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アテナイ(ATHENAI)はギリシア共和国首都アテネの古名。アッティカ半島の西側に位置する。古代ギリシアの代表的ポリス(都市国家)であり、ギリシャ文明の中心地。アクロポリス上のパルテノン神殿が有名。

神話によるとかつて戦争と知恵の女神アテナと海神ポセイドンはどちらがこの都市の守護者となるかで争い、「どちらがより住民の役に立つ物を作れるか」で決着をつけることになった。アテナはオリーブの樹、ポセイドンは塩水の泉(泉の中から馬を出したという話もある)を作った。審判は神とも人間とも云われているが、結果的にアテナに軍杯が上がったため、都市はアテナイと名付けられたという。

後にアテナイが海上交易で栄えていくに連れ、ポセイドンも市民にとって重要な神となったため、二柱の神が和解する結末が付け加えられたとされる。

ギリシアの都市国家の中で最強の海軍力を持っており、ギリシアへ侵攻してきたアケメネス朝ペルシアとの戦いで大きな役割を果たした。ペルシア戦争終結後はより守りを固くするため、デロス同盟と呼ばれる都市同盟を結成する。

しかしこの同盟は次第にアテナイが同盟ポリスを支配し、金を巻き上げるための仕組みに代わっていった。加盟すると原則離脱は不可能であり、脱退を望んだナクソス島などは武力による制裁を受けた。

同じくペルシアへの勝利に大きく貢献した陸軍国家スパルタは、こうしたアテナイの増長を快く思っていなかった。スパルタはペルシア帝国という巨大な敵を相手にアテナイと協力したが、その脅威がなくなった以上、増長していくアテナイは軍事・経済の両面において邪魔な存在だったのである。そしてアテナイに反感を抱いたポリスはスパルタを中心としたペロポネソス同盟に味方するようになり、紀元前431年にはペロポネソス戦争と呼ばれる戦争が勃発する。

結果的にアテナイは敗北、紀元前404年にスパルタ軍に占領され、デロス同盟も解体された。しかし杜撰な戦後処理のためアテナイばかりかギリシア全体が大不況に陥ってしまう(詳しくはスパルタの記事を参照)。

その後も、マケドニアフィリッポス2世、その息子であるアレクサンドロス大王が現れるまではアテナイは他ポリスと戦争・和解を繰り返しながら、有力ポリスとして存続し続けた。

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