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概要編集

【Ελλάδα(HELLAS・Greek civilization)】古代ギリシャ(ヘラス

古代ローマ支配以前のギリシャ(ギリシア)地方の各都市国家文明。


後の〈ローマ帝国〉や〈西洋諸国〉等がその文化・文明を吸収した。ただし「当時の西洋人ギリシャ人」は東洋西洋並みに違う世界の人々である。関係が深い文明はエジプト文明ペルシア文明が挙げられる。

文化編集

釜上の毛剃り機(ストルギス)が古代の墓だった地層から出土する、らしい。

古代ギリシャ人の少年期と青年期の一般的な髪形。

オリンピア祭オリンピックの起源。

反則防止の為に裸体で青少年の市民階級のみで行われた。

2000年以上前から、美男美女が現代のモデルに近い雰囲気を持つ事に驚愕せざるをえない。

因みに当時のアジアやアフリカ等では太った男女が美しかった。日本でも縄文時代土偶は肥満体が多い。

当時のギリシャでは裸体は美しくて神聖なものであった。

自分の容姿に異常な愛着があり、自己愛が強い人のことだが、語源はギリシャ神話。

スポーツの延長線上にある感覚だった様だ。

  • 政治学

とにかく個人に権力が集中し過ぎる独裁状態を避ける傾向が強く、非カースト的社会な市民社会(ある程度流動的な階層社会。しかし奴隷制度。)かつ非官僚制(中国の様に、『皇帝を頂点としたピラミッド』体制が出来なかった)。

かなり後に、カトリック教会の階位制度が社会基盤になり、

中世ヨーロッパの封建制が一応成立した。(政治的にはだいぶカオス)。

今日の写真の様なものとは少し違うが、東洋で写実主義があまり進歩しなかったのに対して、ギリシャではこの時点で写実主義があった(さらに辿ると古代エジプトに由来する可能性も高い)。

エジプト文明と対比して、だいぶ動的・肉体的な物が多い。ギリシャ彫刻のリアリズムはシルクロードを経由して、仏像という形で日本まで伝来した。

なお当時のギリシャ彫刻はわりとサイケな色が塗ってあった模様。

黄金比の発明、それによる神殿の建築などが行われた。

古代ギリシャの価値観では最高の愛の形とされ、結局エリート教育で活用した。

ローマ時代にはユヴェントス、ドイツ語ではユーゲントに当たる組織。

ボーイスカウトの原型に当たる。少女団20世紀にはいってからである。

各都市国家で共通していた伝承の総称。各都市国家で違いがあったと思われる(双子座で有名なカストルポルックスの兄弟がアテナイでは美少年に描かれたのに対し、スパルタではマッチョの偉丈夫として描かれるなど)が、今はアテナイ等の神話体系が残った。

  • 民族

古代の人物画を見ると髪の毛が黒かったり、あまり色白ではないなど、地中海人種的である。現代創作で出てくる金髪碧眼の古代ギリシャ人は多くなかったと推測される。これはローマ人にも言える(金髪碧眼の北方民族は蛮族扱いされていた)。


古代ギリシャについてⅠ編集

〈メンタリティ〉

  • 男尊女卑」で「体の美を基準にしていた」
  • ただ、市民と言うのはポリス(都市)に住み参政権や奴隷を召し抱える権利、オリンピック参加権等を持つ富裕層で、ギリシャ人の中でもごく一部。

古代ギリシャについてⅡ編集

  • 奴隷は日本で言う年季奉公の様な物が多かったらしく、税金を免除され兵役もなく、かつ買い取る時や雇う時のお金が高額なので傷付けない様に、大事に扱われた。その為、奴隷は街中を自由に歩けたし、お金を貯めて自分を買い戻して自由人にもなれた。イソップもその一人。
  • 逆に裕福な『ギリシャ市民』も戦争に負けると『奴隷』になり、連行された。

だが、ローマの様に剣闘士にされたり、或いは料理人芸人遊女等特技を生かす仕事を求められ、優遇されたケースも少なくない。

※現代であっても欧米やイスラム圏などでの「奴隷」の定義は古代ギリシャ/古代ローマにおける奴隷に準じている場合が多く、例えば現代の国際条約における奴隷状態の禁止などでは、たとえ「財産が有る」「国家・地方自治体・民間組織などで重要かつ高位の役職にある」などの条件を満たしていても、職業選択・移動・移住の自由など「自由民(≒一般人)」が当然持っている自由や権利の一部が制限されている場合や、明らかに「人間でありながら、事実上、誰かに『所有』されていると見做せる」場合は「奴隷」と見做される場合が多い。

古代ギリシャについてⅢ編集

※ただしイケメンに限る』的価値観

古代ギリシャについてⅣ編集

1980年代末より「古代ギリシャ人は現代人がイメージする『典型的な白人』よりも中東・北アフリカ系に近い容姿では無かったか?」という学説が提唱され議論が続いている。

