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アイドル

あいどる

芸能人のうち、その存在そのものの魅力で多方面で活躍する若手タレントのことをいう。定義は時代によって変わってきたが、現在の文化は明治時代に端を発し、アイドル歌手・アイドル女優・アイドルダンサー・アイドル声優と幅広い。
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概要

英語の「idol(偶像、崇拝の対象となる人物、英雄的存在、熱狂的なファンを有する人物)」が語源。
日本では一般的に芸能人のうち「芸(才能)」よりも、その見た目や存在のかわいらしさ、ルックスのかっこよさで人気を博している若手タレントのことを指す。
特定の分野のアイドルを「○○ドル」「アイドル○○」などと呼ぶこともある。
また広義では「クラスのアイドル」「職場のアイドル」などの人気者全般を指すこともある。

昭和時代まではアイドルといえば20代以下と決まっていたが、近年は30代以上のキャリアの長いアイドルも多くなっている。また、「ローカルアイドル」や「ご当地アイドル」と言われる、町おこしのため学生などの素人を起用したアイドルユニットも増え、アイドルの裾野は広くなっている。

なおこうした「アイドル」の定義は日本独自に発展した概念であり、英語圏ではビートルズスティービー・ワンダーのような世界的なアイコンも「アイドル」と称された。
よって英語の語源本来の意味を知らずに「アイドルって顔かよw」などといった発言をすると、さりげなく恥をかくので注意しよう。
グラミー賞受賞クラスのアーティストを何人も輩出しているアメリカの世界的人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」なども、純粋に才能を競うコンペティションであり、候補者のルックスは一切問われない。

アイドル史(日本)

明治時代

日本のアイドル史は、明治20年代に始まる。
明治20年に娘義太夫の太夫(アイドル歌手)としてデビューした初代竹本綾之助(12歳)は、東京に熱狂的な娘義太夫ブームを一気に作り出し、娘義太夫のセンターとなった。彼女は「歌舞の菩薩」(=ネ申)と評され「あやちゃん」とも呼ばれたが、娘義太夫が東京を席巻する中、彼女が寄席(ライブ)に出演すればどんな天気だろうが不景気だろうが周囲が「八丁飢饉」となり、正月から十二月まで一年間のスケジュールは全て埋まっていたという、伝説の元祖アイドル歌手である。
熱心な学生ファンが中心となって、娘義太夫のパフォーマンス中に曲のさわりでミックスを打ち、ライブ後には太夫(アイドル)の人力車を追いかけた。彼らは推しメン同士でファングループを結成し、大衆的な芸に熱狂したのである。
絶対的なエースであった竹本綾之助は、人気絶頂の明治31年、23歳の時に引退したが、すぐに次世代エースとして頭角を現したのが当時15歳の初代竹本京子であった(デビューは10歳)。童顔でセクシーな竹本京子は『本朝廿四孝(十種香の段)』という曲が十八番で、東京の学生では、首相の名前を知らぬ者はいても、京子の名前を知らぬ者はいないとまで言われた。
その他にも第二の綾之助を目指した少女達が次々と上京してデビューし、竹本愛之助竹本新吉豊澤団登竹本住之助竹本小巴津竹本小土佐豊竹呂昇豊竹昇之助らがアイドル歌手として熱狂的な人気を集めたのである。

この他、アイドル総選挙が始めて行われたのも明治20年代である。浅草のシンボルタワー凌雲閣で「百美人展」というコンテストを開催し、東京の美しい芸妓を百人選び、その写真を額仕立てにして4階から7階に展示。来館者に写真の人気投票をしてもらい、上位5名に金の受賞を贈与した。中には推しメンを一位にしようと50枚も入場券を買って投票した者もいたという。明治24年から三回行われたが、アイドル芸妓の人気はどんどん高まり、明治28年に『京美人』、明治31年に『京阪百美人』という芸妓の写真集が発刊され、明治33年以降は写真絵葉書がブロマイドとして全国に流布した。明治のはじめまで勢いのあった芸妓美はその余力で明治年間を通じて跋扈し、女学生スタイルがそれを駆逐するのは大正時代のことである。
ちなみに、この百美人展で一位になった芸者よりも注目を集めたのがあの有名な、伊藤博文も贔屓にした通称「洗い髪のお妻」である。

また明治30年代には玉乗りブームがあり、16歳から20歳くらいの少女達(玉乗りの太夫)が常に人気を集めた。学生ファンはアイドル太夫に祝儀を渡し、自分の写真を送り、積極的にアプローチしたという。

大正時代

大正初期には三大女優松井須磨子森律子松旭斎天勝の人気が高かった。
現在でもAKB48の「カチューシャ」が有名だが、この語は大スター松井須磨子が『復活』で、ヘアバンドをした女主人公カチューシャを演じたのが元祖だという説がある。そして松井須磨子の「カチューシャの唄」こそ日本の流行歌第一号といわれる、誰もが知る名曲である。
松旭斎天勝はアイドル奇術師であり、美人で愛嬌があり肉感的だということで、川上貞奴・豊竹呂昇と並ぶ三大美人とも評されたトップアイドルであった。伊藤博文に目をつけられたこともある。
なお、当時『サロメ』ブームがあり、アイドル女優はみなサロメを演じた。

大正中期には「浅草オペラ」という芸能が一大ブームとなり、芸者歌手の朝居丸子が洋式小唄「コロッケの唄」を歌ったのを初め、ツートップとなったアイドル河合澄子澤モリノが人気を集め、松山浪子堺千世子相良愛子も人気投票ベスト五位に名を連ねている。
学生達の熱狂ぶりは凄まじく、明治時代の娘義太夫ヲタは「堂摺連」(ドースル連)と呼ばれたのに対し、大正時代の浅草オペラヲタは「ペラゴロ」と呼ばれた。谷崎潤一郎佐藤春夫小林秀雄宮崎賢治も劇場に通っており、川端康成は河合澄子を推したガチヲタとして知られる。

