概要
1866年1月13日-1949年10月29日アルメニア出身。
いわゆる神秘思想家にカテゴライズされる人物。
活動内容は多岐にわたるものの、その出自には謎が多く生年月日も定かではない。
また胡散臭い人物としてやり玉にあがることも多いが、当の本人が「私を信じる必要はない。むしろ自らを証明しえないものは何も信じるな」と突き放す態度をとっている。
その思想や教義は難解とされるが、主に「人間は機械である」という考えを持っており、「人類は惑星や宇宙の維持のために、戦争から日常の痴話喧嘩まで起こされている」という考えを一貫して主張し、彼の活動の多くが、それを自覚する、もしくは抗うための指南であることが多い。
またエニアグラムの図形は、彼が初めて世間に公開したものであるとされる。しかしながら、そこでは現在のような性格のタイプ診断的なものとしてではなく、あくまで事物のプロセスや万物の法則を説明する上で象徴となる図形であると紹介していた。
主な著作に『ベルゼバブの孫への話 - 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』『注目すべき人々との出会い』『生は<私が存在し>て初めて真実となる』等がある。
また、講話録も多く存在しているが、弟子のひとりであったP・D.ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』が本人の著作を差し置いて分かりやすい内容とされ評価も高い。一方で、グルジェフ氏本人は、その出版に長らく反対しており、自著である『ベルゼバブの孫への話』を読んだ後に読むべきだとしていたが、ほぼ同時期に出版され前者が広く読まれることになってしまった。
活動内容
グルジェフ氏の活動内容は多岐にわたり、今日でも確認できるものでも、執筆活動、スタディハウス等の団体の設立、講話、舞踏、作曲など様々である、しかしながら、どれも基本的に彼の「人間の機械性からの解放」という目標を掲げているものが主である。
その克服のために提唱されているのが「他人から不快な思いをさせられる場所に意図的に身を置くこと」「努力を意識的にすること」であるとしている。
スタディハウスについても、自身の弟子にわざと不愉快な思いをさせて突き放したり、もしくは和を乱す人間を追い出さず意図的に置いたりするエピソードなど、それらの片鱗がうかがえるものも多い。
その一方で同時にトラブルも多く、離反する弟子も多くおり、またエピソードも証言者によって細かな点が二転三転しているものもあり、今日では実像が掴みづらくなっている。
さらに、後年自動車事故を起こしており生死の境をさまよう経験もしているが、その事故が決定打となり、これまで神秘的な期待を抱いていた弟子も多く離反し、先のP.Dウスペンスキーもその一人であったとされる。
著作
グルジェフ氏は先の事故後、様々なトラブルに見舞われながらも復活し本格的な執筆活動を開始、森羅万象三部作というものを発表した。
それらは読む順番が定められており、三回繰り返し読んだ後で次の著作に移るよう指示されているが、第一の著作である『ベルゼバブの孫への話 - 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』はいきなりの内容の難解さと長さから挫折する人も多く(グルジェフも意図的に読みにくくしたと語っている)、その順番を守られずに読まれることも多い。ちなみに二部作目の『注目すべき人々との出会い』はグルジェフ氏の半自伝的内容で、文章は一般的で人気も高く、映像化もされている。
また、これらの三部作は翻訳される機会も多く、日本語でも出版されている。
- 『ベルゼバブの孫への話 - 人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』
いわゆるSF小説的内容
