概要
ローマ帝国の大都市には「コロッセウム(英語でコロシアム)」と呼ばれる劇場(格闘場)があり、剣闘士同士、または剣闘士と猛獣の戦いを見世物とする「闘技会」が行われた。
闘技会で戦う剣闘士のことを、「グラデアートル」(英語でグラディエーター)と呼んだ。
名前の由来は「グラディウス」という剣(一応短剣だが、少し長めである)を主な装備として用いていた為。
彼らの持っている武器が「グラディウス」である。
ただし剣闘試合では別の武器を用いる事も別段珍しい事ではなく、
彼等には武器・戦闘のエキスパートという側面もあった。
グラディエーターとなったのは他国との戦争等で獲得した奴隷や捕虜、罪人が多く、日本では剣奴隷、略して「剣奴」とも呼ばれる。
そのため、剣闘士の社会的地位は決して高いものではなかった。
一方、闘技会と剣闘士の人気は高く、名声を上げることや報酬目的で、自ら志願してグラディエーターになるローマ市民や貴族もいた。
もっとも極端な例では、戦士として闘技会に参加した皇帝がいたほどである。
グラディエーターの鎧は総じて見栄えが重視され、頭部以外の露出部が多くなっている。
すべての剣闘士が鎧を着用しなかった訳ではないが、概ねその装束の露出部位は多かった。
したがって闘技中に負った傷で命を落とす者も多かったが、
反面、試合の華とも言える駆け引き、技の応酬が発生する事にもなった。
また、グラディエイターの死は主人や闘技会主催者の損失となる(代わりの奴隷を手に入れるのはタダではない!)事から、
グラディエーター同士の戦いでは、盾を投げ捨てて降参する事も可能であった。
しかしながら、グラディエーターとして「無様な戦い」をした者については観客が降参を許さず、そのまま死を与えられる場合もあった。
(もっとも、有力な剣闘士は、観客から「死を!」と言われるような「無様な負け方」をしないよう訓練されていたが。)
その時、観客が出す合図が拳を握って親指を下に向ける「サムズ・ダウン」だと言われている。
(※現在は「サムズ・ダウン」は処刑の合図ではなく、助命の合図だったという説が有力視されている)
なお、剣闘士は剣奴(奴隷)だか、必ずしも死ぬまで戦い続けなければならなかった訳ではなく、
勇名を馳せて人気者になったり、勝利を重ねて「木剣」を与えられて引退したり、賞金(本人の取り分は極少額だが)を積み立てて自分自身を買い取とる事で解放される事もあった(一応下級の自由民になれる)。
しかし自由市民となった者でも、闘技会で喝采を浴びた経験を忘れられず、
再びグラディエーターとして闘技場に舞い戻り、戦いに明け暮れる者も少なくなかったという。
剣闘士の分類
主な剣闘士の分類は以下の通り。
名称 | 概要 |
---|---|
トラキア闘士(トゥラケス) | 湾曲した剣と小型の盾を持ち、派手な羽飾りで飾られた兜を身に着けた、「トラキア人(バルカン半島南東部の部族)風」の闘士。 |
魚兜闘士(ムルミッロ) | 魚を象った兜を着用した闘士。装備はグラディウスと長盾(スクトゥム)。三又の槍を使う事もあったらしい。 |
サムニウム闘士(サムニテ) | 「サムニウム人(イタリア・アペニン山脈南部の部族)風」の闘士。長盾とグラディウス、または槍を装備し、大きな飾りのついた兜を着用した闘士。魚兜闘士(ムルミッロ)に入れ替わる形で消滅。 |
重装闘士(ホプロマキ) | 円形の盾と槍を装備し、派手な羽飾りのついた兜を身に着けた、ギリシア歩兵を模した闘士。 |
追撃闘士(セクトル) | 長盾とグラディウスを装備し、飾りのない兜を身に着けた闘士。 |
網闘士(レティアリィ) | 網と三又の槍、短剣(トドメ用)を装備した闘士。盾と兜は装備せず、肩掛けの防具を身に着けた。素顔をさらす闘士のためイケメンの若者が多かったらしい。 |
挑戦闘士(プローウォカートル) | 長盾とグラディウスを装備し、兜と胸部を守る鎧を身に着けた闘士。 |
切断闘士(スキッソール) | グラディウスと刃の付いた籠手を装備した闘士。鎧を着用することもあった。 |
二刀闘士(ディマカエリ) | 両手に剣を持った、二刀流で戦う闘士。 |
女闘士(グラディアトリクス) | 女性剣闘士。湾曲した剣またはグラディウス、長盾を装備し、兜は身に着けなかった。胸部は布を巻いて隠していたようだ。 |