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概要編集

首都東京(事実上)
面積37万7973平方キロメートル(北方領土含む)
人口1億2088万5000人(2024年2月))
国歌君が代
建国諸説あり(歴史項目で詳述)
通貨日本円
公用語日本語(事実上)
国家元首(職)天皇(事実上、異論あり)
政体議院内閣制 立憲君主国(事実上、異論あり)

日本国(にほんこく、英語:Japan)は、東アジアに属し、北太平洋西部に位置する立憲君主国。通常日本と呼称される。一般的に先進国とされ、主要国の枠組みであるG7G20の1国である。


領土と領海編集

国土は約37万7876km²であり、世界の中では61位・世界の島国の中では4番目に大きい。オホーツク海日本海東シナ海太平洋に囲まれた、日本列島と称する弓状列島(北海道本州四国九州)と、その周辺列島である南西諸島伊豆諸島小笠原諸島などを領土とする。現在は海外領土は領有しない。


領海は43万km²である。領海内には大小多数の離島を擁し、その数は海岸線の長さが100m以上のもので6852島存在することが確認されている。領海と排他的経済水域の面積合計は国土の約12倍の447万km²あり、世界第6位の広がりを持つ。


領土問題編集

日本も諸外国同様領土問題を抱えており、西方の竹島(韓国では独島と呼称)と北東の北方領土(歯舞群島・色丹・国後・択捉など)はそれぞれ韓国ロシアに不法占領された状態(日本側の認識上)にあり、南方の日本実行支配下にある尖閣諸島に関しては、中華人民共和国及び中華民国台湾)が領有を主張する(日本と中国がメインで争っている)。


気候編集

全土が海洋性の季節風モンスーン)の影響を受け、湿潤で春夏秋冬四季がハッキリしている。黒潮などの暖流親潮などの寒流に洗われ、大陸性のシベリア気団・揚子江気団と、海洋性のオホーツク海気団・小笠原気団の影響を受ける。


気候帯北海道及び本州北部の一部は冷帯が広がり、このうち日本海に面する地域は世界有数の豪雪地帯である。本州南部と九州・四国の大半は暖帯(暖温帯)で、一年を通じて農業が営まれる。沖縄諸島や小笠原群島などは亜熱帯、先島諸島は熱帯に属し、やや四季が不明瞭である。


複数の気候帯に又借り温暖湿潤であるため、国土面積の割には植生は多様性に富んでいる。また一部の熱帯作物を除くほとんどの地域の農産物が栽培可能であり、実際に多くの商品作物が栽培され流通している。冬には主要地域でが観測出来、夏には全ての地域で海水浴が可能である。



経済編集

2022年11月時点での名目GDPでは世界第3位の経済力を有する国で、1967 - 2010年に中国に抜かれるまでは世界第2位を維持していた。同年10月推計では1人当たりのGDPも世界順位31位の3万4357ドルであり、日本経済の凋落が著しい近年においても高所得国の部類である。1人当たりGDPは都市国家や小規模な国家が高くなるため日本のような大規模な国家の順位が下がりがちであるが、仮に東京を1つの国として見立てると15位相当の約55000ドルとなる。


第2次世界大戦敗戦後は人口増加もあり、国民所得はフィリピン以下という有様であった。しかし加工貿易によって繊維金属造船などの輸出向け製造業が成長し、一足遅れて流通・サービス業などの内需も発展した。


1970年代 - 1980年代の安定成長期には造船・鉄鋼などの「重厚長大産業」が衰退したものの、日本の国民経済は引続き世界上位を保ち、電機・半導体自動車工業などの強さから「世界の工場」・「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまでいわれた。1990年代までは主な輸出財として自動車・素材産業(鉄鋼・非鉄金属・セメントプラスチック繊維など)・精密機械・電機(家電や通信機器や重電など)・半導体を基幹としていたが、このうち家電・通信機器・半導体に関しては凋落が著しい。また日本が強みを持つ自動車や素材産業についても既に海外生産がメインとなり、英国・オーストラリアなどと同様に「工業製品を輸出して稼ぐ国」から「資金を海外に投資して稼ぐ国」となっている。それでも中国・米国・ドイツに次ぐ貿易輸出国ではある。


