植民地
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しょくみんち
海外領土の支配形態の一種。コロニー。
本国から植民者が移住し、本国の意向に従う統治機関により統治される地域であり、基本的に本国とは異なる法律により支配され、半ば独立した「国」として扱われ、限定された自治が認められる。
住民の扱い
一般的に、原住民は本国からの移住者よりも下の地位として扱われる( イギリスの植民地支配のやり方が典型的 )のが特徴であるが、同化主義の理念が強い大日本帝国やフランスなどの植民地統治国では、植民地原住民にも本国出身者と同等の地位を認めた例もある( 基本的に宗主国出身者は植民地出身者への差別が存在しており、逆に植民地の独自性を認めず同化を強いるフランスや日本のやり方は、ある意味被支配者のアイデンティティを蔑ろにしていたとも言える )。
現在では考えられないが、当時は南アジア・東南アジア・太平洋地域において、イギリスとフランスの緩衝地帯としてぎりぎりで独立を保っていたタイ王国以外の地域は、全て欧米列強の侵略を受けて植民地化されており、アフリカにおいても、ただ一つの独立国であったエチオピアを除いた全ての土地が、主として欧米列強の手で分割され植民地とされ、リベリアもまた黒人奴隷の植民活動により建国された。
- そもそも論として、植民地経営は現地の社会インフラを整備したり、ある程度の事を現地人に任せないと回らないものであり、近代以降において、ある程度以上の規模の植民地を持った事が有る国は、ほぼ全てで、植民地の現地人の一部に高等教育を行なったり、植民地の社会インフラを整備している。なので、「我が国は植民地にインフラを整備したり大学を作った」と言うのは、少しも誉められた事ではなく、そのような主張を「我が国の植民地経営は他国より温情のあるものだった」という文脈で使うならば「そんな事は、植民地の宗主国だった国なら、どこでもやっていた事に過ぎない」という反論を食らう羽目になる。
- 例えば、第2次大戦時のフィリピンのマニラは下手したら同じ時代の東京と同等かそれ以上に社会インフラが整備されていたが、それは、当然ながらフィリピンに対する植民地支配を正当化する理由になどならない。
- 現在でも中華人民共和国はチベットや新疆ウイグル自治区に大学を作っていたり、中華人民共和国の大学の入試において「少数民族枠」が存在しているが、これは単に中華人民共和国の中央政府が少数民族を支配する際に、高等教育を受けた少数民族出身者が必要だからに過ぎない。
- もっとも、少数民族・被支配民族に高等教育を行なう事が、その民族の独立意識を高める事に繋がってしまうので「近代における植民地経営は、植民地を支配するのに必要な事を行なうが独立運動の火種になる」という綱渡り状態だったと言えなくもない。
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