中森明菜
なかもりあきな
1965年7月13日生まれ。東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。本名同じ。
1980年代からアイドル歌手として活躍した。また、90年代は女優としても活躍していた。
16歳の時、オーディション番組『スター誕生!』に出場し、合格。複数の事務所やレコード会社からスカウトを受ける。
『スタ誕』には何度も挑戦しており、いわゆる「常連」であった。3回目の出場においてはスタッフの中に難色を示す者もいたが、プロデューサーの熱意により出場が決まったという。
ワーナー・パイオニアおよび研音(⇒研音グループ)と契約し、1982年に『スローモーション』で歌手デビュー。
当時のキャッチコピーは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」で、本人は「中森さんはエッチなんですか」などの質問を何度も受けたことから、あまりよく思っていなかったということを後年コメントしている。
セカンドシングル『少女A』でどこか影のあるクールな「ツッパリ」キャラを確立しブレイク。また、この楽曲で『夜のヒットスタジオ』に初出演し、その後も歌番組やライブのパフォーマンスにおける「セルフプロデュース路線」を固めていった。
アイドルとしてはいわゆる「花の82年組」で、80年代アイドル、ひいては80年代の邦楽市場ではトップクラスのレコードセールス記録を誇り、文字通りトップアイドルであった松田聖子と人気を二分した。また、本人もデビュー前から松田聖子のファンで、芸能界においてもよき先輩として慕っていたようである。
80年代はヒット曲を連発し、男女問わず絶大な人気を誇るも、1989年に当時交際していた近藤真彦とのトラブルで自殺未遂事件を起こしてしまい、活動を休止する。
復帰後は歌手活動のほか、女優としてドラマなどに出演。演技も一定の評価を受け注目されたが、事務所やレコード会社との不和など波乱万丈が続いた。
2000年代はカバーアルバムなどをいくつかリリースしたほか、自身をモチーフとしたパチンコ台が導入され話題となった。
2010年に体調不良により無期限活動休止を発表。2014年の紅白歌合戦にサプライズゲストとして出演し、歌手活動を再開した。
近年は体調のこともあり活動ペースがかなり緩やかになってはいるものの、たまにディナーショーなどでファンの前に姿を見せており、継続的に歌手活動を行なっている。
2022年8月に個人事務所HZ VILLAGEを設立。同月末に新しいオフィシャルサイトとTwitterアカウントを開設したことを報告した。
実妹の中森明穂(故人)も短期間ながら芸能活動をしていた。
自分に厳しい努力家であり、こだわりの強い。
提供を受ける楽曲の選定も自ら行っており、結果的に採用に至らなかった楽曲も数多い。
例えば、中島みゆき「見返り美人」、YMO「過激な淑女」、TM NETWORK「Come on Let's Dance」などは、中森のシングル選考から漏れた楽曲であり、最終的に楽曲を制作したアーティスト自身の手により発表された。
また、最初はシングル候補であったが、アルバム収録という形でリリースされたものがあり、竹内まりや「駅」、忌野清志郎・小林和生の共作「STAR PILOT」などがある。
また、シングルに至らなかった楽曲をまとめたアルバム『Stock』をリリースしている。アルバムタイトルは文字通り「ストック(在庫品)」を意味する。
アルバム『不思議』の収録曲を『夜のヒットスタジオDELUXE』で披露して欲しいとフジテレビから依頼が来たが、アルバムの世界観を再現できないと当初は拒否していた。しかし、フジテレビ側からアルバムのイメージに極力近づけると熱心な要望を受けた中森は最終的に出演を承諾し、番組内で「Back door night」と「マリオネット」を披露した。
シングル「I MISSED "THE SHOCK"」をテレビで披露する時に着ていた衣装は、元々はデパート伊勢丹の広告に掲載されていたモデルの衣装だった。
中森はその広告を偶然見かけて、「この曲のイメージにぴったりの衣装が見つかった」と一目惚れし、この衣装を制作したデザイナーに「ぜひ私の曲の衣装として、この衣装を提供して欲しい」と直訴した。デザイナーは当初この申し出に難色を示したが、最後は中森の熱烈な要望に折れ、彼女の衣装として提供することになった。
以上のように、印象深い逸話が多くあるため、中森本人が「わがまま」だと誤解されてしまう風潮があり、ゴシップ系の週刊誌などでは、そのことを悪く書かれてしまっていた。
このせいで、近年はテレビ局から扱いづらい歌手と認識されてしまい、テレビ出演する機会が減ってしまっていることを中森は吐露している。なお、彼女自身は、呼ばれればいくらでも出演すると述べている。
歌姫伝説:中森を題材としたパチンコ台シリーズ。
ちび菜:『歌姫伝説』に登場するデフォルメされたキャラクター。楽曲ごとに異なる衣装で登場し、多くが実際に歌番組等で本人が着用したものとなっている。
鮎川まどか:『気まぐれオレンジロード』の登場人物。容姿のモデルが中森であるとされた。
シルクのビスチェ:『ドラゴンクエストⅤ』で初登場したドラクエシリーズの女性用防具。元ネタは中森の楽曲「TANGO NOIR」の歌詞に出てきた「シルクのビスチェ」である。
関連人物
- 松田聖子:80年代当時のヒットチャートにおけるライバル的存在。しかし、前述の通り、仲は良かった。
- 芳村真理:『夜のヒットパレード』で共演して以降長らく交流が続いている。
- 小泉今日子:同期。アイドル時代はそれほど知られていなかったが、プライベートでは仲が良く、中森が『ミュージックフェア』に出演した際に小泉の楽曲『あなたに会えてよかった』をカバーしたこともある。また、堀ちえみの癌公表にあたり、「中森の現在の連絡先を同期の中で唯一知っているのが小泉で、小泉からコンタクトを取った」と報道されている。
- 岩崎宏美;オーディション番組『スター誕生!』の本選初挑戦時(当時中学2年生)に、彼女の『夏に抱かれて』を歌唱した。後年にはお互いの楽曲をカバーし合っている。
- 山口百恵:『夢先案内人』でオーディション合格を果たしている。また、アイドル時代から(山口百恵と同じレコード会社だった)松田聖子とは違った意味で「ポスト百恵」的なプロモーションがされており、アイドル活動初期は山口百恵風味な曲が多いほか、彼女の楽曲を多数カバーしている。
- 村下孝蔵:「アキナ」という、中森への応援歌として制作した楽曲が存在する。
- 原田泰造:中2の頃から中森のファンで、『笑う犬の冒険』のコント「チューチューディレクター」にゲストとして彼女を呼んだことがある。そのコントの劇中で名倉潤に、中森とチューする夢を何回も見たことをバラされている。
- 中森明夫:ジャーナリスト。ペンネームの由来が中森明菜である。
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