1991年3月のバブル崩壊後、「3つの過剰(雇用・設備・債務)」「行政改革」「構造改革」などが叫ばれて終身雇用が崩壊した。設備投資と公共投資の抑制により内需は縮小し、多くの企業や政府機関が極端に雇用を絞り込んだ結果、ベビーブーム世代の若者が路頭に迷う就職難を生み出した(就職氷河期)。これによって廉価な労働力が供給されて人材派遣業が発展した一方、かつての日本企業が大きな強みとしてきた「長期的な人材育成」が失われ、下請け企業に仕事を丸投げして儲けを出す悪習が蔓延して、日本企業の技術力に大きな打撃を与える事となった。


2010年代に入ると人件費を抑制して国際競争力を回復しようと円安政策が取られるが、製造業は復活せず、割安な物価を逆手にとって豊富な文化資源を武器に、近隣アジア諸国の観光客を呼込む観光産業が成長した。少子高齢化によって日本経済も大きく変動しており、かつて氷河期世代を切り捨てた結果として労働者が不足する一方、少子高齢化による高齢者増加は社会保障費増大に繋がり、自治体や政府財源を大いに圧迫している。政府・企業は高齢者雇用拡大・ワーキングプアと化した氷河期世代の就業・就労支援に乗り出しているが、遅きに失した感は否めない。


政治編集

日本国憲法に基づき、議院内閣制を採用する民主主義国家。太平洋戦争敗戦以来、領土内に米軍が駐留しており、独立国としての地位回復後も、時期により程度の強弱はあるものの一貫して米国影響下にある。


国家元首は憲法その他法令に明記されていない。外交儀礼上は天皇と解釈されることが多いが、内閣若しくはその長内閣総理大臣も元首的な役割を担っており、「日本には元首はいない」とされることもある。


天皇について編集

天皇は国政に関する権限を持たず、儀礼的な国事行為及び儀式を行う日本国及び日本国民統合の象徴と憲法上位置付けられている。行政権は内閣総理大臣を筆頭とした内閣が有し、大臣を長とする各省庁によって実際の行政が執行されている。日本国憲法第4条で天皇は政治的権限を一切持たない(国政に関する権能を有しない)ことが明記されているため、狭義の立憲君主制(君主権は憲法により制限されるが、政治的権限を留保する。英国など)よりもさらに君主の権限が小さい「象徴君主制」という形態である(現在象徴君主制をとる国としては他にスウェーデンがある)。

天照大御神の子孫とされ、戦前までは人の姿でありながらも神である現人神という扱いであった。神道の最高指導者(事実上)である。



天皇は英語では普通「Emperor」と表記するが、日本統治地域は日本列島とその周辺の小さな島だけであり、天皇には多民族・多地域を統治する英語の「Emperor」としての実態はないため、近年では英語圏でも「Tennou」と呼称することがある。


国政編集

国会衆議院参議院との2院で構成される両院制議会で、「国権の最高機関」にして「国の唯一の立法機関」とされる。衆議院・参議院はいずれも全国民を代表する選挙された国会議員によって組織されるが、議決(法律予算条約)・内閣総理大臣の指名・内閣不信任決議などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられており、これは「衆議院は解散がある上に任期が短く、より民意を反映しているため」と説明される。内閣は首長たる内閣総理大臣と、その他の国務大臣からなる合議制の機関である。


国会では、国会議員のみが法案提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案であり、国会議員が発議する法案が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる省庁が国会の多数を占める与党との調整を経て作成するため、省庁のキャリア官僚の国政に対する影響力が強く、官僚出身の政治家も多い。選挙活動は政治家を取り巻く後援組織の地盤固めに大いに依存するため、いわゆる世襲政治家も多い。


多くの政治家や官僚が米国政財界と太いパイプを持っており、米国の意向を「外圧」として自らの権益拡大に利用することが多い。


国際関係編集

米国アメリカ合衆国

日米安保条約によって緊密な同盟関係にあり、日本国内に米軍駐留している。日本は日米同盟を外交基軸としており、外務省は「日本・極東に平和と繁栄をもたらすと共に、アジア太平洋地域における安定と発展の基本的な枠組みとしても有効に機能している」としている。経済的にはかつては貿易摩擦が顕在化した時代があったが、近年は、中国を始めとする新興国の台頭の中で利害が一致する日米は協調関係にある。一般的に日本人の米国に対する好感度は極めて高く、2022年1月に日本の内閣府が実施した外交に関する世論調査によれば、米国に対して「親しみを感じる」・「どちらかというと親しみを感じる」と答えた日本人が88.6%に達しており、これは他外国に対する同一の数値と比較しても群を抜いて高い。


