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コンモドゥス

こんもどぅす

17代ローマ皇帝。五賢帝マルクス・アウレリウスの実子であり「剣闘士皇帝」として有名。

概要

第17代ローマ元首 父:マルクス・アウレリウス 祖父:アントニヌス・ピウス
元首政史上初の生まれながらにして帝位についた人物であり、五賢帝の後継者を目され期待されていたが。公務を投げ出し私利私欲をみたす堕落した君主となり果て、ついにはグラディエーターとして戦いまくった。統治12年のうちにローマ文明は荒れ果てていく。

わんぱく少年期 
元首マルクスの子として生まれたコンモドゥスは父マルクスと同じぐらい金髪美少年だったという。父マルクスと違い、彼自身は病弱ではなかった。腹部に今で言うところのヘルニア的なものがあり体系異常がみられたとされるけれど定かではない。コンモドゥスは幼少期より帝王学を学んでいたとされる。ただ父とは違い学業をあまり重要視せず、軽視した。戦争剣闘士ごっこなど粗暴なふるまいが好きだったようだ。

まじめな父親に不満
元首マルクスはコンモドゥスの活発さを諌めたのを根に持ち続けたのかもしれない、もしかすると哲人マルクスはあまり家庭的なことができなかったのかもしれないので良き家庭人ではなかった可能性はある。

戦場で即位
コンモドゥスは11歳ころから父マルクスの付き添いでマルコマンニ戦争への軍団指揮に駆り出されていた。戦場での生活が7年続いた後父老マルクス・アウレリウスはマルコマンニ戦争さなか58歳で亡くなった。コンモドゥスは18歳という若さでローマ元首に即位をした。

このころはは生えていない、彼はすぐさま父帝が進めていたガリア戦争から撤退した。

ローマでのコンモドゥス
幸いなことにコンモドゥスが統治している12年間はパルティアもゲルマニアもダキアも大規模な戦乱は起きなかった。また父帝マルクスの健全な統治体制が残した人材を扱うことで比較的平穏な統治が行われた。

しかしコンモドゥスは元首マルクスと比べてと書かざるを得ないが、実際擁護が難しいほどの暴君だったのは確かだ。
彼はとにかく自分で政治を動かしたがらなかったようである、180年に即位してからの11年間は側近に任せきる(有名なのは親衛隊長官ぺレンニウス、側近政治家クレアンデル)意外なのは剣闘士になったのは治世最後の1年か2年だと思われる。

彼は何をしていたかというと皇帝名を6回ぐらい変えることだけだった。

淫乱のすえ姉から暗殺されかけた
彼は宮殿にローマ各地から集めた300人の美少年美少女と昼夜問わず乱交の宴に入り浸っていたとされる、これを10年近く続けていたようで、とうとうコンモドゥスのや帝政関係者が彼に暗殺を企て実行した。 幸い彼は助かったが、彼の行いが剣闘士に全力に向かうきっかけだったとされている。

グラディエーターとして新政再開
190年ころに彼は自分の責任で政治を動かすことを宣言し、帝政関係者から応援されたが。失望に変わることになった・・。彼は皇帝名7の「神にして主の太陽神にしてローマのヘラクレス、最高のアマゾネス、世界の復興者。」をなのり、皇帝グラディエーターとしてコロッセオで毎日殺戮ショーを開催した。これが治世最後の2年である。

暗殺
192年12月31日、かねてより進めていた暗殺計画など家族と側近により実行された、コンモドゥスは毎日剣をふるっていただけあって、戦闘力が高くなかなか死ななかったが激戦の末、殺された。

享年31

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剣闘士 暴君 脳筋

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