ベルゼバブと呼ばれる高度に知性や理性などが発達した宇宙人が、「世界創造」に対する「反逆の罪」で、「全宇宙」において「最も辺鄙で価値のない場所」とされる「我々の太陽系」へ流刑となった。そして、火星などでの観測所の設立や地球での調査活動等、そこでの功績が認められ母星への帰還が許されることになる。その帰りの宇宙船で孫と再会し、太陽系時代の話をしていたところ、孫は地球の人間に興味を持ち、ベルゼバブは地球の話を始める。
独特の用語が多く文章も難解だが、「人類はなぜ争いをやめないのか」ということを主題にしており、その最大の原因を「地球が生成される際に起こった宇宙的な事故(月の生成)」及び「その際、宇宙の管理者である天使が応急措置として人類の肉体に取り付けた器官(クンダバッファー器官)」のせいであるとしている。
その上で、イエスや釈迦やマホメット等といった聖人たちが受肉し、そこで伝えられた優れた習慣や教えも、どう曲解され、忘却され、人々の争い事へと発展していくのかという話題を繰り返し語っている。ある意味で「世界は変わらない」「戦争を止めることはできない」という絶望的な内容が軽快かつシニカルな語り口と難解な語句によって記述されている。
その中でベルゼバブは最終的に一般的な天使をも超える理性存在として進化し、地球人類が自身の機械性に抗うためのある一つの提言を導き出す。
- 『注目すべき人々との出会い』
「私のとって注目すべき人とは、機知に富む点で周囲の人々をしのぐ人間。本性の発露を自制することを心得ている人間、そして、他人の弱さに対し、公正に辛抱強く対処する人間の事である」
森羅万象二作目にしてグルジェフ氏の半自伝
グルジェフ氏が青春時代に神秘的なことに興味を持ち、アジア各地を転々とし、その中で秘境団体と巡り合う自伝的内容。しかしながら、秘境団体そのものよりも、学生時代の恩師や父、友達、秘境団体を探す旅を一緒にした仲間たちを「注目すべき人々」として章立てし各エピソードが記されている。
一作目に比べ内容も読みやすく人気もあり、ピーター・ブルック監督で映像化もされている。
- 『生は〈私が存在し〉て初めて真実となる』
森羅万象最終作にして未完
内容についての示唆は前作にあったが、そこで予告されていた内容はなく、思い付きで描かれたようなエッセイ的内容に講話録などが挿入されたりなど非常に不安定な内容。
その中でオレイジ氏という弟子をめぐってのトラブル、離反、和解、死別、それぞれの出来事が語られており、そこでの恨み節や後悔等グルジェフ氏の人間味が感じられる内容である。終盤に「自分に敵意を持った人間にはどのような超自然的作用が起こるか」といった内容を解説するも、その最中結構気になるところで終わっており未完。
- 『奇蹟を求めて』
弟子のひとりであったP.D.ウスペンスキーによってグルジェフ氏の講話と彼の感想などがまとめられた著作。
ウスペンスキーはグルジェフを見かねて離反した弟子の一人だが、離反してなおもその思想体系は興味深いものとして持ち出している。
内容は非常に分かりやすくグルジェフ関連の著作の中でもっとも広く読まれているとされる。
しかしながら、グルジェフ氏本人は、その出版に長らく反対しており、自著である『ベルゼバブの孫への話』を読んだ後に読むべきだとしていたが、ほぼ同時期に出版され前者が読まれることになってしまった。入門書的内容だが読んでしまったら入門できないという矛盾した著作である。
主に語られる法則
グルジェフ氏は物事の『創造と進化』を語る際、以下の二つの法則の存在を説明し、ことあるごとに引き合いに出している。
- 『7の法則』
「宇宙法則ヘプタパラパーシノク」、または「オクターヴの法則」とも呼ばれている。
すべての物事は7つの振動の段階を経て繰り返し進展、もしくは後退しているというもので、それらの段階に対し、進展の場合は「ドレミファソラシ」、後退の場合は「ドシラソファミレ」とオクターヴが当てはめられており、宇宙に存在する物事は、それらのオクターブの振動を繰り返し、進展・後退しているものとしている。
その中でグルジェフ氏は、鍵盤の「黒鍵」に該当するものが「ミ」と「ファ」と、「シ」と「ド」の間に存在しないことで、原則、進展が中断されてしまったり、進展しているようで実際はこの欠けた振動部分から徐々に角度が変わっていき、逆行してしまうということが必ず起きてしまうという。例えばそれを具体的な例に当てはめると、「何かを始めても三日坊主で終わる事」であったり、「友好を意図した集まりが、いつの間にか争いを招く集まりになってしまう」といった具合である。