大韓民国

米国を介し準同盟国であり、日韓基本条約及びGSOMIAを締結している。過去の歴史的事象や領土の問題から多少の軋轢が生まれることはあるものの、日米韓で協力をして、アジア太平洋地域における安定と発展に貢献している。文化的交流も盛んであり、日本では韓国のポピュラー音楽K-POP)や料理が人気であり、韓国でも日本のアニメ漫画は人気。国際連合に加盟している東アジアの西側諸国は日本と韓国の2カ国のみである。


中華民国台湾

1952年8月に日華平和条約が締結され、日本は台湾との外交関係を回復した。しかし1972年9月の日中共同声明による日本と中国間の国交正常化を受け、公式的な外交関係が解消された。しかし、非公式な外交関係は維持しており、1972年12月に事実上の大使館・領事館の役割を果たす民間利益代表部(日本台湾交流協会)を設置した。


文化的・人的交流は引続き密接であり、2022年1月に台湾で行われた世論調査では、日本に対して「親しみを感じる」・「どちらかというと親しみを感じる」と答えた台湾人が96%に達している。


英国イギリス

同じ議院内閣制の立憲君主国であり、皇室と英国王室交流は1869年9月以来長きに渡っている。英国王室公文書館が開示した資料では、両国の特別な友好関係が示されている。この交流は戦後に日英両国が友好的関係を築くのに役立ち、新たな日英同盟にも多大な影響を与えている。

2023年、日本と英国の間に日英円滑化協定が締結された。


フランス

鎖国政策を放棄してようやく国際社会に組入れられたばかりの日本にとって、フランスは日本の近代化の良きモデルであった。1858年10月に締結された修好通商条約まで交流の歴史は遡り、それ以来様々交流によって友好関係が続いて来た。東京・お台場にある自由の女神のレプリカ像は、友好関係の記念として2000年12月に常設された。


ドイツ

明治 - 昭和にかけて多数の技術者や学者を招き、政治・法律・科学の知識を学んでいた。国際連盟を脱退した後は互いに他国に対抗するため、イタリアを加えた日独伊三国同盟を結び、そのまま第二次世界大戦へ突入した。戦後は東西ドイツの分裂や連合側の統治といった苦境を互いに乗り越え、現在は欧州最大の貿易相手国として友好が続いている。スポーツではサッカーブンデスリーガで活躍する日本人選手が多く、向こうでも日本人選手は人気がある。


中国

最大の貿易相手国であり、日系企業の海外拠点数で中国は第1位であるなど経済関係は一層緊密となっている。日本への外国人留学生の中では中国人比率が最も高い。中国では以前から日本の大衆文化(漫画・映画・アニメ・ゲーム・文学作品など)が人気を呼んでいるが、近年は日本への中国産ゲームやアニメ、テレビドラマなどの輸入も盛んになっている。一方で台湾海峡を巡る緊張領土問題尖閣諸島)・歴史認識の懸案事項を抱えており、相互の否定的なイメージの要因となっている。


ロシア

北方領土問題・シベリア抑留・漁民に対する銃撃と拿捕・資源問題などの懸案事項を抱えている。2016年3月に「全ロシア世論研究センター」が、日本の外務省の依頼を受けて調査を実施した。同年9月にこの調査の結果が発表され、ロシア国民の多くが日本とは友好関係にあると考えて重視しており、両国友好関係を「重要」または「どちらかと言えば重要」と答えたロシア人は97%いた。しかし、2022年にロシアがウクライナへと侵攻すると、日本はウクライナを支持してロシアに経済制裁を課した。その報復として、ロシアは日本を非友好国リストの1つに指定した。


北朝鮮

国交はない。かつて北朝鮮の工作員が、世界各国の一般人を密かに拉致していたことが知られているが、とりわけ日本との間では2002年の日朝首脳会談以降「拉致問題」としてクローズアップされている。近年も核拡散防止条約に違反して核兵器開発を行ったり、日本や米国の領海などに向かって弾道ミサイルを発射したりするなどの挑発行為を繰返している。これに対抗するために、日本は米国や韓国などと共に、北朝鮮を非核化させるために経済制裁を課している。


