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大雑把に言えばのこと。ただし、「国」は地域故郷大地といった意味でも使われる。

なお、日本では古代においては天皇の別名の1つとして使われ、日本書紀などで「国家」という単語が出た場合は「みかど」「おおきみ」と読むのが通例である。

戦国時代ごろから「国土と家臣」(≒領地と領民)の略として現在のような意味に使われるようになったと見られている。

国家の定義

 英文の"State"の翻訳として明治時代に中国古典から充てられた訳語である。中国古典では国とは城壁都市、家とは家庭を指し、国家とは公私の生活、転じてその全てを支配する天子のことも指した。Stateとはプラトンが"Πολιτεία"(『国家』)という文献を書いた時代からある用語で、古代ギリシャ当時で言えば都市国家そのものを指した。

 しかし今日的な意味での「国家」という概念が成立したのは近代である。近代国家が国家として承認されるには現在次の二つの説が挙げられる。

  1. 明確な領土国民主権といった国家の要件を備えて自ら国家であると宣言すれば国家であるという立場(宣言的効果説)。
  2. 上記四つの要素を備えて国家と宣言するだけでは国家ではない。他国から国家として承認を得て初めて国家となる(創設的効果説)。

 かつて国際社会を構成していた国家のほとんどが欧州を中心とするキリスト教文明社会であった頃には創設的効果説の方が有力であった。しかし、全世界に国際社会が広がるにつれて他国の承認を得られずとも国土を占有し国民を支配している政府を国家と呼ばないことの国際法上の不都合が増え、宣言的効果説が法的に有力となった。

 現代の国際法上での国家は、主権国家国民国家とも言われ、1933年モンテビデオ条約第1条に定められた「永続的な住民」「明確な領域」「政府」「他国と関係を取り結ぶ能力」を兼ね備えていることが国家の資格として諸国一般に受け入れられているとみなされる。ただし、国家として他国が承認するかどうかはその他国の裁量に委ねられているので、何らかの政治的判断によって承認しないことももちろんありうる。

政府承認

クーデター内戦によって現政府と並立して新政府が誕生した際は、国家の資格である政府としてどちらの政府を承認するかが問題となることも少なくない。政府にとっても他国から承認を受けるかどうかは大きな政治的意味を有し、時に内政干渉すら可能となるからである。

このような政府承認による内政干渉を避けるために、国家が他国政府一般に対して政府承認を行わず、新政府が成立すれば自動的に外交関係を持つという立場が生まれた。この立場を提唱したメキシコの外相にちなみ、エストラーダ主義という。エストラーダ主義は各国に広まっていったが、いったん採用した後に何らかの政治的事情で政府承認を実施する事例もあり、普遍的なルールとはなっていない。

交戦団体

複数の政府間で領土の占有者が決まらず内戦が続いている場合には、国際社会としてはどちらの政府を承認するか以前に両勢力に人権上の問題などを守らせる必要も出てくる。こういった時は、内戦当事者である諸勢力を国際社会が「交戦団体」として承認することで、承認された勢力に戦時国際法を順守させようとすることもある。戦時国際法は内戦において国家の政府以外に交戦団体にも適用されるからである。それと引き換えに交戦団体として承認された勢力は国際法上の権利を要求することも可能となる。交戦団体は旧政府との和平・領土分割によってそのまま新国家となる可能性も秘めている。

ただし、この制度は旧政府が反乱勢力を「交戦団体」と認める仕組みの為、実際の活用例は少ない。そこで現在では後述する自決権の考え方によって「植民地支配及び外国占領、人種差別体制」に対する武力紛争に限って、紛争当事者組織の一方的宣言により戦闘員への戦時国際法上の保護を与えることが可能になっている。

自決権

人民にはその政治的地位を自由に決定し、その社会的文化的発展を自由に追求する権利がある、これを自決権と呼ぶ。第二次世界大戦後の旧植民地が独立する際に、この自決権が国際法上の権利として認められるようになった。人民には自由に国家を設立する権利がある訳だ。

