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概要
「イスラーム」(إسلام Islām)とはアラビア語で「絶対帰依すること」という意味の動名詞であり、唯一にして絶対なる神アッラー(Allāh)とその預言者・使徒であるムハンマドを信じ、アッラーから天使ジブリール(ガブリエル)によってムハンマドのもとに下された聖典クルアーン(al-Qur'ān コーラン)に明かされた教えに従って生きる事を含意している。預言者ムハンマドの生地で、イスラームの勃興地でもあるメッカを聖地としており、イスラム教徒(ムスリム)たちは一年のうち決められた期間にこのメッカに巡礼することを(経済的・体力的に可能であればという条件付きでの義務として)推奨されている。
イスラームは7世紀にアラビア半島においてムハンマドによって開かれた宗教である。ムハンマドの生地メッカにはじまりアラビア半島全域に広がり、ムハンマドの後継者たちに引き継がれた政権は7世紀の終わりまでには中東から中央アジア、北アフリカ、イベリア半島にまで広がる大帝国となった。この地域を核として次第に中国方面やインド、東南アジア、アフリカ大陸東部や西部に拡大し現在に至っている。
また、イスラームは先行するユダヤ教やキリスト教と同じ唯一なる神を信仰していると自認しており、啓典の歪曲から生じた信仰の形態の違いによってユダヤ教とキリスト教に見られる差異が生じているとしている。それでもアッラーから啓典の下された人々をアラビア語では「啓典の民(Ahl al-Kitāb)」と呼び、ユダヤ教徒やキリスト教徒は信仰的な同朋とみなしている。また、アッラーは唯一の存在であり人類には知覚し切れない絶対的かつ永遠の存在であり、図像・彫像にして崇拝すべき存在ではないとしているため、(クルアーンに明記されたアッラーの命令によって)偶像崇拝は禁止されている(その例として、キリスト教の教会で十字架や聖母マリア像が置かれているスペースは、モスクでは何も置かれず、空洞スペースとなっている)。
「イスラーム」という単語は、クルアーンに「汝ら(人類)に対する恩寵として、汝らのための宗教としてイスラームを授けた」とアッラーが述べる箇所があり、他の多くの宗教と異なり、創建当初から「イスラーム」という宗教名が使われている。
また、その論じられる分野に応じて「イスラーム文明」「イスラーム社会」「イスラーム政治」「イスラーム経済」などの諸側面のイスラーム的要素を考察する際に使われるが、だいたいにおいてイスラームの宗教的な側面を論じる際に「イスラーム教」「イスラム教」という訳語が使われている。ここではひとまず項目名を「イスラム教」としたい。
イスラム教は全体の9割を占めるとされるスンナ派と残りの1割にあたるシーア派の2派に大別される。
スンナ派、シーア派とも異なる伝統宗派としてイバード派が存在する。
各宗派の信徒が多い地域として、シーア派は主にイラン、スンナ派はサウジアラビア、トルコ、エジプト、アラブ首長国連邦、イバード派はオマーン等が挙げられる。
信仰対象、聖典、預言者
唯一神アッラー
アッラー(Allāh)とは唯一にして絶対なる神のことである。語源についてはアラビア語で「神」をさす普通名詞イラーフ(ilāh)に定冠詞アル al- がついたものに由来するとするもので、一般名詞が固有名詞したもの、とする。英語における god がGod や the God では意味が異なるのと同じ、というもの。もうひとつが「アッラー」それ自体が唯一・絶対神の固有名詞とするもの。いずれもアッラーが唯一絶対とする一神教の神であることを前提としたものである。そのためアッラーがアラブ人やイスラームのみの神としたり、「アラーの神」のような日本語の表現は不正確な認識である。(聖書のアラビア語訳やユダヤ教徒やキリスト教徒の書いたアラビア語の文書では、自らの信仰する神は全て「アッラー」と表現されている)
イスラム教徒にとってアッラーは、
1)永遠に自存する絶対的、唯一無二の超越的存在
2)世界の創造者であり、人間や全ての事物の運命を決定する存在
3)啓示を通して人間に語りかける存在。預言者を励まし、信徒を導く人格をもつ神である
4)信徒にとって一人一人がその僕として向き合うべき「我が主」
であるとされている。
アッラーの意志は天使を経て預言者を通じて人類に明かされるが、「絶対的、唯一無二の超越的存在」であるため人間の理解を超越しており、その意志を完全に理解するのは不可能とされる。
