概要
正式名称 | 日本国との平和条約 |
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別名 | サンフランシスコ講和条約 |
署名 | 1951年9月8日 |
発効 | 1952年4月28日 |
言語 | 英語・フランス語・スペイン語 |
主な内容 | 第2次世界大戦に於ける連合国と日本の間の平和条約 |
締結された場所 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ |
締結した国 | 日本国・連合国 |
日本国との平和条約(にっぽんこくとのへいわじょうやく、英語:Treaty of Peace with Japan、フランス語:Traité de San Francisco、スペイン語:Tratado de San Francisco)は、1951年9月に連合国諸国と日本との間で締結された平和条約。第2次世界大戦に於けるアメリカ合衆国を初めとするソ連・中華民国以外の連合国諸国と日本国の間での戦争状態が正式に終了し、同時に日米安保条約が締結された事で、アメリカと日本による軍事的な同盟関係が確立された。
条約に基づいて実行された事項
放棄の対象となった領土
この条約で日本は韓国の独立を公式に承認し、済州島・巨文島・欝陵島を含む朝鮮半島・台湾・澎湖諸島・千島列島・南樺太・新南群島(南沙諸島)・西沙群島の領有権を正式に放棄した。一方で歯舞諸島・色丹島は放棄の対象外とされたが、日本政府はこの条約に署名した1951年9月当時は択捉島と国後島は千島列島に含まれると答弁していたものの、1956年2月には含まれないと主張している。結局歯舞群島と色丹島を除いては、領土問題について日本とソ連の間で意見が一致する見通しが立たず、同年10月に平和条約に代えて日ソ共同宣言を締結した。
南樺太の処遇
1952年8月に中華民国と日華平和条約を締結した一方で、ソ連が条約を締結していなかった事から放棄した南樺太の放棄先がこの条約では決まっていない。しかし結局無主地先占の原則によってソ連の一部になった為、南樺太は日本製の世界地図では無主地となっている事が多い。