ただし、このような自決権は外国の占領や人種差別支配といったいわゆる植民地支配の下にある人民にのみ認められる、と暗黙のうちに想定されていることが多い。1990年代のドイツ統一等をきっかけに、東欧諸国やアフリカなどで、必ずしも植民地支配下になくても、人民は自由に国家を統合あるいは分立させることができる、という主張が広まる。その結果、独立国の細分化と内戦による不安定化が続出して国際社会の問題となった。こうして現在では国際機関も自決権の適用に慎重になってきている。

国家の成立史

 現在における近代国家は中世の封建社会や遊牧社会から革命や中央集権化を経て成立した。封建社会では 宗教勢力や皇帝などの権威による承認を得た領主が、国王大公などを名乗って領地を統治し、その領地内も伯爵男爵などと名乗る貴族たちが分割支配していた。しかもそれら貴族も例えば神聖ローマ皇帝の臣下であると同時にポーランド王の臣下でもあると言ったように複数の主君を持つことが珍しくなく、どこからどこまでが領域国家と呼べるのかも曖昧であった。さらに中央アジアを中心とした遊牧社会では、遊牧民の集団が軍事勢力として常時移動しながら牧畜や交易を営み、英雄の下に集結したりその死によって離散したりしていた。これら領土も国民も存在しない社会が普遍的に成立して交易ネットワークを築き世界経済を動かしていたのもまた中世という時代である。

 近代になると、フランス革命によって王政と共に貴族の特権が廃止されてフランスに近代国家が成立する。フランス革命の自国への波及を恐れた欧州の諸王は対仏大同盟を結成してフランスへの攻撃を開始し、フランスは全欧州の軍勢に押しつぶされる危機に陥った。この危機を乗り越えるためにフランスの力となったのが国民国家であるとされるのだ。1789年6月20日フランス三部会の第三身分は、貴族や聖職者を排して国民議会を名乗って国政の主導権を握る。8月26日に公布された人権宣言において、フランス国民は主権者と定められた。そして1790年7月14日のフランス革命成就を祝う連盟祭において、国民軍の司令官ラ・ファイエットは「国民・法律・国王への忠実」を誓った。国民はそれまでの地域対立や階級対立などを越えた一体としての主権者となり、フランス軍が守る対象となったのである。背景としては、ルソーの国民国家思想やルイ14世らの絶対王政による中央集権化がこのような国民国家の成立を可能としている。1793年に結成された対仏大同盟の危機に対して繰り返し祖国の危機が叫ばれ、国民軍は欧州各国軍の攻勢に抗してよく戦線を支えやがて反撃に転じた。その国民軍の英雄であるナポレオンはついに欧州諸国を制覇する。ナポレオンの侵略に抗する中で、ドイツなど他の諸国もフランスの強さの一因を国民国家に求め、同様に近代国家としてまとまっていった。特にドイツの哲学者フィヒテの演説『ドイツ国民に告ぐ』は、国民国家ドイツ形成の起点として著名である。こうして欧州は近代国家が対峙する社会となった。またかつては遊牧民が自由に行き来していた地域も、西欧列強などの侵略への対抗から次第に近代国家が成立していく。

 なお、近代国家を確立できなかった地域、あるいは外国に依存して近代化しようとした地域、それ以前に他国に征服された国および地域のほとんどは第一次世界大戦までの間に他国に併合されるか、植民地化、あるいは傀儡とされた。例外として一部の地域は緩衝地帯として残されたところもある( アフガニスタンタイなどが事情は異なるがそれであるとされる )。

 日本においては明治維新からであり廃藩置県によって確立した中央集権的な天皇による統一国家が『近代国家』に当たる。

現代の国家の形

 植民地化が進んだ現代では近代国家体制が世界のほとんどを覆っているものの、現代に至っても国民や主権の範囲が明確ではなく( あるいは通常の主権国家と相違しているため )、国民国家としての要件を満たさない「国家」も存在する。

 これらは自治地域都市国家、事実上本来の国家から独立したが本来の国家が認めていないなどの理由によるものである。

 なお、冷戦終結後の現代においては、「国際資本が国境を越えて世界中を植民地化し、新しい「帝国」体制を形作りつつある」と論じるものも存在している。

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