アッラーはこの世の創造者であると同時に終末の日までに存在した全ての人類に審判を下す存在とされており、イスラームを信仰したものと信仰しないものを峻別する。ただし、イスラームを信仰しないものを地獄に落とすかどうかということについては諸説があり、後期アシュアリー神学による一説では預言者の宣教が届かない土地に居住する人間についてはクルアーン17章15節などを典拠としてイスラームの信仰に無関心な者であろうと救済すると考える。
アッラーは全ての人間に恩寵と苦難と与える存在で、世界の一切を知る存在であるため、人間の全ての行いを常に知っているという。そのため、イスラームの信仰を否むものは容赦なく来世には地獄へ落とすが、一片でも悔悟する者には限りない慈悲と慈愛をもって地獄から救うという。
イスラム教徒の信仰告白に「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはその使徒である」という一文があり、他宗教からイスラームへ改宗する時には、これをアラビア語で信頼できる成人のイスラム教徒2名の前で証言する事でイスラム教徒となることが出来る。これは前段はアッラーが唯一神であることを告白するもので、後段はムハンマドから預言者としてその唯一神アッラーから神の言葉である聖典コーランとそれに基づいたイスラームの信仰を人類にもたらす使者(使徒)であることを認めることをさしている。アッラーが唯一神であることはユダヤ教、キリスト教でも同様だが、ムハンマドが神からイスラームの信仰をもたらした使徒であることを宣言する後段部分が、他の一神教とイスラームと分つ区別となっている。
イスラム教徒はこの唯一神アッラーを信仰対象とし、なおかつその使徒である預言者ムハンマドとムハンマドがもたらした神の言葉=聖典クルアーンに従って生きることを前提としているのである。
クルアーン(コーラン)
クルアーン(al-Qur'ān コーラン)はイスラームの聖典である。アッラーからの啓示に基づく書物であり、アラビア文字で書かれたアラビア語の啓典である。アラビア語で「読まれるもの」「朗誦されるもの」を意味しており、アッラーから天使ジブリール(ガブリエル)によって啓示されたときムハンマドは文字が読めなかったため、ジブリールから口頭で啓示を受け取り、ムハンマドはこれを弟子達に暗唱させた。(弟子達は暗唱したほか適宜それらを羊皮紙や板などに書き留めていたという) 神が直接アラビア語で語った言葉が人類(初期の直接の対象はアラブ人)に下されたと信じられており、イスラームにおけるアラビア語の尊重の根拠となっている。
ムハンマドの時代、アラブ人は盛んに詩歌を朗誦しその出来不出来を競い合っていた。コーランはアッラーがムハンマドに示した唯一の奇蹟とされており、これに勝る韻文・散文は存在しないとされる。コーランを超える詩歌を作り出せないことを以って奇蹟の証拠とされている。コーランはサジュウ体と呼ばれる韻文的な要素の濃い散文で書かれており、114の章からなる。おおよそ長い分量の順から並べられており、最長である第2章の雌牛章が286節、最短の第103章の夕刻章および第108章の豊潤章が3節である。第1章にあたる開扉章は7節からなる比較的暗唱し易いもので、アッラーへの讃辞によってはじまっており、信仰告白が含まれていることから特に重要視されて来た。そのため「賞讃章」「啓典の母」「コーランの母」などの雅称がある。「啓典の母」とはクルアーンをはじめ、預言者達に降されたとされる啓典の、天上に存在するとされる原典の名称でもある。
神から天使を経て預言者ムハンマド、信徒たちに伝授されたことの一貫性や、口頭で読み上げられる際の韻律を含めて『コーラン』という一個の書物であるため、イスラームの神学的にみて他の言語に翻訳されたものは『コーラン』そのものとはみなされていない。ただ、初期からコーランの文句をアラビア語に詳しくない信者のために他言語に逐語的に訳して説明することは行われていたので、これらの翻訳も大きく言えば「コーランの注釈書」のひとつに分類される。(アラビア語話者でも初期イスラーム時代以降ではコーランの章句について不明な点や啓示された経緯、解釈が難しい部分もあったため、古くからコーラン注釈書が作られた。ペルシア語やトルコ語、あるいは中国語など、前近代にはあらゆる地域で様々な言語のコーラン注釈書が作られている)
正式名称はクルアーンであり、コーランは欧米経由の名称なので、中東ではコーランと呼んでも通じないことが多い。
預言者ムハンマド
