概要
偶像(神様などをかたどった像)を彫塑し、それを信仰や崇拝の対象とすること。
宗教の中では、比較的に初期段階から存在する信仰手段である。
現代的にいえば「信仰対象の擬人化・擬獣化」であり、信仰する存在を形として分かりやすくすることで、信仰する対象を捉えやすくするメリットがある。
経典や神話も偶像崇拝の一翼を担う一面があり、信仰対象の容貌や威光を具体的に書き記すことで、より信仰対象への理解を深めさせることに一役買うことになっている。
段階が進むと、巫女や神官などの神職、果ては王族などを神の系譜に繋がる人物とするなど、生きた存在を偶像として崇める「預言者」や「現人神」という信仰に発展する。
豪華な偶像を作ることで財力や技術力を誇示することもできる。
デメリット
信仰として分かりやすくなった半面、偶像に熱中して教義を学ばなくなったり、二次創作による後付け設定が加わって神性が複雑化したり、「山の神が怒るので入ると祟りがある」といったような俗信やタブーが生まれたり、信仰の根元を司る権力者自体が神を越えた崇拝対象になりやすい、その時代の権力者によって都合よく偶像の意味付けを変更されるといったようなデメリットもある。
また、像の破壊が行われた場合、目に見えるかたちで示されるため、偶像を崇める信仰者への精神的なダメージは非常に大きいものとなりやすい。像が破壊されれば神そのものが失われたように感じるからである。
初期の有名な科学者はイスラム圏とキリスト教圏に集中しており、その他の地域で科学が遅れをとった理由として、偶像崇拝が挙げられることがある。自然を偶像化して神聖視したために、合理的な解釈ができなかったという説である。
アブラハムの宗教と偶像崇拝
アブラハムの宗教はユダヤ教以来、教義上は偶像崇拝を嫌う。しかしユダヤ教は仮に偶像を作りたくても作れないまでに長らく衰退し、キリスト教ではローマの文化と混ざりあって即座に有名無実と化した。ただやはり教義上問題になったこともあり、正教会の聖像破壊運動も起きている。プロテスタントの十字架は偶像崇拝を避けるためシンプルなものになっている。
かなり徹底しているのがイスラム教。イスラムが力を持つ以前の中東では偶像崇拝が盛行していたので、イスラム教徒はユダヤ教・キリスト教以外の自分たち以外の宗教をひとまとめに偶像崇拝と呼ぶことが多い。イスラム黄金時代には自然科学が発達し光学の基礎も作り上げたものの、厳格な信仰では人物を絵画や彫刻に表現する事も忌み嫌われ、それを美術に応用することはなかった。
実際のところ、偶像崇拝の禁止はできていない。聖人像が大量にあるキリスト教はもちろんとして、ユダヤ教やイスラム教も事実上神殿やカリグラフィーが偶像の代わりになっている。つまり現実的には「偶像崇拝」の基準が違う程度であるため、この言葉が用いられた資料を読むときは、誰の観点からその語が用いられているのかを注意しなければいけない。
逆に、アブラハムの宗教以外の宗教がすべて偶像崇拝かというとそんなことはない。例えば北欧神話やギリシャ神話の信仰は一般に神を象った偶像を崇拝しているのではなく、抽象的な神を信仰対象にしている。これはゾロアスター教やヒンズー教も同じである。仏教に至ってはそもそも神を信仰して何かを得ることではなく悟りに至ることが本来の目的であった。
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カルト…偶像崇拝を禁じるという教えを他人に押しつけ、史跡を破壊する悪質な宗教団体が存在する。