パラオ

太平洋に位置する島国国家の1つ。1919年パリ講和会議で日本の委任統治領となり、第二次世界大戦後は日本の敗戦で統治から離れるも、日本統治中にインフラ整備や近代化が進められたこともあってか、太平洋諸国の中でも特に親日的な国家として知られる。

時折日本から天皇や大臣クラスの政治家が訪問することもある。


歴史編集

日本の歴史(日本史)は日本列島の歴史と同一視される。だが日本は段階的に成立して来た歴史を持つ国であるため、明確な建国の時期を持っていない。


現在の日本政府の直接の前身である政体が発足したのは慶応3年12月9日(1868年1月3日)に明治天皇から発せられた勅令「王政復古の大号令」によるが、この勅令自体が「神武建国」への復古という建前を持つものであった。


「国家」としての「日本」の成立は、律令国家体制を完成させた7世紀後半から8世紀初頭頃だとする意見もあるが、「律令制」とは、古代中国大陸西晋で成立して広まった東アジア独特のものであり、何も世界における国家定義の標準というわけではない。


時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。考古学上は旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代・歴史時代とするのが一般的である。


歴史学上は古代飛鳥時代奈良時代平安時代中期以前)、中世(平安時代の院政期と平氏政権期・鎌倉時代室町時代)、近世安土桃山時代江戸時代)、近代幕末明治大正昭和初期)現代(昭和戦後平成令和)の5分法が通説である。欧州史では1989年東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が多いが、日本史(を含む東アジア史)では1945年8月15日の日本降伏を境に以降を「現代」として分けている。


通史編集

日本史も参照


先史編集

詳細は旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代

日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前又は約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島北部は、樺太を通じて北アジア(シベリア)と陸続きで、北方から古モンゴロイドが入り、日本人の祖先となった。ただし、約1万2000年前まで続いた最終氷期では、中国大陸及び朝鮮半島とは陸続きにはならず、朝鮮海峡は狭い水道となっていた。


最終氷期が終わる以前に大陸から分離し、日本列島の人々はユーラシアの新石器文化とは異質な要素の多い縄文文化を築く。ただ、この後も大陸との間で通交・交流が行われ、巨視的には日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。しかし、東アジア最東方に所在する島国という地理的条件により、他の東アジア地域と異質な要素を持つ独自の文化・社会・政治体制を発達させた。


紀元前8世紀頃以降中国南部から稲作を中心とする文化様式が伝わると、各地に「ムラ」「クニ」と呼ばれる政治組織が徐々に形成され、紀元前後に各クニ連合による倭国と呼ばれる大規模な政治組織が出現した。クニ・ムラ連合的政治組織は、4世紀までに統一王権(大和王権)へと発展する。中国や朝鮮半島の動乱に伴い多くの渡来人が日本に入り、同時に様々な技術や物品も日本に入って来た(馬や仏教など)。


古代編集

詳細は飛鳥時代・奈良時代・平安時代へ

大和王権は朝鮮半島の百済新羅に対して度重なる出兵を行い、半島に影響力を持っていた。663年3月に百済の復興のために援軍を派遣するが、同年8月の白村江の戦いと新羅の連合軍に敗北して半島への影響力を失う。7世紀後半に中国)の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国(律令国)としての完成を見た。当時の日本は隋との通交以来中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする冊封体制からの独立を志向した。これは他東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引継がれた。


その後は東アジアの中でも国際的な地位を保持し続け、7世紀に中華王朝に対して独自の「天子」を称し、13世紀の元寇、16世紀のヨーロッパアジア進出、19世紀の欧米列強進出など、様々な事態にも対応して独立を維持して来た。成立当時の日本支配地域は日本列島全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外であった。九州南部は8世紀末に組込まれたが、抵抗の強かった東北地方の全域が完全に領域に組込まれたのは、鎌倉時代に入ってからである。


特に8・9世紀は蝦夷征服活動が活発化すると共に、新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期であるが、10世紀に入ってこうした動きも沈静化した。ただし、北東北及び北海道ではこの時期の関東以南で作られた工芸品が多く出土しており、蝦夷と本州中央部の人々は交易などを通じて密接な関係を保ち続けた。