イスラームの開祖ムハンマドは6世紀後半、570年頃にアラビア半島西部ヒジャーズ地方の都市メッカで生まれた人物で、当時メッカの主導者層であったクライシュ族の名門ハーシム家の出身であった。6世紀、メッカをはじめとするアラビア半島西部の諸地域は遊牧生活を営むアラブ人の世界であり、多くは多神教と偶像崇拝を行っていた。特定の地域には神の像やそれを安置する祠があり、たいていはそれらを管理する部族がついていた。メッカのカアバ神殿は360体といわれる神の像が納められており、クライシュ族がカアバ神殿の管理を行っていた。これらの神の像や聖地への巡礼が盛んであり、メッカはアラビア半島でも有数の巡礼地であった。(ムハンマドの啓示以前、アッラーはこれらの多数の神のひとつとして信仰されていた)
610年頃にムハンマドは唯一神アッラーから天使ジブリールを介して啓示を受け、多神教と偶像崇拝を排除して、イスラームに帰依すべきだと説いた。当時のアラブ社会では部族間抗争や嬰児殺害、貧者や孤児、寡婦の問題など、富者による経済的社会的弱者の抑圧や社会的矛盾が蔓延していた時期で、ムハンマドは神の啓示に基づいてこれらを非難し、イスラームのよる社会改革の必要性を訴えた。親族や交友関係から徐々に信者や支持層を形成したが、多神教・偶像崇拝の撤廃は巡礼都市メッカの存立基盤を脅かすものであったため、メッカの指導層と対立し、厳しい迫害のため信者達とメッカを離脱せねばならなくなった。カアバ神殿はアラブの伝承のとおりアッラーの命令によって建設されたもので神への礼拝のために巡礼すべき場所だが、アッラーは唯一絶対の神であって、偶像が多数置かれた現在の状況は正すべきだ、と主張したためであった。
ちょうど近隣の都市メディナでは都市内部や周辺地域との対立を抱えており、ムハンマドは調停能力を買われてメディナに招かれた。メッカからメディナに移住することでメディナに共同体を形成し、西暦622年に行われたこの移住(ヒジュラ)をイスラーム共同体の誕生として後にこれを暦の最初とされた。これをヒジュラ暦という。
その後メディナで勢力を盛り返したイスラーム側はついにメッカ側と戦争になりこれに勝利し、628年にムハンマドはメッカを無血開城させた。カアバ神殿の360体といわれる神像はことごとく破壊され、現在もカアバ神殿の内部は何も信仰の対象となるべきような器物は置かれていない。(唯一、天から落ちて来たという黒い石のみがムハンマドによって聖別され、建物の外の東の角にはめ込まれている) 632年に最後のメッカ巡礼をすませると、モスク(礼拝所)を兼ねていたメディナの自宅で亡くなった。
死後のイスラーム共同体の指導者は誰にするか、ムハンマドの側近や友人など有力な信者たちによって協議され、最初期の信者のひとりでムハンマドからの信頼も篤かったアブー・バクルが後継者として選ばれた。このイスラーム共同体を束ねるムハンマドの後継者を「ムハンマドの代理人(ハリーファ)」という意味で、ハリーファ(カリフ)と呼ばれる。
ムハンマドは啓示以前からメッカ社会では誠実さを評価されていたと言われており、コーランでも「普通の人間」であることが強調されている。生老病死する存在であって、「神」でもなければ「神の子」でもないことが説明されていた。ただ神から直接啓示を受ける事ができる点でその当時の全ての人間よりも優位な立場にあるとされ、それゆえ全てのイスラム教徒の模範とされた。また、「預言者の封印」とも呼ばれており、ムハンマド以後預言者は召命されず最後の預言者とされた。ムハンマドは晩年に有力な信者や同盟している部族などから嫁がされた10人ほどの正妻がいたが、このうち生前に子孫が得られたのはムハンマドの従兄弟のアリーと娘のファーティマの家族だけであった。アリーはアブー・バクルが亡くなったのち4代目のカリフとなった。アリーとその血統のみが正統なカリフであるとみなす人々をシーア派と呼んでいる。
ムハンマドが存命中に対処した行いや生活様式が信仰上での規範とされ、ムハンマドに遡る逸話や情報などの伝承をハディースと呼ぶ。クルアーンも含めてハディースは、イスラーム法学における最も基本的な法源となっている。
ムハンマドについての歴史的な記憶はハディース集だけでなく伝記としても纏められている。その最古の例がイブン・イスハークがまとめ、イブン・ヒシャームが再編集した『預言者ムハンマド伝』(日本語訳は岩波書店から出ている。全4冊)であり、現代でも広く読まれている。
ハディース
ムハンマドの言葉や行動についての伝承(ハディース)はやがて集成書としてまとめられた。これらをハディース集といい、複数存在する。ハディースは伝承の経路と典拠(イスナード)についての情報も含んでおり、「誰から聞いたか」「その人はさらに誰から聞いたか」が、ムハンマドの言葉や行動そのものを書いた本文に付随する。
伝承ごとの信頼度も重要視されており、信頼性ごとにサヒーフ(真正)、ハサン(良好)、ダイーフ(脆弱)という分類が存在する。
