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すべて見る法を視座とした場合における倫理について (対話形式による)
本当は20行ぐらいにまとめるつもりでしたが、グダグダとしてしまい長くなりました。 Aの内容を分割してBとの議論という形式をとるつもりでしたが、普通に失敗しました。 対話というよりインタビュー形式でしょうか。 硬い文体なのは、これが論文的な性質であることと、 単純にめんどくさかったからです。とても面白くない文章ですが、 単純に内容を考えれば、それ自体は内容が要求するものではないのでオールOKです。 内容を要約するなら、ルールは適用される人たちの間で共有される知識とそれへの認識が必要であり それは既にあるものと考えず、共有する、させるといった行為によって 共有されているという前提を持つことが出来、ルールはその上でしかちゃんと機能することはない。 という話です。原理、原則の話です。運用や適用の話ではないです。 もっと簡潔に言えば、ルールの前には教育が必要で、そこに関わることが大切で、 教育がない社会でルールがちゃんと守られるなんて考えは狸の皮算用です、という話。 会話の中で「私」がよく出てきますが、単純に発話者だけを示しているわけではなく、 社会的主体としての自己、普遍的人間としての個人をも含むものです。 公に対する発話という行為の中で「私」というのはどのようなものであれ、 それらを含むものとして、私たち自身が捉えているためです。 ここでは「私」は自覚的に多重的意味を持って発話されていますが、 本来意識せずともそういう性格を持つ、ということです。2,567文字pixiv小説作品