中世編集

詳細は平安時代・治天の君・鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・戦国時代・安土桃山時代へ

10世紀 - 12世紀にかけ、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国家体制を経て中世国家(武家政権と朝廷の二重政権)へと移行した。12世紀頃から起請文などの私的な文書に「日本」や「日本国」の表記がしばしば見られ、社会に「日本」や「日本人」の意識が浸透した事の表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となった。


14世紀 - 15世紀までの時期には、社会の中世的な分権化が一層進展したが、15世紀後半頃から戦国大名勢力による地域国家の形成が急速に進んだ。この地域国家は度重なる戦乱を経て再統合へと向かい、織田信長による列島主要部の掌握を経て、1590年7月に小田原攻めの成功により豊臣秀吉が全国の大名を掌握し、日本の統一がされた。


近世編集

詳細は戦国時代・安土桃山時代・江戸時代へ

天下統一を果たした秀吉は明朝の征服を目論み、諸大名を動員して朝鮮に2回に渡り出兵(文禄の役)するが、1598年の秀吉の死と共に中華征服の夢は潰えた。そして1600年の

関ヶ原の戦いにより徳川家康の覇権が確立し、家康は1603年に江戸幕府を開く。


1615年の大坂夏の陣豊臣家は滅ぼされ、150年近くに渡って断続的に続いた戦国の世は完全に終わりを告げる(元和偃武)。「天下泰平」と呼ばれる社会安定化に伴って日本の人口は大幅に増加し、日本の多くの地域が目覚ましい経済発展を遂げた。


1593年1月に蠣崎氏が北海道南部に本拠を置き、豊臣政権から北海道・千島樺太を含む蝦夷地の支配権を安堵された。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、いわば「境界」ともいうべき地域であったが、1669年6月のシャクシャインの戦いなどによって北方への関心が強まると、アイヌ・ロシアへの他者意識が「日本」・「日本人」観となって庶民層にまで定着し、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。


南方に目を向けると、1609年3月に薩摩島津氏琉球王国へ侵攻して支配下に収めたが、その後も琉球王国は日本・中国への両属を続けた。王府の代替わりと将軍の代替わりの際に琉球から派遣される慶賀使節「江戸上り」の際には、一行は島津の意向で異国風(中国風)の装束を纏わされ、島津氏が先導することで「異国を支配する島津の威光」を強調した。


幕府は1633年から1639年にかけて外国船の渡航を禁じるいわゆる「鎖国令」を発し、対外貿易を長崎でのオランダ商館と中国船との貿易だけに制限した。また正式の外交関係を朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」に限定し、日本人の海外渡航を禁じる海禁政策を取った(いわゆる鎖国)。


アジア諸国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く維持した事は、国民国家意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国建設の基礎となった。民間では大義名分を重んじる宋学の考えや平田篤胤らによる国学普及に伴って、朝廷の伝統的権威を重んじる尊王思想と民族意識が高まって行った。


近代編集

詳細は幕末明治日本近代史昭和史などへ

1853年6月のマシュー・カルブレイス・ペリーによる黒船来航で開港を迫られた江戸幕府は日本側に不利な「日米修好通商条約」を米国との間で結ばされ、同様の条約を英国・フランス・オランダ・ロシアとも結んだ(安政五ヶ国条約)。これが「戦うことなく外国の要求に屈した」として、幕府の権威の失墜を招き尊王攘夷と呼ばれる反幕府・排外主義運動に結び付いてしまう。またこの中で諸侯から民衆まで広く意見を集めて国政を行うべきという「公議輿論」の考えが広まった。


幕府は1867年11月9日に「大政奉還」を発して国家改革の主導権を握ることを目指したが、朝廷は1868年1月の「王政復古の大号令」によって新政府の樹立を決定、薩摩・長州・土佐・肥前の4藩を主軸とする明治政府が発足する(明治維新)。明治政府は戊辰戦争によって旧幕府勢力を排除し、近代国家の建設を急速に進め、1871年8月の廃藩置県によって半ば強引に大名領()を返上させて中央集権体制を確立した。同時に近隣諸国と国境を確定させ、1875年5月に樺太を放棄する代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(樺太・千島交換条約)、同年11月に明治丸小笠原諸島に派遣して日本による統治を各国に通告した。1879年3月に琉球藩にも廃藩置県を実施(琉球処分)して南西諸島方面にも直接支配を及ぼし、ここに1度近代国家としての日本の領域が確定した。