宗派によって用いるハディース集は異なっており、宗教解釈の違いを生んでいる。
スンナ派における代表的な六つのハディース集としてアル=ブハーリー、ムスリム・イブン・ハッジャージュがそれぞれまとめた『真正集』、アブー・ダーウード、アル=ティルミズィー、イブン・マージャ、アル=ナサーイーがそれぞれまとめた『スナン集』がある。
シーア派における代表的な四つのハディース集はアル=クライニーによる『カーフィーの書』イブン・バーバワイヒによる『法学者不在のとき』、アル=トゥースィーによる『律法規定の修正』と『異論伝承に関する考察』がある。
この他にも複数のハディース集が編まれている。
スンナ派の六つのハディース集のうちムスリムとブハーリーによる『真正集』には日本語訳が存在する。ブハーリーのものは中央公論新社から、ムスリムによるものは日本ムスリム協会から出ている。後者はネットで全文公開されている(リンク)。
信仰内容
スンナ派イスラム教徒の場合、信仰の根幹は六信五行としてまとめられる。
- 六信:
神
啓典(クルアーンや聖書のこと)
使徒(ムハンマドが神の使徒であるということ)
定命(人間の運命は神によって定められているということ)
を信じること
- 五行:
信仰告白
礼拝(毎日決まった時間に祈る)
喜捨(財産を他人に配る)
断食(決まった月に日中だけ断食する)
巡礼(メッカへの巡礼)
を行うこと
これらを信者の義務とする。シーア派では五信十行としてまとめられる。詳細はシーア派の項目を参照。
主な戒律としては、イスラム教徒による正しい屠殺方法(ハラール)に則って処理されていない肉や豚肉は汚物として食べない、成人女性は肌を露出しない、禁酒、偶像崇拝の禁止などがある。イスラム原理主義国家であるサウジアラビアなどではこの教義がかなり厳格に守られているが、政教分離が進んだトルコやインドネシアではよく言えば柔軟、悪く言えばいい加減で戒律は必ずしも守られていない。
他にもイランは厳格な筈だが、見えないところでは戒律が守られておらず、特に若年層でそれが顕著である。詳細はハラールの記事に記述する。
信者数は世界で約16億人、主に北アフリカ、西アジア、中央アジア・南アジア・東南アジアなどの広い地域で信仰されている。
アジアでは、中世に中央アジアや東南アジアの一部で仏教等の多神教勢力を滅亡させた。しかし東アジアでは中国までで止まってしまい、日本には近代まで到達しなかった。
ヨーロッパではイベリアやシチリアのように一時イスラム教勢力が支配的であった地域もあったものの、後にレコンキスタなどキリスト教勢力による再征服によってイスラム教徒がほとんど消えた地域が多い。例外的に比較的最近までイスラム教勢力の支配下にあったバルカン半島では現在でもイスラム教徒が少なからず残っており、現在でもアルバニアのようにイスラム教徒が多数派となっている国も存在する。
現代でも紛争が多い地域の特性か出生率が依然高い地域が多く、今世紀中にはキリスト教信者を上回り、世界最大の宗教になるとされており、欧州のいくつかの国でも(前述のバルカン半島の例を除いても)将来的にはイスラム教が多数派になるという予測さえ存在する。
例えばイラクは出生率4.37と周辺諸国を上回っている。ただし、いずれも出生率は低下傾向にあり、特にイランなどでは出生率が1.66にまで落ち込んで少子化の兆候が見え始めている。
また、移民先のヨーロッパでは「出生率8.1」「フランスは2050年にはイスラム国家に」という根拠不明かつ荒唐無稽な数値がまことしやかに言われているが、もしもあと3,40年のうちにそうなるには、さらに数倍の出生率がなくてはならない。まだ比較的信頼できる数値では多いところで1、少ないところではさほど変わらないなど経済や政情に連動していることがわかる。
教義に求めるところもあるが、「産めよ増やせよ」と明記されてある聖書を重んじるキリスト教やユダヤ教の方がさらに出生率が高くてしかるべきだろう。
イスラム教徒にとっての『クルアーン』のように、聖書を「神の言葉」と信じるキリスト教徒が激減しているのも、この俗説にもっともらしさを感じさせているのだと思われる。
ヨーロッパではキリスト教は衰退と停滞のただ中にあり(カトリックでは「教会の危機」がさけばれている)、上記の「2050年にはイスラム国家に」の俗説で言われているフランスはその代表例である。
文献学の観点から聖書研究が進められた結果、聖書が「神の言葉」とは信じられなくなり、キリスト教はイエスの教えではなく教会組織やせいぜい弟子達や初代教会の見解(誤解)の混合物とされるようになった。中世以前までの聖書観やキリスト教観を維持する為には、「学問を否定する」という形をとらざるを得なくなる。実行する人々は苛烈・過激な言行によって、わざわざ「人の言葉」に従う動機を持てないノンポリ層をさらに遠ざける形になるのである。