このようにならないように正しく物事を進展させるには、欠けてしまっている黒鍵の振動に該当するものを「外部より受け取る」ことが必要であるとしており、それらは主に、生理活動であれば、食事による食物の接種や、呼吸による大気の接種であったり、何らかの外部的なことに起因する印象であるとしているが、人間活動であれば、何らかの受け入れがたいストレスを意図的に受け入れることであったり、また、後述する「3の法則」を発動させることに該当すると氏は述べている。
- 『3の法則』
「宇宙法則トリアマジカムノ」とも呼ばれる。物事には、「プラスに対するマイナス」であったり「反射に対する思考」であったり「ネガティブに対するポジティブ」であったり「男に対する女」であったり、「左に対する右」であったり、「能動に対する受動」であったり、「創造に対する破壊」であったり「悪意に対する善意」であったり、「悪魔に対する天使であったり」必ず相反する概念やエネルギーが存在しており、それら両極を客観的かつ公平無私に理解し、中立を取り持ち共存させることで、第四の新たなエネルギーが発生されるとグルジェフ氏は主張し、そして、それらの間を取り持つ可能性と義務があるのが「人間」(三脳生物と言われている)であるとされる。グルジェフ氏はこの法則のほんの一例として「人間」そのものを例に挙げ、人間を「身体(本能的な反射衝動など)、「思考(知識的な活動)」、「理性(自己客観能力)」に分け、それぞれが別々の志向で動いているものとし、理性で以て自身の「身体」と「思考」を理解し対話的に取り持ち和解、共存することに成功すれば、第四の人間に進化するものとしている。
このように相反する二つのエネルギーや概念、そしてそれらを取り持つ存在の合計数を以て「3の法則」としているが、実際のところは3つのエネルギーの関係を通し4番目のエネルギーが発生することを言う。これらを先の「7の法則」で欠けた黒鍵を補填するものともしている。
そして、マクロ的な見方をすれば、「地球」は、本来「太陽」を発端とし、そこから「地球」に至るまでの諸惑星等を通したエネルギーを受け取り、成長、進展すべきものであり、「人類」は「地球」にとってそのエネルギーを受け取り「3の法則」を発動させることで「地球」へそれらのエネルギーを繋ぐ先の「欠けた黒鍵」を補う役割があるが、「我々の地球」においては、その「人類」の「惑星進化」に対する役割は隠避され「3の法則」の発動そのものに繋がる出来事や内省を、無意識に嫌がるように操作されているという。これは「月」の存在によるものが大きく、人類は無自覚な機械として「地球の進化」ではなく「月を維持」するために利用されているという。そして、人間がなんのために生きているのかを自覚できていないのはこれによるものであるという。その中でグルジェフ氏及びベルゼバブ氏は、人間が「“意図的”に苦悩すること」が重要であると繰り返し語っている。これは人間が、本来の惑星進化のため『3の法則』を発動することに拒否反応を示すよう刷り込まれている事を逆手に取ったことであり、また、それにより一定数「月」や「自然」の求める「苦悩」の義務を果たすことになり、時に履行した義務が過剰であった場合、再度世俗に染まらせるための「報奨」が払われるという。そしてグルジェフ氏自身も「“意図的な苦悩”は病を自身の治癒する事にも利用できる」と、弟子のひとりであるオレイジ氏に語っている。(『生は〈私が存在し〉て初めて真実となる 』より)
『エニアグラム』について
現在は人間を9つの性格のタイプに分け該当する数値を図に当てはめているオスカー・イチャソが提唱したものが主流であるが、グルジェフ氏としては上記の「7の法則」と「3の法則」をはじめとした各々の進展の概念同士の関係を表す図として用いており、また、講話記録からするとイーチャソの発表の30年以上前の1910年代に、これらの概念を弟子たちに向けて説明していたとされる。