アポロンなどは「金髪の神」と考えられていた一方で(ただし、古代ギリシャ人は、海の事をワイン色」、血や涙を緑色」と表現したり、青を意味する単語は一応は古代ギリシャ語に有るが明らかに外来語というような独特の色彩表現をする民族だったので直訳すると「金色の髪」だとしても、古代ギリシャ人が実際にはどんな色をイメージしていたか知れたモノではない)、実際の古代ギリシャ人は金髪碧眼などの「明るい色の髪や目」の人物は少数派であり肌の色も「白人の中では浅黒い方」が多数派であった可能性も有る。

また、後世に「ヨーロッパ文明の源流」と見做された上、近現代において「ヨーロッパ内の強国」となった国にゲルマン人系の国が多かった為、なんとなく古代ギリシャ人も「ヨーロッパ文明の源流である古代ギリシャには(「理想家されたゲルマン人」のような)金髪碧眼で『白人の中でも更に白い肌』が多かった筈だ」というステレオタイプなイメージが出来てしまったと思われる。

古代ギリシャについてⅤ編集

実は、当時のギリシャの神殿や神像・彫像は極彩色が普通であり「古代ギリシャと言えば白亜の神殿・神像・彫像」のイメージはルネサンス期から近代初期のヨーロッパで出来上がったもの。

現代日本で喩えれば「奈良の大仏は出来た当初は金メッキ」「興福寺阿修羅像は出来た当初は極彩色」だったにもかかわらず、現代の我々がイメージするのは「メッキや塗装が剥げた仏像」であるようなもの。

なお、ギリシャ独立のドサクサに紛れてイギリスが強奪したパルテノン神殿のレリーフの一部が大英博物館に有るが、1930年代に当時の「古代ギリシャ」のイメージに合わせて表面にわずかに残っていた塗料をすべて金タワシでゴシゴシされて落されている。とんだホワイト・ウォッシュも有ったものである。

ギリシャの都市国家「ポリス編集

エーゲ海(ギリシャ文明発祥地)編集

黒海ボスポロス海峡編集

マケドニア地方編集

都市国家(ポリス)編集

ギリシャ中央

ペロポネソス地方

イリオス地方


その後のギリシア地方編集

ローマ帝国に吸収されてからも、ローマは一応ギリシャの神話・文化・建築を全面的に模倣したため、ギリシャ文化だけは征服後も尊重していた(ただし実際は元首やローマ人好みに左右された)。


コンスタンティヌス1世の時代からギリシャ的文化・生活習慣の見直しが進み、キリスト教の習慣が定着を始める。テオドシウス1世が完全にキリスト教をローマの国教とした。その後、東方ローマ帝国領でも引き続き帝国構成領だった。


キリスト教はユダヤ教の系譜になる宗教でギリシャ神話とは全く異なるが、最終的に地中海世界での統一宗教として生き残った。キリスト教の様式はそれまでのギリシャの信仰や政治の様式が吸収され、キリスト教式に改まっていった。


ローマ人がギリシャ人と違ったのは、ローマ人は自然哲学のようなものに興味が無かった点であり、西洋での自然哲学はルネサンスの時代になるまで衰退し、それにかわってギリシャの知識を取り入れたイスラム世界で科学的思索が発展する。


ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が実質的に滅亡して以降も、ギリシャ一帯を支配する東ローマ帝国は存続し、その首都コンスタンティノポリスの旧名からビザンツ帝国と呼ばれれるようになる。ビザンツ帝国はキリスト教の東方正教を国教としつつ、公用語はローマ帝国で使われたラテン語ではなくギリシャ語を使用し、内実はギリシャ人の国家だった。


1453年にオスマン・トルコがコンスタンティノポリスを占領し東方ローマ帝国が壊滅すると、オスマン帝国の支配下になった。キリスト教徒イスラム教に支配されながらも、一定の自治は認められていた。


19世紀に入るとオスマン帝国の衰退、ヨーロッパ諸国でのナショナリズムの高まりを受けてギリシャ独立運動が起こり、1832年にギリシャ王国が成立する。ただ、珍妙なことに、初代国王はドイツ人でバイエルン出身だった。ギリシャの独立は、イギリス、フランス、ロシアの三国の支援を受けたもので、この三国のいずれにも属さない中立的な人物を国王に選んだためである。


その後オスマン帝国が滅び、二度の世界大戦の混乱を経て現代のギリシャ地方は民主主義とキリスト教正教会)の共和国となった。

ちなみに、オスマン帝国から独立した直後の首都アテネは「古代ギリシャ」のイメージに反するイスラム建築が色々と有ったが(長年、イスラム教徒がマジョリティの国に支配されていたので当然と言えば当然である)、ギリシャの独立を支援したヨーロッパ諸国は、これらの建物を容赦なく破壊し、自分達のイメージに合った「アテネ市」を「再建」した

ちなみにオスマン帝国時代のアテネは「特に重要でもない片田舎の小さな町」扱いだった。


関連タグ編集

アテナイ ギリシャ神話 ギリシャ文明

キトン クレタ文明 古代ローマ スパルタ

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