リベラルで現代的な解釈をとるキリスト教会もあるが、欧米では加速度的に進行する世俗化・脱キリスト教の傾向を抑止するに至っていない。
一方クルアーンはムハンマドの直弟子が書物としての現在の形にしたという背景から、ムハンマドその人に遡られるという点は確実視されている。非イスラム教国の西洋人などの学者によっても後世の誰かが作成したり内容を追加した、という説が唱えられてもいない。そうした背景から、21世紀でもクルアーンは字義通り「神の言葉」として受け取られ、モスクにはクルアーンが「神の言葉」であると確信する人が集まっている。また、売りに出された教会が買い取られモスクに転用される事例も多い。キリスト教の洗礼を受ける人は少なく、イスラム教に入信する人は多い。
イスラム教は一日五度の礼拝だけでなく、服装や食事という外から見えやすいところでも信仰をあらわす宗教であり、そこに向けられる熱心さも相まって、「(実際の統計上の数字よりも)イスラム教徒の人口が増える」と思わせている、と考えられる。
上記のように、イスラム世界においても国や地域によって出生率や年齢別の人口比には大きな違いがあるが、共通していることがある。
預言者の教友であり正統カリフであるウスマーンの主導で現存する『クルアーン』が編纂されたという歴史的事実があり、この根本聖典と、伝承の経路と典拠を確かめられる各ハディースから信仰を解釈できるイスラム教は、どの国と地域のあらゆるイスラム教徒にとっても真理だということである。
これは飲酒をするイスラム教徒や、女性だが髪などを隠さないイスラム教徒にとっても大前提である。
彼ら彼女らは保守的な信徒と同じく「神から誤りなく啓示された真理」と認識する宗教をそう解釈しているのであって、イスラム教という宗教そのものを相対化しているわけではない。
近世以前のヨーロッパ、また現代ヨーロッパにも一部残る保守派信徒のキリスト教徒と同様な見方を、「神の言葉」を根本とする自身の宗教に対して向けているのである。
同性愛間性交渉を禁じ刑罰を命じるハディースを否定し、同性婚などを可能にする解釈をとるイスラム教徒もいるが、それにあたっては個別の伝承経路や状況について吟味するという保守派と同じ方法論(詳細は青柳かおる「イスラームの同性愛における新たな潮流」pdfの11ページ以下を参照)をとっている。
そんなイスラム教を信じる国々にも無神論者や無宗教者はいるが、本当に「いることはいる」レベルのごく僅かな割合、人数である。キリスト教保守派が一大勢力であるアメリカですら若者の5分の1は無宗教者であることを踏まえると、今もなお絶対的かつ強靱な社会への影響力がうかがわれる。
イスラームの政治性・社会性
イスラームはムハンマドによる創建当初から宗教共同体=政治的共同体であったことから、宗教指導者や政治指導者は宗教的理念に基づいた公正な政治を行うべき責任を有している、という理念を持っている。また創建当時、預言者ムハンマド自身や聖地メッカの人々は多くがアラビア半島内外への商交易によって生活を立てていたことから経済活動を重視しており、富者はアッラーの恩恵によって経済的に豊かになれているため、貧者に喜捨や施しをすることで社会還元すべきとする、経済活動についても固有の理念を持つ。
加えて貧者や孤児、寡婦などの社会的弱者は近親者や縁故者なども含めて社会全体から保護・支援すべきであるとしているため、社会運営についても聖典クルアーンや預言者ムハンマドの言行に基づいた理念や規定が設けられている。
これらイスラームは単に信仰生活のみならず政治理念から経済活動、社会生活全般に渡る理念など幅広い分野についても宗教的な理念や規定、許容範囲などが考察されて来た歴史がある。
ハラール(許可)とハラーム(禁止)
イスラームでは宗教的に許可推奨されるもの・行為(ハラール)と禁止されるもの・行為(ハラーム)の区別がある。クルアーンとハーディスで言及されていないものについてはイスラム法学者や知識人の見解やイスラム教徒側の許容や合意によって左右される。詳細はハラールを参照すること。
なお、イスラム法学者によっては文面上ハラームなもの、例えば売春やギャンブルなどについても、見かけ上ハラールな行為を組み合わせて適法と解釈する行為を広く認めており、これを「ヒヤル」という。
