられており、その墓碑には、こう刻まれている。
「人々に感銘を与えた名馬、ここに眠る」
と。
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