明治政府が中央集権体制を確立する中で「公議輿論」は形骸化し、薩長土肥、特に薩長2藩の出身者が実権を握る藩閥政治への不満が高まる(自由民権運動)。政府もこれに押されて1885年12月に内閣制度を発足させ、1889年2月に大日本帝国憲法・衆議院議員選挙法を制定し、1890年7月に第1回衆議院議員総選挙を実施して帝国議会を設置した。こうしてアジアで初めて憲法と議会を持つ立憲国家となった。なお近代憲法はオスマン帝国のミドハト憲法の方が早く施行されたが、ミドハト憲法は1876年12月に施行された後すぐに停止され、オスマン帝国は1908年まで専制政治に逆戻りしていたたので、アジアで立憲政治を確立したのは日本が最初である。


19世紀後半 - 20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、1894年7月に日清戦争を引き起こし、台湾・澎湖諸島を領土に収める。1902年にはロシアへの牽制として日英同盟を締結、イギリスを後ろ盾に日露戦争を戦った。1905年9月に日露戦争にに勝利した日本は、南樺太を領土に収め、関東州租借権を獲得、朝鮮を併合した。こうして日本は列強の一国に数えられるようになり、1914年に連合国側で第一次世界大戦に参戦、連合国5大国の一国としてドイツの山東省権益と、パラオマーシャル諸島などの赤道以北の南洋諸島を委任統治領として譲り受けるとともに、1920年発足の国際連盟常任理事国となった。1925年3月には男子普通選挙が実現した。


しかし、第1次世界大戦後の日本の対外志向の強まりは米国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、日英同盟解消の一因ともなった。1932年7月の満洲国建国、1940年日独伊三国同盟の締結などの日本の挑発的な外交政策によって日米関係は破綻に至り、最終的に1941年12月の太平洋戦争大東亜戦争)勃発に結びついてしまう。1945年に米英ソなどの連合国に無条件降伏した日本は米軍を中心とする連合国軍によって史上初めて外国の占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の全てを、それ以前からの領土の一部である南西諸島・千島列島・小笠原諸島と共に失った。第一次世界大戦後の日本の対外志向の強まりは米国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、日英同盟解消の一因ともなった。1932年7月の満洲国の建国、1940年日独伊三国条約の締結などの日本の外交政策によって日米関係は破綻に至り、最終的に1941年12月の大東亜戦争太平洋戦争)勃発に結びついてしまう。1945年に米英ソなどの連合国に無条件降伏した日本はアメリカ軍を中心とする連合国軍によって史上初めて外国の占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権全てをそれ以前からの領土の一部である南西諸島・千島列島・小笠原諸島と共に失った。


現代編集

詳細は昭和史平成などへ

1946年11月に大日本帝国憲法の改正として日本国憲法が公布され、1947年5月に施行された。占領下にあった日本1952年4月のサンフランシスコ平和条約によって主権を回復したものの、これに先立つ1951年に9月に旧日米安保条約が締結され、進駐軍は在日米軍として駐屯を継続した。なお、旧条約は1960年1月に現行の日米安保条約に引き継がれ、日本の領域内に限定した日米双方の防衛義務が明記されて日米同盟が強化された。


1956年10月に日ソ共同宣言を締結し旧ソ連との国交回復を果たしたことにより本格的な国際社会復帰への道筋を付け、同年12月には悲願の国連加盟が実現した、また、ソ連国交回復によって北洋漁業が再開され、さらに米ソの賛同を得て戦後初の国際協力事業である南極観測事業を成功させた。戦後日本は戦前の様な独自の勢力圏獲得は目指さず、冷戦下の世界において西側諸国の1国として経済力を伸長させる道を選ぶ。1960年池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を発表して目覚しい経済発展を遂げ、1964年OECD加盟、東京オリンピック開催を経て1968年にはアメリカ合衆国に次ぐ経済力を有する経済大国となった。


1972年5月15日には日本の施政権から切り離されていた沖縄県本土復帰。同年10月には日中共同声明を発して中国との国交が樹立され、1978年8月12日には日中平和友好条約が締結されて戦後処理に一区切りが付いた。しかし、これに伴い日華平和条約(1952年発効)が失効し、台湾国民政府と断交。また、旧ソ連とは1991年12月の旧ソ連崩壊まで平和条約が締結されなかった。