事細かな戒律があるため、外部からは大変と思われがちだが、アラーはできるだけ多くの人間を天国に導こうとするためその戒律には様々な救済措置などが設けられており、悪行よりも善行をうんと評価するシステムからさほど熱心ではなくとも、一生を普通に暮らせば(特に豚肉や酒が流通していないイスラム教が支配的な地域)、よほどの悪人ではない限り天国にいける可能性があるというのが多くのイスラム教徒と法学者の見解である。
同性愛
イスラム教では基本的に異性愛のみを認め(ハラール)、同性愛は否定(ハラーム)されているが、過去には多くのイスラム王朝で権力者が男色を好み、少年愛の文化が花開いていた。だが現代では、インドネシアやトルコなど宗教分離が進んだ国家、ヨルダンやパレスチナなど比較的リベラルなイスラム国家では同性愛も許容されるものの、厳格なイスラム社会においては同性愛への風当たりは非常に厳しく、むち打ち刑や死刑となる場合もある。
イスラム教徒にも同性婚を認め、イスラム教式の宗教的な同性結婚式を行うモスクや宗教者が存在している(ゲイのイスラム教指導者の物語「イスラム教は対話にオープンになった - 10年前とは違って」、死の脅し受けてもなお――ゲイのイスラム教指導者)。
トランスジェンダーについては自身の体に性的違和をおぼえ、性別移行手術を望む人々については保守的な宗教権威においても認める立場がある。
スンニ派では「アッラーが地上に病をくだされた場合、必ずその癒しをくだされた」(ブハーリーのハディース集より)といった伝承が参照され、スンニ派最高学府アズハル大学がこれを認め、シーア派を国教とするイランでもイスラム諸国で最初に性別変更を認めている(イスラーム圏の性同一性障害、そして性別越境者 japanese only)。パキスタンでは国民IDカードにおいて「第三の性」として対応する方針をとるようになった(性は私事か、公事か―「トランスジェンダーであるだけで殺される国」からの脱皮を目指すパキスタン)。
しかしながらイスラム教の国々でも迫害を受けるトランスジェンダー当事者がいるのも事実である(インドネシア:トランスジェンダーを警察が「再教育」)。
トルコや他の地域のトランスジェンダーたちは預言者ムハンマドを背に乗せ天界に運んだと伝わる人面の天馬アル=ブラークを自分達のアイデンティティを指し示す存在とみなしている(Why Turkey's activists and LGBTQ, Kurdish communities are rallying around the mythical figure of Şahmeran)。
ユダヤ教・キリスト教とのつながりと相違
聖書の扱い
イスラームは先行するユダヤ教やキリスト教と同じ唯一なる神を信仰していると自認しているが、3者間の差異は預言者に下された「啓典」の歪曲によって成ったとしている。ユダヤ教徒・キリスト教徒に伝わる現行の聖書は捏造・改竄がなされたもの、とみなされる。クルアーンによって誤りが訂正された、という信仰である。
六信にある「啓典」(モーセ五書、詩篇、福音書)とは厳密には預言者に降された「改竄前のオリジナル」であり、クルアーンと食い違う箇所、また無神論者やニューエイジャーからも指摘される(「改竄後」である)聖書の内部矛盾も、容赦なく批判され、聖書が真理、神の言葉そのものであることは否定される。
イスラム教においては、聖書が改竄されて欠陥や矛盾を含んでしまった以上、地上において純粋まじりっけなしの神の言葉は、預言者ムハンマドに降された最後の啓示であるクルアーンの他に存在しないのである。
キリスト教徒に、ユダヤ教徒は自分達と同じ神を信じているとみなすが、イスラム教徒はそうでない、という人がいるのはこのためである。
アブラハムの扱い
古代のアブラハム(イブラーヒーム)をこれら3宗教の遠祖と仰いでおり、基づいてアラブの始祖をアブラハムの息子イシュマエル(イスマーイール)とし、メッカのカアバ神殿はアブラハムとイシュマエルが建設したというイスラーム以前の古いアラブの伝承に基づいて、イスラームの信仰の根本はアブラハムの宗教に立ち返ったものであるとみなしている。
イスラム教においては、(イエスやモーセもだが)アブラハムはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなくムスリムである。
イエスの扱い
アッラーはクルアーンによれば「生みも生まれもしない」唯一固有の存在としているため、イエス・キリスト(マスィーフ・イーサー)をマリア(マルヤム)の子にして救世主とは認めるものの、「神の子」であることは否定していることも特徴である(実はキリスト教においてもイエス・キリストはマリアから生まれる前、永遠の昔から存在したとされ、ある時点において発生・出現した(生まれた)、という見解はとらない)。