また宝塚少女歌劇がプロデュースされ、品行方正な15歳以下の少女達(「うち」「ほんまに」「してまんねん」と会話する大阪弁少女だったのが面白い)が宝塚に集まった。日本の伝統と西洋のオペラを折衷した歌劇で天下を取ろうとしたのである。
美人評論家の青柳有美が単推ししていた瀧川末子はその二期生であり、昭和時代のアイドルも宝塚から輩出されている。更に宝塚をモデルとしたご当地アイドルブームが生まれ、第二の宝塚を目指して羽田別荘少女歌劇団・琵琶少女歌劇・浪華少女歌劇・花月園少女歌劇・青黛座・大浜少女歌劇・鶴見園女優歌劇・粟崎少女歌劇といった模倣アイドルグループが、北海道から広島四国まで20以上設置され、浴衣やセーラー服や水着で観客を魅了した。

更に大正9年以降、映画(初期は活動大写真、略して「活動」と呼ばれた)が大流行し、特筆すべき映画女優が昭和時代まで綺羅・星のごとく登場した。圧倒的な人気を博した川田芳子は女優ブロマイドの第一号であったし、筑波雪子も芸者時代からの売れっ子で、無声映画時代の大スターであった。この流れは昭和時代にも続いていく。

昭和時代

昭和初期の新宿に「ムーラン・ルージュ新宿座」が建てられたが、その象徴が10代前半のトップアイドル明日待子である。素朴で初々しく人形の様な美しさと言われ、性格も明るくてどんな時でも笑顔を絶やさない少女で「まっちゃん」と呼ばれた。戦時中にはライブに来ていた出征前の学生ファンのために舞台を降り、一人一人の手を握って「ご苦労様。ご武運長久をお祈りいたします」と挨拶をして回った、高潔な心のアイドルだったのである。常にファンの心を優先した明日待子は、会いに行ける「正統派アイドル」を全うして戦後の昭和24年に29歳で引退したが、平成29年現在も衛生を保ち97歳の現役日本舞踊家である。
なお、戦前のムーラン・ルージュでは最年少のロリ系アイドル春日芳子を初め、望月美恵子堺真澄水町庸子高輪芳子、当時20過ぎの竹久千恵子まで、ほとんど10代の踊り子がポーカーフェイスで踊るのも人気であり、多くのファンがそれぞれの推しメンについた。

満洲事変以降はハイティーンの清純派アイドルが流行した。アイドル女優の市川春代や、キャピキャピして清純なアイドル歌手平井英子、そして特に宝塚少女歌劇出身のアイドル女優轟夕起子がアイドルソングを吹き込んだレコードがブレイクした。戦時中のアイドルは爽やかで健康的であった。

大東亜戦争中は、軍部が兵士を精神的にサポートするため、陸海軍省が慰問雑誌を発行した。その紙面には、国民的映画女優や花街の芸者等、若く可憐なアイドルのグラビアが生き生きとした表情で続々登場した。アイドルとして誌面で活躍したのは、戦前から人気であった高杉早苗高峰三枝子原節子霧立のぼる桑野通子田中絹代・轟夕起子・山路ふみ子槇扶佐子・市川春代・飯塚敏子入江たか子古川登美李香蘭水の江瀧子山田五十鈴逢初夢子花柳小菊水戸光子高峰秀子小鳩くるみ橘公子など。高峰秀子は庶民派の少女アイドルで、セーラー服姿でも雑誌を飾った。
故国を離れた兵士にとって、アイドル達は愛おしい存在であった。アイドルのゴシップページが戦地での息抜きとなり、グラビアページを切り取ってポケットに入れ、敵と戦った兵士が多くいたのである。
そして更に戦争が長引くと、兵士は定期的な休暇がなく精神的に傷ついていたため、誌上で兵士を応援していたアイドルが多数戦地に行き、実際に兵士の慰問をした。その中には卑劣な敵国に襲撃されて死亡した犠牲者もいる。

敗戦後はアメリカに占領され、日本人が自由を全て奪われた暗黒の戦後時代となった。マッカーサー最高司令官が大船撮影所を訪れたとき、戦後活躍していた映画女優がお出迎えに駆け出た中、戦前戦中と人気のアイドル女優であった原節子は、戦争末期に無差別爆撃で横浜を焼き尽くした米軍のマッカーサーを無視した。気高いアイドルであった。
そんな原節子は戦後も男性のみならず、女性にとってもあこがれであった。原の後を追いかけるように、暗黒の戦後時代にも山本富士子・久我美子・久保菜穂子・岸惠子・池内淳子・三ツ矢歌子と、続々と主星やアイドルが登場し、次の世代には西田佐知子・倍賞千恵子・森山良子・小川知子・島田陽子・秋吉久美子・関根恵子などがいた。昭和48年には「花の中三トリオ」と呼ばれた山口百恵・桜田淳子・森昌子が現れる。全員ではないが「原節子」の様に「○子」という名前が多かった。この潮流は平成時代の人気グループ「AKB48」の人気メンバーにも見られる。

平成時代

平成20年代には、日本流の「カワイイ」「萌え」「制服」の感性を前面に掲げた国民的アイドル集団AKB48が人気グループとなる。乃木坂46はその公式ライバルである。

実在の女性アイドルタグ

1990年代以降のアイドルを記載。90年代以前のアイドルは、「1970年代アイドル」、「80年代アイドル」を参照。

事務所など


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関連作品・キャラ等

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昭和のトップアイドル明日待子

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