曖昧さ回避
- 漫画・アニメ『BLEACH』の登場人物、市丸ギン
- 個人勢のバーチャルYoutuber、市丸イチ
概要
16歳で浅間温泉で半玉(芸者見習い)となり蝶々を名乗った。
客から求められた長唄を知らず悔しい思いをしたことから19歳で上京し、大正15年(1926年)に浅草で芸者市丸としてお披露目。清元・長唄・小唄それぞれで名取となるほどの精進を重ね、浅草四人組のひとりに数えられるほどの人気となった。最盛期には10数件のお座敷を掛け持ちしていたという。
日本橋葭町の芸者藤本二三吉がレコード歌手としてヒットしていたことから、美声で評判があった市丸にも白羽の矢が立ち昭和6年(1931年)に「花嫁東京」で歌手デビューを果たした。
同年に静岡鉄道の宣伝で作られた「ちゃっきり節」は全国的大ヒットとなり、昭和7年(1932年)には片岡千恵蔵主演の映画『旅は青空』の主題歌「青空恋し」もヒットした。
昭和8年(1933年)には同じビクターレコード所属の芸者出身の歌手・小唄勝太郎が国民的人気歌手となったことからレコード会社各社は相次いで芸者出身のレコード歌手をデビューさせた。後輩に後れを取らじと同郷の中山晋平による「天龍下れば」を放送やステージで必ず歌い執念ともいえる大ヒットに結び付けた。
小唄勝太郎とのライバル関係は相当なもので、着物や出演料などあらゆるところで張り合ったことからビクター関係者を悩ませたという。
戦時中には軍歌・戦時歌謡を数曲吹き込んだが昭和18年(1943年)ごろを最後に活動を休止。昭和22年(1947年)から「黒髪ロマンス」でレコードへの吹込みを再開した。終戦直後の昭和20年(1945年)にNHK紅白歌合戦の前身にあたる「紅白音楽試合」に「天龍下れば」で出場したといわれており、これが戦後初の活動となる。
一方でアメリカ文化の流入により従来の日本調の歌手の活躍の場が失われつつあったことから、服部良一に「ブギウギを歌わせてほしい」と依頼、「三味線ブギウギ」で大ヒットした。
昭和30年代には民放テレビ・ラジオに積極的に進出。昭和35年(1960年)には17代目中村勘三郎の許しを得て江戸小歌中村派を復興、17世家元を襲名し「江戸小歌市丸」を名乗った。
昭和40年代の懐メロブームではついに長年のライバルだった小唄勝太郎との和解も実現。「勝っちゃんがいなかったら私はこんなに頑張れなかった」と賛辞を述べた。
「死ぬまで現役」が口癖で、晩年に至るまで「銀の雨」、「昭和さのさ節」などを吹き込んだ。
平成8年(1996年)10月に弟子の中村市之輔の江戸小歌中村派18世家元襲名パーティに出席したのが公の場に出た最後となり、翌平成9年(1997年)2月17日に呼吸不全で死去した。