クルアーンでは神を「父」と呼ぶ旧約聖書からの慣習も否定されているが、これに則るならイエスは神をアッバ(父)とは呼んでいないことになる。
またイエスは十字架にかかっていない。かかっているように見えたのは誤認であり、実際は神により天に引き上げられた、とされる。
ハディース(ムハンマドの言行録)によると終末の時代が来るとき、イエスは十字架を破壊する、という。
アダムとイブの扱い、原罪論
人類の始祖アーダム(アダム)とその妻ハウワー(エヴァ)は悪魔の虚言にだまされて禁断の果実を食した罰として楽園から地上へ追放されたが、長い放浪の末それを深く悔悟したことから罪を赦され、両者は最終的には天国への居住を許可されている。そのため、キリスト教(とくに西方教会)的な原罪の概念は存在しない。
イスラム教系新宗教
ムハンマドを最後の預言者とする以上、同系列の後発宗教が他宗教と比べて発生しにくい、という特徴を持つ。
キリスト教や仏教と比べてかなり数は少ないが、バーブ教やバハーイー教などのイスラム系新宗教は存在する。
過激派について
俗説として「神権ありきのイスラム教は近代民主主義と食い合わせが悪く、(西欧的な人権思想の観点から)女性を抑圧し、異教徒を下に置き、全世界のイスラム化こそが究極の目標。時代にあっていないと批判しても彼らからは時代こそが神の教えに合っていないと考えるので妥協することはない」というような主張がなされているが、これは「ガチで100%運用してしまった場合」。
これはイスラム教だけではなく他にもいえることで、だいたいの宗教には暴力肯定の思想がどこかに潜んでいる。
ほとんどのイスラム教徒は敬虔であれ不熱心であれ、異教徒との宗教戦争や争いなど望んでいないし、イスラム教が支配的ではない地域に住むと戒律の実践が難しい事に関しては妥協して生きている信者も大勢いる。
戦争を望まず、平和に暮らしたい人々はクルアーンやハディースにある暴力的な部分と穏便な部分がぶつかる際は、大抵の場合後者を選んで平和への道を模索している。
例えばISILによる日本人の人質事件が起きた際、日本国内や諸外国の多くの法学者らは彼らをイスラムに敵対した異教徒とみなして処刑は当然とせず、クルアーンにある「一人の人間を殺すことは全人類を殺すことと同然である」という言葉を用いて激しく非難した。
ISILを始めとした、イスラム過激派と呼ばれるテロリストグループの主張する所の「正しいイスラム教のありかた」は多くの穏健なムスリムとは齟齬が大きく、またイスラム教の教義に地域や特定の部族の因習などを勝手にごちゃ混ぜにしているようなところもあったりする。
こうした過激派の行動から風評被害を被っている穏健な一般のムスリム達やイスラム教の聖職者からは「本来のイスラムの教えではない」「彼らはイスラム教徒ではない」と非難されることも多い。
過激派はどの宗教にも存在し、宗教史には必ず殺し合いが含まれる。特にイスラム世界では西欧各国が適当に国境線を引いたために紛争が多発しており、また豊かなところもレンティア国家(資源輸出がほとんどの国々)で体制が脆弱など不安定な地域が多く、過激派が台頭しやすいのである。
また、日本に入ってくる情報はほとんどキリスト教世界のマスメディアを経由してくるため、イスラム過激派の情報が入りやすい。
しかし、一方では過激派が「信仰の尊重」を盾にして他国で事件を起こすケースもあり、更には「信仰は憲法や法律を超越できる」という非常識な暴論で開き直って法の裁きを受けても犯罪行為を正当化しようとする者も少なからず存在する。こちらを参照。
どの宗教や事柄においても、その「行動理念」と「運用する人間」の違いはちゃんと理解しておく必要がある。
現代日本のイスラム
日本とイスラムの交流は江戸時代以前は微々たるもので、南蛮人や朱印船貿易などで情報が国内にもたらされるのみであった。戦国後期に来日したムスリムはいたとも言われているが、国内でムスリムになった日本人は恐らくいなかった。文明開化以降、明治大正にロシア帝国やソ連から逃げて来たタタール人が日本に本格的にイスラムを齎した最初である。太平洋戦争時には日本軍は東南アジアで多くのムスリムを統治下においた。
21世紀の日本国内のムスリムは、多くが留学生や来日労働者などの外国人が中心であり、日本人でムスリムに改宗する人は、ムスリムの配偶者や元々モスクと交流があるなどした極少数であるとされている。
インターネットで危険な存在と煽られる事はあるが、日本は世界的に見てもイスラム教徒の割合が非常に少ない国であり、欧米諸外国に比べると地域民との軋轢も非常に少ない。