この図そのものの知識については、グルジェフが先の『注目すべき人々との出会い』で描かれているような、様々な秘境団体と交わったことで、得たものであると推察されている。
グルジェフ氏はエニアグラムの図形を物事の繰り返しを表すものとして「円」、次に「3の法則を表すもの」として「正三角形」を用い、上部の頂点に9、そこから時計回りに3と6を当てはめ説明した。
そして「7の法則を表すもの」として、それらの数字の間に残りの124578の数字を割り振り、1を7で割った際に導かれる循環小数である142857142857142857…の1→4→2→8→5→7→1…の順番に線を引いたものとし、9をオクターブの終点にして始点、そして3と6については、インターヴァルとして、黒鍵に該当する外部的要因としている。
講話上におけるこの図形の説明に関してグルジェフ氏はそもそも「知ったかぶり」を人類の重大な問題としており、弟子にある程度のストレスを求める傾向からか、ほのめかし程度に語っており、西洋算術法(カバラ数秘術のようなもの)といった概念をさわり程度に挙げ、これらの図を読み解くうえで重要であるといった具合にヒントをちりばめ、自身で考察させるような講話をしている、そして、グルジェフ氏自身は「この図を理解することで万物が理解でき、何もない砂漠に置かれてもエニアグラムの図を描くことができれば迷うことはない」といった非常に重要なものとしてこの図を位置付けている。
「月」について
グルジェフ氏は講話の中で、「人々は月に支配されており、生物の生死に関しても全て“月”によって決められている」と語っている。また、先の「オクターヴの法則」では、宇宙的な視点において、月は太陽へと向かう逆行的なエネルギーの始点であったり、進展の場合は太陽からのエネルギーの終点であるとしている。そしてグルジェフ氏自身は、ウスペンスキーの前で意図的に「悲しみ」の感情を湧き立たせる様子を見せ、その感情を「月に捧げている」という意識で湧かせていたという。このように月は人々の感情や行動を操り、その際に発生する感情のエネルギーを搾取する存在であるという。そして、戦争や細かい争い事に大量殺人も事件事故もすべては「月」が行っているものとしている。
また、『ベルゼバブの孫への話』においては、「月」の生成と「人類」の関係も語られている。それによれば、現在我々のいる「地球」が原初に生成される際、意図せず隕石の衝突事故が起こってしまい、その際に、「地球」に対する「月」が2つ現れたという。そして、「月」をそのまま放置してしまうと、太陽系だけでなく「全宇宙」の法則が崩れてしまう危惧があったため、「宇宙の管理者」として「生産」されている「天使たち」は、何とかしてその「月」を維持するための策を練る必要があった。その結果、地球の三脳生物(人類)が本来持っている、惑星の進化のためのエネルギー変換を行う義務を放棄させ、ただ、「月」を存続させるための家畜的な役割を果たすものとして位置付けることに決まり、その「全宇宙における危惧」を治めることに成功したという。その際、地球の「三脳生物」(人類)には、本来の「惑星進化のための役割」を果たせず、ただ、月を維持するためだけに生き死にを繰り返す家畜的な役割を担うことになってしまったことで、その空虚さから自死をしないよう改造を施されたという。その際に人類の脊髄に取り付けられたものが「クンダバッファー器官」と呼ばれるもので、その器官によって「人類」は「物事を本来の性質とは“逆”にとらえる機能」を持たされたのだという。そしてこの「クンダバッファー器官」は現在取り外されてはいるが、取り除かれてもなお人類の性質として刷り込まれており、人類はこれらの性質、及び「月」の影響から、現在も争い事や揉め事が絶えず、「月の食料」として定期的に互いを破壊し合う「相互破壊のプロセス」すなわち「戦争」を起こされているのだという。