日本は1960年代後半以降先進国の1国として数々の国際的役割を果たし、アジアを中心とする多くの途上国で成長モデルとして目標にされた。21世紀に至り、少子化高齢化社会に伴う人口減少・経済成長の停滞など、数多くの課題に直面している。しかしそれでも先進国として主要国の1つに数えられている。


社会編集

詳細は日本社会も参照


人口編集

2024年2月時点で1億2088万5000人である。


言語編集

公用語は法律には特に明記されていないが、事実上は孤立した言語である日本語(同系の言語が他に無い)である。漢字文化圏に属し、日本語表記には漢字とそれから派生した仮名ひらがなカタカナ)を用いる。定住外国人が使う言語としては中国語韓国語ベトナム語ポルトガル語を用いるコミュニティが比較的大きい。

国内の日本語識字率はほぼ100%とされており、(常用外の用語や難解な熟語を除けば)ほとんどの国民に通じる。

一方、世界の共通言語である英語の能力指数は113ヶ国中80 - 90位とかなり落ち込んでおり、グローバル社会において大きな足かせになっているという指摘もある。


民族編集

古来から日本列島で暮らして来た人々の大半は、日本民族(大和民族)と呼ばれ、日本に住む者のほとんど(約98.5%)を占める。また、日本列島にルーツを持つ他の民族として、アイヌ・ニヴフ・ウィルタがいる。アイヌは北海道の先住民族として政府から認定されているが、樺太にルーツを持つニヴフとウィルタは政府による公式な認定を受けていない。


蝦夷地と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌや琉球王国を樹立した南西諸島の人々は弥生時代以降本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土政権支配下には入らずに異なる歴史を歩んだ経緯がある。沖縄諸島又は琉球諸島の住民を琉球民族として大和民族と分ける考えもある。ヤマト王権側から書かれた古代史には、九州地方に熊襲・東日本に蝦夷など、文化を異にする部族がいたという記録がある。彼らは徐々に大和朝廷に臣従しながら大和民族と同化して行ったとされる。


アイヌ語と日本語との比較言語学的な関連が見出せないことから、アイヌと大和民族との関連について様々な議論があるが、遺伝学や考古学的証拠から大和民族との関係を重視する学説が有力になり、大和民族に同化しきらなかった蝦夷がオホーツク文化などの影響を受けつつ、徐々に中世頃から分化したものと考えられている。アイヌを含む日本人起源は北方系古モンゴロイドの縄文人を基層にしたものとの説が近年有力だが、弥生時代前後のユーラシア大陸からの移住者の影響を重視する見解もある。自称として「和人」あるいは近代的な民族意識の下で、「大和民族」「日本民族」ともいう。


南西諸島の人々は平安時代以前に九州から南下した人々が中心となっているとされ、言語的にも本土の住民とルーツを同じくしていることは明らかである。アイヌ民族も血統的には和人同様縄文時代人の直系子孫との見解が、ここ最近の人類学会ではほぼ定着している。しかし歴史学や考古学の立場からは、和人との異質性や中世のオホーツク文化の影響を強く主張し、北方民族との接触を経てアイヌ文化が成立するという見解を取る研究者が多い。


列島主要部ではヤマト王権成立に伴い、中国大陸や朝鮮半島から渡って来た渡来系を含め、和人としての文化的な一体性が形成される。その後蝦夷など朝廷支配下に入るのが遅れた人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州全域が和人生活範囲となった。江戸時代には薩摩藩による琉球への侵攻・松前藩のアイヌ支配確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島全域が和人勢力圏に置かれた。現在アイヌ語を第1母語とする人々は既に絶えているが、アイヌ文化振興法が制定されて郷土文化保存・再興が図られている。なおアイヌと共に南樺太にいたウィルタやニヴフの多くは、1945年8月の旧ソ連侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。


小笠原諸島には19世紀初頭にハワイから植民団が入植し、ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーが形成された。明治維新の後に日本による領有が確定すると、順次彼らも日本国籍を取得して日本人の社会に溶け込んだ。


