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ピンクレディー

ぴんくれでぃー

ピンクレディーとは、1970年代後半の日本において絶大な人気を誇った2人組のアイドル。
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概要

メンバー

ミー(現:未唯mie、本名:根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身)
ケイ(現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身)

来歴

デビューまで

共に中学・高校での同級生で、1973年にヤマハ音楽教室が主宰したオーディションに合格。
特待生としてヤマハボーカルスクールに通う事となり、当時の講師の勧めもあり「クッキー」というデュオとしてのデビューを目指した。
当時はオーバーオールの似合う純朴な田舎娘風のビジュアルであった。
しかし伝説のオーディション番組「スター誕生!」において、とあるレコード会社の社員が当時の社の方針に逆らいデビューへの道を拓くと、一転して派手な衣装と奇抜なダンスを見せるデュオに変貌した。
当時似たような路線の歌手として「山本リンダ」が居たが、彼女が妖艶な「オトナ」の女を意識していたのにたいし、彼女らは健康的なお色気を振りまくタイプで差別化に成功している。

絶頂期

絶頂期の彼女らは誇張表現抜きで「スーパーアイドル」と呼ぶにふさわしく、オリコンで連続9曲1位・10曲連続ミリオンセラー(出荷ベース)という当時の最高記録をマークしたのを始めとし、テレビで見ない日は無いと言う超過密スケジュールだった(後に当人らの口によると「文字通りの分刻みのシュケジュール」だったそうだ)。
しかしその分人気は確かなものであり、当時を知るファンによると「老若男女関わらず、誰もがピンクレディーの歌を歌えた」らしい。アイドルマスターの世界で言えば、日高舞クラスと言えば通じる人には通じるだろうか。
あまりにも人気が出過ぎたために新曲の練習をする暇も限られ、ある曲に至っては出番の数分前に振付を教えられたという事すらあったそうだ。

アメリカ進出・人気急降下、そして解散

意外と知られていない事実だが、彼女らはアメリカ進出も果たしており準レギュラーすら獲得している。
しかし日本国内でやっていたころより、更に強調されたセックスアピールからイメージを損なうと判断され、ほとんど報道されることは無かった。
また、紅白歌合戦への出場を辞退し裏番組に出演したことからNHKとも溝が発生した(番組自体も紅白歌合戦が当時国民的番組であった事も手伝い、ピンクレディーが出演した番組は惨敗で終わっている)。
また事務所側と制作側との諍いも発生し、人気は急降下。1980年9月1日にそろって解散を宣言すると、1981年3月31日の後楽園球場でのコンサートがラストコンサートとなった。

現在

その後の二人は女優・タレントとして積極的に活動。2005年には期間限定で復帰している。
2010年の9月1日。つまり解散宣言からちょうど30年のこの日に、「解散やめ!(元文ママ)」を宣言。現在のソロ活動と並行してピンクレディーの再始動を果たした。
2011年には全国ツアーも行い、現在に至る。

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