概要
「樺太」の呼称は、アイヌ語で「神が河口に作った島」という意味の「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ」が省略された形であるとされる。
南北に細長く、南から北までの広がりは北海道の2倍の940kmにも及ぶ(南端が北緯45度54分、北端が北緯54度20分)が、面積は北海道よりやや小さい。北海道とは宗谷海峡(ラ・ペルーズ海峡)、大陸からは間宮海峡(韃靼海峡、タタール海峡)で隔てられる。
古くは南部にアイヌ、中部にニヴフ、中北部にウィルタが居住し、南部大泊に松前藩の陣屋が置かれアイヌとの交易を行っていた。古くは南北を踏破した者は誰もおらず、半島であるか島であるかすら謎であったが、江戸時代に間宮林蔵が全島の探検を行い、樺太が島であることを確認した。
日露の国境画定(樺太千島交換条約)に伴い樺太はロシア帝国に属することになるが、日露戦争の結果、1905年にポーツマス条約が締結され北緯50度以南は日本に編入された。
しかし、第二次世界大戦末期に日本側の関特演による中立違反を根拠にソビエト連邦の侵攻を受け、戦後、当地に居住する日本人やアイヌ、ニヴフやウィルタの一部はシベリア抑留や北海道へ追放された。
日本領だったころは日本唯一の「陸地にある国境」が見れるとして観光客が多く訪れていた。
領土問題
日本政府は南部に関しては、帰属未定地であると主張している。
しかし、サンフランシスコ平和条約で「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と宣言している。
樺太の一部(南樺太)及び千島列島の主権帰属国は明示されていないが無主地先占の原則に則りソビエト連邦並びにその後継国家ロシア連邦が領有権を有する。
なお、日本共産党はソ連およびロシアの主張する「戦争による領土拡張」に反対する立場から、「樺太・千島交換条約」に基づいて千島列島全ての領有権を主張しているが、樺太の領有権は主張していない。
仮に第二次世界大戦末期のソ連による進攻がなかった場合、戦後の南樺太は樺太県になり、現在の日本は48都道府県になっていたと思われる。