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曖昧さ回避編集

千田光男:名前の読みが同じの声優


概要編集

本名:中野光雄(1947年7月29日~)

日本のタレントコメディアン

1970年代に「ぎんざNOW!」(TBS)、「金曜10時!うわさのチャンネル!!」(日本テレビ)などに出演し人気司会者となった。

芸名の由来は、慣用句の「せんみつ」(千に三つしか本当のことを言わないさま)から 。


既婚者で、実息は俳優・せんだ雄太、実娘はタレント・せんだるか。


持ちギャグとしては、両手を顔の横に上げ、それを前後に動かしながら「ナハッ!ナハッ!」と言う、「せんだ偉い!せんだ偉い!」と自分で自分を持ち上げる、などがある。

声優としてはNHK人形劇三国志』で張飛夏侯淵龐徳らを演じた。


略歴編集

1947年、樺太真岡郡真岡町に生まれる。父は王子製紙技術者

1948年、家族で日本に引き揚げ、北上市岩手県)、日南市宮崎県)を経て杉並区東京都)に移り住む。

1956年、「劇団杉の子」で2年ほど子役として活動。

1963年、法政大学第一高等学校(現:法政大学高等学校)に入学。菅原進と知り合う。

1966年、駒澤大学に入学するが中退。その後服部栄養専門学校調理師の免許を取得。

1967年、菅原進に誘われビリー・バンバンに加入。コンガを担当。

1968年、ビリー・バンバンが兄弟デュオとして再編成されたため、ムッシュ中野という芸名で付き人司会となる。司会者として評判が良く、井上陽水吉田拓郎などにも司会を任された。ニッポン放送ディレクター上野修により芸名「せんだみつお」が付けられる。

1969年、和田アキ子とのトーク番組「ワゴンでデート」(ニッポン放送)でメインの司会者に抜擢され、その後多くのラジオ番組の司会者を務める。

1972年、バラエティ「ぎんざNOW!」でテレビに進出。

1973年、「うわさのチャンネル」の司会を務め、大人気になる。

1978年、肝炎尿管結石で入院。半年休業後、レギュラー番組が全部無くなっていた。以降、「ウケない金ない仕事がない」等の自虐ネタを持ちネタとするようになり、1980年代以降は俳優業に活動の重心を移している。

1986年、TBSの時代劇「水戸黄門」の第16部で煙の又平役を演じる(ちなみに同部では由美かおる演じるかげろうお銀が初登場)。

余談編集

1990年代、本人が与り知らぬところで、合コンなど宴会の余興で行われる「せんだみつおゲーム」なるゲームが流行った。


関連イラスト編集

池上とせんだ。

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