そして「クンダバッファー器官」についてグルジェフ氏は「クンダリーニ」との関係も言及しており、クンダリーニ的な修行は、より「クンダバッファー器官」の影響を強めるものとして否定的な見方をしていることを講演で述べている。ちなみにその「クンダバッファー器官」を発案した天使は“大天使サカキ”といい、地球の人類がより空虚で家畜的な存在になってしまったが、全宇宙の維持に貢献したことで、賛美され天使の階位を上げられている。このようなことから「天使」は必ずしも我々人類に寄り添った存在ではないことが分かることが描写されている。それはこの宇宙を「創造した主」にも同様の事がうかがえる描写が数多くある。
このように『ベルゼバブの孫への話』では、「天使」が何らかの宇宙的なトラブルが発生した際、人類の立場は考慮に入れず、ひたすら宇宙維持のための判断を下す一方で、主人公に据えた悪魔とされるベルゼバブは人類の欠点を客観的かつ公平無私な視点から冷静に批判的に語る一方、そのための人類との交わりや調査等を執念深く行っている様子も描かれている。その中でベルゼバブは「完成した人間は天使と悪魔をも凌ぐ」と述べており、これはグルジェフ氏自身も、後述するグルジエフ氏の父も同じことを語っており、先の「3の法則」の達成という第四の人類への道の重要性を表しているともいえる。
「死」について
グルジェフ氏は「いつか自分が死ぬ存在である」ということを自覚し生き続けることの重要性をことあるごとに説いている。それは人間が地球で生きているうえで刷り込まれているあらゆる幻想を無くさせ、真の人間として生存させるものであるとして人間の覚醒や宇宙にとっても有益なことであるとしている。しかし、実際のところは人間は、「クンダバッファー器官」と「月」と「自然」の影響で、時にその自覚を感じることはあっても時間が経てば「死への畏怖」も忘却するようにできており覚醒のためには常に、そのことを思い出させてくれる外的要因に触れること、そしてそのデータを「結晶化させる」(刷り込ませるというような表現でベルゼバブが用いている)ことが重要であるとしている。そして、グルジェフ氏はスタディーハウスにおいてそのような自覚のためのグループワークを行っていたようである。また、『ベルゼバブの孫への話』におけるベルゼバブも物語の最後に「地球の人類を救うには“クンダバッファー器官”を取り付けたように、“常に自身の死を自覚させる器官”を取り付けることが現状の人類の問題点から脱却するうえで必要である」と語っている。グルジェフ氏は「生存における“苦”以外は幻想であり現実ではない」とし、幻想を現実だと「錯覚する」ことが問題であり、「幻想」とは「一時の物であるすべてのもの」であるとしている。つまり人間の人生、もしくは自身の存在すらも「幻想」であり「自らを無」だと自覚して、その「無」の空虚感を味わい、それに対して内的な闘いを挑むことこそ真の人類の義務であるとしており「3の法則」を発生させる、意図的な苦悩「パートクドルグ義務」としている。このためにグルジェフ氏は、参考図書としてマーク・トウェインの「人間とは何か」をワークで読ませるようにしていたとされる。この本はひたすら「人間が機械」であるということ、「良心」や「奉仕の心」すら外の出来事によってつくられたものであり、「自分の物」というものは人間にはないといった具合に人間に空虚感を持たせる内容である。グルジェフ氏はその「無」を味わう中で、浮き彫りになった空虚な自分自身に対し、戦いや働きかけを行おうとし、その上で、意図的に苦を味わおうとすることで現れるものが「現実」であり「真実」であり「真の私」であるという。グルジェフ氏の著作である『生は〈私が存在し〉て初めて真実となる』における存在する「私」とは、機械的な自己から脱却することで、生が幻想から真実に変わることを表しているともとれる。
格言
スタディハウスに掲げられているもの
集団生活を行うスタディハウスの壁に特殊な文字で掲示されていたとされる格言。
氏の著作に従うならこれらは先の聖人が真に残した内容であるとされる。
- 「それ」が好まないものを好みなさい。
- 他人に教えることにより、自分も学ぶ。
- 怠け者でない者だけを助けなさい。
- 人が達成できる最高のことは、為すという能力である。