宗教編集

主な宗教は神道大乗仏教である。隣国・韓国と異なり、信教の自由が認められて以降もキリスト教の信徒数は伸びなかった。ユダヤ教イスラム教ヒンドゥー教の信徒もごく少なく、在日外国人を除けば数えられる程僅かである。しかし、教派神道系を除けば意識的に神道を信仰している日本人はそれ程多くはない。仏教についても3宝(仏・法・僧)に帰依する事を誓い、受戒して仏教徒になった在家信者は限られているが、冠婚葬祭や折々の習俗を通じて、神道や仏教のしきたりは生活に根付いている。


明治以降の日本仏教の特徴として、葬式仏教と揶揄される様に葬儀法事以外に人々の生活に密接な関わりを持たなくなっている・仏僧の妻帯が常態化していることが挙げられる。多くの寺院は住職世襲が常態化し、檀家を顧客とする自営業の様になっている。元々こうだった訳では無く、開祖が結婚した浄土真宗を除く仏教各宗派の開祖・伝統は仏僧の女犯・妻帯を認めておらず、江戸幕府はこれを取り締まっていたが、当時から浄土真宗以外の宗派でも隠れて妻帯していた僧は多数存在したといわれる。


失敗国家ランキング編集

2023年度の失敗国家ランキングでの日本国の順位は161位だった。これはアジアではシンガポールに次いで2番目に低い順位である(ちなみに3番目に低いのは韓国)。

少子高齢化などの問題が深刻であるため「ものすごく良い国」(持続可能)というほどではないものの、治安や衛生面、政府機関の破綻といった致命的な問題は少なく、概ね安定している国という評価である。

ちなみにG7では米国やイタリア、英国より低い順位となっている。フランス(162位)とはほぼ同じくらい。ドイツカナダよりは高い順位となっているが、大きな差はない。


余談編集

国名編集

国号の由来は日本列島が東の果て、つまり「日の本」に位置することが由来とされており、命名当時に朝鮮半島を支配していた新羅に対する優位も意識されたという。日本という国名が使われるようになったのは新羅本紀によれば670年12月で、それまでは「倭」と呼ばれていた。「倭」の表記は古く、1世紀に成立した漢書に見える。また3世紀末に成立した魏志倭人伝によれば邪馬台国など多くの国が当時、倭人の国として存在していたとされる。「日本」は当初は呉音で「にっぽん」もしくは漢音で「じっぽん」と音読みされた。「にほん」読みの起源は不明だが室町時代には確認できる。


日本文化を特徴的に示す概念として、「和」という言葉がしばしば用いられる。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧・欧米)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある。「やまと」は本来、奈良県の大和平野南部を指すが、古くから日本全体を指すために使われて来た言葉でもある。


日本国の別名としては、大八洲国大八島国葦原中国豊葦原之水穂国豊葦原千五百秋之瑞穂国秋津洲秋津島豊秋津洲蜻蛉洲浦安国などの称があり、海外の日本に対する称号としては扶桑君子国汗国阿毎卿などがある。英語での呼称はJapan。これはマルコ・ポーロが東方見聞録で日本の中国語読み「ジーベングオ」を「Zipangu」と翻訳したことに由来する。しかし対外的にはNipponとも書かれる。


総合的なデータ編集

これまでのデータを総合すると、次の姿が見えて来る。


データ世界ランキング/197ヶ国中備考
人口11位G7と呼ばれる国々の中では、米国に次いで多い
面積61位日本のすぐ下がドイツ
経済力4位世界2位であった期間は約42年、2024年にはドイツにGDPで追い抜かれる
科学力4位ここで言う科学力とは、発表された論文の数
軍事力5位専門家による評価であるが、あくまでも所持する兵器の数などで判断した場合

これをインド以東のアジア地域に限定すると次の通り。


データランキング備考
人口アジア6位人口が多いアジア地域の中でも、億を超えた人口は7ヶ国である
面積アジア8位島として見た場合、日本はアジアの中でも最大である
経済力アジア2位中国に抜かれるまでは1位
科学力アジア2位世界ランキング同様
軍事力アジア5位世界ランキング同様

総じていうと人口・経済力・軍事力・科学力共に世界トップクラスで、面積に関してもアジアでは十指に入り、21世紀初頭における大国の1国といえる。


表記揺れ編集

日本 にほん にっぽん ニホン ニッポン ジャパン / JAPAN

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