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オイルショック

おいるしょっく

1973年10月と1978年10月に発生した石油価格の急激な上昇とそれによる経済的な混乱。石油危機。
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概要編集

オイルショック(英語:Oil Shock)は、1973年10月と1978年10月を起点に発生した石油価格の急激な上昇とそれによる経済的な混乱。1973年(第一次)と1978~1981年頃(第二次)の2回があるが、社会的影響力は第一次の方がはるかに大きかったため、単にオイルショックというと第一次を指す。


第一次石油危機編集

1973年に中東第4次中東戦争が勃発。産油国が多い中東地域での戦争だったことに加え、アラブ諸国がイスラエルに対して優位に立つべくOPEC(石油輸出国機構)に加盟する中東6ヶ国が原油価格の値上げを実施し、更にOAPEC(アラブ石油輸出国機構)がイスラエルを支援していたアメリカなどへの石油禁輸措置や非友好的だった西側諸国に対する石油輸出の段階的削減を実施。これら石油戦略と呼ばれる施策によって石油を輸入する先進諸国に経済的打撃を与えた。


1954年12月から高度経済成長が続いていた日本は石油の大半を中東に頼っていたため、物価が急上昇狂乱物価)。デマによってトイレットペーパーをはじめ石油とは無関係な商品への買占めが多発した。不足による出版社印刷会社の混乱も起こり、この事件は日本が高度経済成長期を終え安定成長期に移行するきっかけとなった。


当時の資料映像で、大量に買い占め自宅押入れにギュウギュウ詰めにしたトイレットロールを得意げに見せる中年消費者の映像が残っているが、当時の中年層は戦中・戦後の混乱期を経験している世代である(だいたい大正生まれから昭和一桁=1912年~1934年頃の生まれ)。


対策としてなされたもの編集

公共交通機関高速バス運行の取りやめ
公共事業高速道路建設、本四架橋などの先送り・凍結
ガソリンスタンド日曜営業の取りやめ 
テレビ局深夜放送の休止
燃費省エネ対策強化
エネルギー政策石炭原子力の見直し・石油備蓄など

世界的な影響編集

インフレ傾向を強めていた西側諸国は、石油危機によりスタグフレーション(インフレ下の不況)に突入。インフレ抑制のため各国に新自由主義緊縮政策が導入される布石となる。また、東側陣営の優等生と呼ばれた東ドイツでもオイルショックの影響で経済が減速。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一へとつながる遠因にもなった。


世界的にも交通機関の燃費対策が重視されるようになり、燃料を大量に消費するガスタービン機関車・超音速旅客機ロータリーエンジン車などの開発が断念される。1976年11月にコンコルドは製造を中止し、ロータリーエンジンを推していたマツダもラインアップの縮小を余儀無くされた。


第二次石油危機編集

1978年、パフラヴィー朝イランで政変が発生。10月には同国の石油産業労働者によるストライキが発生し、イランからの原油生産と輸出が一時的に停止される。これを受けて12月にOPECは「1979年1月から段階的に石油価格を値上げする」と決定。イランでは1979年1月には国王が国外退去し、2月にはイラン・イスラム共和国が樹立(イラン革命)。1980年9月に革命による混乱に乗じたイラクによる軍事侵攻(イラン・イラク戦争)を受けた。


これらイランをめぐる一連の混乱によって1981年10月までに石油価格が2倍以上に暴騰したが、第一次での学習効果・既に省エネルギー対策が浸透していたこと・日本銀行の金融引き締めで物価の上昇を抑制したことなどによって、日本経済に対する直接的影響は第一次ほどにはならなかった。


第二次石油ショックによって、すでに第一次石油ショックを受けて見直されつつあった先進国の石油依存は1980年代に抜本的に見直された。1973年の西側諸国の石油依存率は53%を超え、79年にも51.9%と依然高かったのに対し、1986年には原子力・石炭への代替によって45%に下がった。第二次オイルショックはディーゼル車がトラックバスのみならず一般の乗用車にまで広く普及するきっかけにもなったが、ガソリン車に比べ触媒技術が未発達であったため、後に問題化した。


その後編集

1981年10月をピークに石油価格の上昇が落ち着き、1986年3月に第1次オイルショックの時(12ドル)と近い水準まで暴落(10ドル)し、以後10年以上長らく原油相場が低迷した。


それでも2度のオイルショックの余波はかなり長く続き、レジャーで都市部のマイカー保有世帯が車を使いそうな日曜にもガソリンスタンドの多くが営業するように戻ったのは、昭和の末期である。その頃までは大多数の企業・官公庁が週休1日制(大企業・官庁は土曜半休)のため、実質的に大多数の都市部マイカー保有者は、当時の燃費の悪い車で長距離レジャーに車で出かけることを諦めざるを得ない仕組みになっており(そのような意図があったわけではなかったが)駅前商店街が平成初頭まで活気を保つ理由の一つとなった。


また、特に第二次石油ショックでは、物価上昇を抑えるため労働組合労使協調路線を採用し、人員整理を行わないかわりに賃下げ労働強化サービス残業の黙認など)が図られた。これにより過労死に至る「日本人の働きすぎ」が常態化することになった。


逆オイルショック編集

2015年12月に国際的な原油相場指標であるニューヨークのWTI原油先物市場の価格が1バレル34ドル台と、前年6月のピーク値の106ドル台と比べて3分の1以下にまで暴落する事態が発生し、株式市場などにも悪影響を与えた。2020年4月20日(東部標準時)には新型コロナウイルス感染症の影響でニューヨークのWTI原油先物価格が史上初のマイナスを記録し、一時1バレルがマイナス40ドル超まで落ち込んだ。


関連タグ編集

石油 燃費 経済 中東 高度経済成長期 安定成長期 1970年代 1980年代


シルバーブルーメ:こいつがある意味伝説の怪獣と化したのは、オイルショックの煽りでスポンサー収入が減ってしまったのが原因である。


イワイガワ!

岩井ジョニ夫:このフレーズを持ちギャグにしている芸人。


もしかして編集

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