- いつも、どこにおいても、自己を思い起こしなさい。
- あなたがここへ来たのは、自己と闘うこと、自己と闘う必要を理解したからである、ということを思い起こし、機会を与えてくれるすべての人に感謝しなさい。
- ここでは、指導し、環境をつくることはできるが、助けることはできない。
- この家は、自己の存在が無であることを認め、(自己)改革の可能性を信じている人たちだけに役立つということを理解しなさい。
- 悪いと知って行えば、償うのが困難な罪を犯す。
- 人生で幸福を得る主な力は、常に外的に考慮し、決して内的に考慮しないという能力である。
- 芸術を感情で愛してはいけない。
- 父母を愛せば、善人の本当のしるしである。
- 自分自身をあてはめて他人を判断すれば、めったに誤らない。
- すべての宗教を尊敬しなさい。
- われはワークを愛する人を愛す。
- われわれは、キリスト教徒でありえるように奮闘できるだけである。
- 他人のうわさで人を判断してはいけない。
- 人々があなたに言うことではなく、あなたをどう思っているかを考慮しなさい。
- 東洋の理解と西洋の知識を取り、そして求めなさい。
- 他人のもののめんどうをみることができる人だけが、自分自身のものをもつ。
- 意識した苦悩のみが意味をもつ。
- 一時的に利己主義者である方が、一度も公正でないよりはよい。
- 初めに、動物に愛を実行しなさい。動物は人間よりも敏感である。
- ここでは、仕事(ワーク)が仕事のためにあるのではなく、それが単なる手段であることを思い起こしなさい。
- 人生の条件が悪いほど、ワークは生み出す力を持ち、いつもあなたにワークを思い起こさせる。
- 他人の立場に自分自身を置ける人だけが、公正である。
- 生来の批判的精神を持っていなければ、ここに滞在するのは無駄である。
- 「明日」という病いから自由になった人だけが、ここに来た目的を達成する機会を持つ。
- 魂を持つ人も持たない人も祝福される。未発達の魂を持つ人に、不幸と悲嘆がある。
- 休息は睡眠の量ではなく、質からくる。
- 思い残さず、短時間眠れ。
- 能動的な内面のワークに費やすエネルギーは、そのときその場で新しい補給に転換するが、受動的に費やすエネルギーは永久に失われる。
- 自己についてのワークをする願いを呼び起こす最善の方法の一つは、自分がいつ死ぬかもしれないということを実感することである。だが初めに、いかにしてそれを心にとどめておくかを学ばなくてはならない。
- 意識した愛は、同じ愛を呼び起こす。感情の愛は、反対の愛を呼び起こす。肉体の愛は、類型と両極性で決まる。
- 意識した信仰は自由である。感情的な信仰は隷属である。機械的な信仰は愚かさである。
- 大胆な希望は強さである。疑いをもつ希望は臆病さである。恐れを持つ希望は弱さである。
- 人間は一定数の経験を与えられる。経験を節約すれば、命を延ばす。
- ここにはロシア人も英国人も、ユダヤ教徒もキリスト教徒もいない。ただ1つの目的──「存在することができる」という目的を追求する人たちだけがいる。
めるくまーる社 グルジェフ・弟子たちに語る 前田樹子訳 より引用
父の主観的格言
こちらはグルジェフ氏自身ではなく、吟遊詩人であった彼の父が残した言葉であり、グルジェフ氏は彼を、自身の人間形成における第一の師であるとしており、氏の講話録や著作等で語られる概念の説明を端的に表している言葉も多い。
- 塩がなければ砂糖もない。
- 灰は火によってできる。
- 聖衣は愚者の隠れ蓑。
- ひとりが沈めばひとりは上がる。
- 司祭が右を向いたら、教師は左を向け。
- 臆病風は勇気のしるし。
- 満足は満腹より無欲から。
- 真実は良心を安らかにする。
- 象も馬も不要、ロバにはロバの力あり。
- 暗闇のシラミは虎よりたちが悪い。
- もし人に<自己>があれば、神も悪魔も取るに足らない。
- いったん担いでしまえば、それより軽いものはない。
- 地獄の象徴、粋な靴
- 利口者こそ馬鹿者
- おのが不幸に気づかないものは幸福である。
- 光をともすのが教師とすれば、馬鹿者は誰か?