しつこく改宗を薦めてくるようなムスリムや、周囲の日本人にムスリムの戒律を強要するようなムスリムも、日本の仏教やキリスト教の新興宗教と比較すると絶対的に少ない(そもそも周囲もみんなムスリムじゃないと蕁麻疹が出るような勧誘馬鹿は、そもそも日本には来ない)。寧ろ日本のモスクに通う子供や若いムスリムには結構アニオタがいたりする。
モスク自体は東京や神戸、その他日本全国の外国人労働者や留学生の多いエリアに存在している。代々木上原駅にある東京ジャーミーは小田急小田原線の複々線や遠くの新宿副都心超高層ビル群と意味不明なコントラストを形成している巨大なトルコ建築のモスクである。神戸モスクも巨大である。
地方都市や田舎にもモスクは存在しているが、多くはプレハブや簡易鉄筋構造のあまり外観はモスクっぽくない普通の建物である事が多い。場所にもよるが、地元民など異教徒の見学も歓迎している場所も多く存在し、金曜礼拝にはムスリムと交流しながらタダ飯…もとい食事会も楽しめる場所もある。礼拝の最中子供が走り回って遊んでいても放っておかれるなど、案外フリーダムな感じである。異文化交流がてら地元のモスクに遊びに行っては如何だろうか。
イラスト
pixivにおけるイスラム教関連のイラストは、イスラム教徒の服装、特に女性のヒジャーブ姿のイラストが多い。
偶像崇拝の禁止ゆえか、他の宗教タグで見られるような信仰・崇拝対象のイラストはほぼみられない。
pixivにおいてイスラム教を題材にしたイラストを描く際の注意点
上述の内容やメディアなど様々な媒体から得られる情報でもわかる通り同宗教は非常に繊細で且つ様々な問題を抱えていることを留意しなければいけない。これは極東の島国である日本においても例外ではなく、過去に様々な問題や事件が起きているからである。
例えば、イスラム教を批判的に捉えて執筆された「悪魔の詩」の本を翻訳した日本人が日本国内で殺害されたケースが挙げられる(2015年現在でも犯人は不明のまま)。また、荒木飛呂彦氏が発行した『ジョジョの奇妙な冒険』でも問題が起きた過去があり、同漫画の中で登場人物のDIOが経典であるコーランを読みながら殺害を予告するコマが描かれている。このコマを巡ってイスラム教団体から猛烈なクレームが入り、一部の信者からは「放映したアニメ会社を爆破しろ」などと叫ばれるなどデモが発生するなど、新聞に掲載されるほどの大問題に発展した(後に謝罪と絵面の修正が行われる)。
近年ではISIS(又はISIL、通称「イスラム国」)による日本人拉致殺害事件が発生した際に、一連の騒動でTwitterユーザーが「ISISクソコラグランプリ」なる一種の炎上現象が発生ししたのは記憶に新しい。その騒動の中でコラ画像を投稿した1人の身元がISISの関係と見られる者に身元を特定されTwitter上で殺害予告が行われた。このため、警察が投稿した人物の身辺警護のため出動する事態にまで発展するケースがある。
以上のように、同宗教の扱いは1つ間違えれば大問題に発展しかねないリスクを常に抱えており、それはたとえ数多あるSNSの1つであるpixivにおいても例外ではない。
正しい知識と良識ある行動、そして細心の注意をはらった上での行動が求められているのは必定である事も留意する必要がある。
タブーとされる事項
イスラム教を題材にしたイラストを描く際に信者でなくてもタブーとされている事項を挙げる。
・イスラム教を批判的に描く
単純にイスラム教徒の反発を招く恐れがある。過激なものであればあるほど批判を受けやすい。
・アラーを描く
イスラム教徒において偶像崇拝を禁止しており、神「アラー」を描くのは絶対のタブー。
・預言者ムハンマドを侮辱する
偶像崇拝を禁止している教義においても、ムハンマドの肖像画も禁忌に触れる恐れがあるために回避する傾向がある。顔を見えないように描いたり、顔自体を黒く塗ったり、歴史上の絵画ではのっぺらぼうにするなどで対処する場合もあるが、イスラームでもグレーゾーンな面もあるため注釈などが必要。
ただしイスラームで問題視されているのは、主に「ムハンマドの絵を描く」という事よりも、「ムハンマドを侮辱する」という側面が強い。
(2015年のアメリカで、修正がされていないムハンマドの絵画を展示する美術館前にてイスラム教徒と警察官の間で銃撃戦が発生するほどの事件が発生している例がある。他にも2015年1月7日に起きたフランスのシャルリエブド事件ではムハンマドを風刺した上、侮辱ととれた為、風刺画家が銃撃された)
例えばpixivにおいてもこの様なイラストが投稿されているが、こういった物でも「預言者ムハンマドを侮辱している!」と判断して何かしらの攻撃を加えてくる可能性が十分あるのである。
2019年では鬼滅の刃のDVDの特典CDにおいて「アザーン」が使われたとして回収に追い込まれている。