概要
スパルタクス(Spartacus)は、共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者である。ローマの歴史に楔を打ち込んだ英雄だが、奴隷階級であったため彼個人を記した史料は乏しく、多くが謎に包まれた人物である。
紀元前73年に、仲間の剣闘士とともに南イタリアのカプアの剣闘士養成所を脱走して、ヴェスヴィウス山に立て籠もり、ローマの討伐隊を何度も撃退した。スパルタクス達の活躍は過酷な支配体制に苦しめられていた奴隷達のあいだで瞬く間にうわさとなり、彼らを頼って数多の奴隷達が集結する騒ぎとなった。
決起から一年足らずの間に近隣の奴隷たちが反乱に加わった結果、スパルタクス軍は数万から十数万人の大軍に膨れ上がった。紀元前72年には執政官の率いるローマ軍団を数度にわたって打ち破り、イタリア半島を席巻した。
しかし、北上するスパルタクス軍は当初目指したとも言われるアルプス山脈を越えてのイタリア半島からの脱出は行わず、再び食料の多い南部を目指して南下をはじめ、南部のトゥリを占拠した。
紀元前71年になると、代理執政官として最高司令官となったクラッススの率いる軍団によって、再度北上したスパルタクス軍は阻止しされ、更にイタリア半島南部のレギウムにまで追い詰められる。
この折にスパルタクスはシチリア島でも奴隷反乱を起こそうとした為とも、シチリア島に率いる軍全てを逃そうとした為とも言われるが、海賊と交渉してシチリア島に渡ろうとするも、彼等は金を受け取っただけで何ら行動せず裏切ったという。
クラッススは長城を築き、スパルタクス軍を封鎖する。この状況にスパルタクスはクラッススと和平交渉を望むもクラッススは拒否。それに対してスパルタクスは軍を一ヵ所に集結しての攻撃で封鎖を突破して北上した。
しかしスパルタクス軍も統制は行き届かなくなりつつあり、勝手にクラッスス軍と戦闘を行い各個撃破される事もあり、更に北からはヒスパニアから帰還したポンペイウス率いる軍も南下しつつあり、逃げ場も無くなりつつあるスパルタクス軍は限界を迎えつつあった。
このような状況に遂にスパルタクスはクラッススとの乾坤一擲の正面決戦を挑まざるを得なくなった。そのシラルス川の戦いでクラッススとの決戦に奴隷反乱軍は敗れ、スパルタクスも戦死した。
生き残った奴隷反乱軍もポンペイウス軍に掃討され反乱は終息した。
スパルタクスが展開した第三次奴隷戦争は奴隷達の反乱戦争の中でも最大規模のものとなり、ローマ共和国を震撼させることとなった。ローマ共和国の体制がもはや機能不全を起こしている事実はいよいよ明白になり、この後にクラッススやポンペイウスと組んで台頭することになるガイウス・ユリウス・カエサルによってローマの共和制は事実上の終わりを迎える(クラッスス自身はスパルタクス討伐の約20年後にイラン方面への遠征に失敗し戦死し、ポンペイウスはカエサルと権力を争うも敗死した)。
謎が多いながらも、スパルタクス自身は戦争では常であった金品の簒奪を諫め、また弱者であれば老若男女問わず刃を向けることを禁じるなど、常に味方を規律で律した人格者だったとされる。
そして軍略家としては一級の頭脳を持ち合わせ、のちに反乱の研究に立ち会った兵法家・歴史家は「私の知る中のどの将軍よりも優れている」と、反逆者であるスパルタクスの手腕に惜しみない賛辞を送っている。
19世紀に入るまでは「反逆者」の代名詞として疎んじられ、研究の日の目を見ない存在だった。
しかし啓蒙思想が盛んになってくるにつれ、「不当な為政者に立ち向かう英雄」として研究が進み、ついには“王族の出身説”という根も葉もない論を展開し、彼をプロバガンダする運動まで発生した。
関連イラスト
スパルタクスをモチーフにしているもの
- 「FF13」に登場するモンスター。→スパルタクス。
- アラム・ハチャトゥリアンの作曲によるバレエ作品。→スパルタクス。
- ベルギーの作曲家、ヤン・ヴァンデルローストの作曲による吹奏楽オリジナル曲。(交響詩「スパルタクス」)
- 「Fateシリーズ」に登場するバーサーカーのサーヴァント→スパルタクス(Fate)
- 1960年のアメリカのハリウッド映画。スパルタクスの半生と共和制末期のローマの史実を脚色も交えながら描いた大作→スパルタカス
関連動画
映画「スパルタカス」劇場用オリジナル予告編
バレエ音楽「スパルタクス」組曲第1番(Spartacus - Ballet Suite No. 1)/アラム・ハチャトゥリアン
交響詩「スパルタクス」(Spartacus - Symphonic Tone Poem)/ヤン・ヴァンデルロースト