概要
1586(天正14)年に、羽柴秀吉が太政大臣に任官した際に、正親町天皇より下賜されたとするのが通説であるが、それ以前からとの説もある。ちなみに「羽柴」は苗字であるため(藤原氏と五摂家の違いのようなもの)、秀吉は生涯にわたって「豊臣氏の羽柴秀吉」であるとされる(ただし豊臣改姓後、秀吉の羽柴姓を使用した書状はない)。
秀吉は源平藤橘という既存の氏族に対抗するため、大名やその家臣(陪臣)に与えて箔付けを行った(例として1586年に豊臣姓を下賜された者に、甥の秀次の家臣・笹部重政や徳川家康の家臣である井伊直政・榊原康政・高力清長・大久保忠隣がいる)。
秀吉死後の1603(慶長8)年、家康が「源朝臣」つまり源氏として征夷大将軍に就任してからも豊臣姓の下賜は続いたが、1615(慶長20)年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が滅ぼされた後は、下賜された者たちの大部分は幕府を憚って豊臣姓や羽柴の名字を使用をやめており、幕末まで使い続けていたのは高台院の親族である備中足守と豊後日出の木下氏とその分家、朝廷の地下人の一家のみである。