概要
1907年に鳥取県西伯郡米子市博労町で生まれ、1937年に処刑された。
昭和戦前において思想家・活動家として活躍した。陸軍士官学校(34期)卒。
小学校時代から読書を好んだ彼は、雲井龍雄・西郷隆盛・坂本龍馬・高杉晋作・荒尾精・頭山満などの伝記を読み漁り、成績トップで卒業。中学2年時に広島陸軍地方幼年学校に受験して合格し、同校を首席で卒業した。
1918年9月1日、陸軍中央幼年学校に進学して第19期生となり、淳宮雍仁親王の同期生として、4年間に渡って市ヶ谷台で苦楽を共にした。
米騒動や中国の軍閥割拠、ロシア革命などを内憂外患と捉えた西田は、国家改造と大アジア主義に傾向するようになり、また大川周明や満川亀太郎の影響も受けるようになっていった。
1922年4月、宮本進と片山茂生に付き添われ、猶存社で北一輝と会見。7月に陸士を卒業。10月に陸軍騎兵少尉に任官された。
1925年に肋膜炎のために退官。予備役に編入された後は、北一輝の「国家改造案原理大綱」の理念を実現するために青年将校を組織。それ以来十月事件・五・一五事件・相沢事件・二・二六事件など「昭和維新」の諸々の事件に関与し続けることとなる。
1936年に発生したクーデター未遂事件「ニ・ニ六事件」で首謀者の一人とされ、北一輝と共に死刑とされた。