- 火は水を熱し、水は火を消す。
- 亭主が一番なら、女房は二番。女房が一番なら、亭主はゼロになれ。それが家庭円満の秘訣。
- 金持ちになりたければ警官と仲よくせよ。
- 有名になりたければ、記者と仲よくせよ。
- 満腹したければ、義母と仲よくせよ。
- 平和を願うなら隣人と仲よくせよ。
- 安眠したければ女房と仲よくせよ。
- 信仰を失いたければ司祭と仲よくせよ。
寄生虫ではなく真の人間になるために信念とすべきこと
こちらも正しくはグルジェフ氏ではなく、彼の父に次ぐ第二の師としているボルシュ司祭長のもので、人を教育する上で、基幹すべき信念とされているが、こちらも氏の著作や講話で語られる内容を端的に表している。
- 服従しなければ必ず懲罰を受けるという信念。
- 功あってはじめて報酬を受けるという望み。
- 神への愛、しかし聖人への無関心。
- 動物虐待についての良心の呵責。
- 両親および師を悲しませることへの恐れ。
- 悪魔、ヘビ、ネズミを怖がらない。
- あるものだけで満足することの喜び。
- 他人の善意を失う悲しみ。
- 苦痛と飢えに耐える我慢強さ。
- 若くして己の糧を稼ぐ努力。
めるくまーる社 注目すべき人々との出会い 棚橋一晃 監修 星川敦 訳 より引用
関連項目
- エニアグラム:現在は性格診断として有名であるが、図形自体は彼が世間で初めて公開したとされる。そこでは性格診断ではなく、万物の法則やプロセスを表すものとして紹介されていた。
- マーク・トウェイン:「人間とは何か」という著作を弟子たちの課題図書にしていたとされる。
- ベルゼバブ:「ベルゼバブの孫への話」において主人公に据えられた悪魔とされる存在。本編では悪魔という形容はされず、あくまで過去に反逆の罪を犯し太陽系に流刑になった高度に理性を発達させた存在とされており、実際に人間の感情活動や習慣、そしてそれらがもたらす目に見えない作用に対する洞察力などが非常に高い。一方で容姿は、髭の生えた老人の姿をしているが、尻尾や、また、かつてついていた角の存在などもあり悪魔的な容姿ではある。また、何万年にも渡って地球に住んでいて寿命も非常に長い。太陽系から帰還し、反逆の罪で取り上げられていた角を返してもらった際、角が進化し「聖ポドコーラッド」と呼ばれる「生物が獲得可能な最高理性」(「聖アンクラッド」と呼ばれ、生物に獲得できる最高理性とされる。)から一段下の理性存在となり、多くの天使たちがひれ伏すほど極めてまれな存在となった。一方でグルジェフ氏自身は前書きに「ベルゼバブ氏に賄賂を贈るうえで主人公にした」ということと、三部作目では「人の欠点をあげつらいたがる」といった意味合いでよくないものの例えとしてベルゼバブの名前を挙げており、ベルゼバブの提示する理性像とは若干異なっており謎が多い。